人は誰でも変われる
私は2006年に第三子を出産しました。
その時の出産を通して、ものすごく考え方が変わってしまいました。
人はだれでも変われる
私が自信を持ってそういいきれるのは
自分がそういう変化を経験したからです。
1998年に夫と一緒に暮らしだして、
すぐに子供が出来て、また次の子供にも恵まれて
人から見たら、とても幸せなお母さんだったと思うのです。
よくそういうことを言われました。
でも私の心の中はそうじゃありませんでした。
いつもないものねだりで、隣の芝生が青くみえました。
いつも心に焦燥感がありました。
自分でビジネスを立ち上げて、経済基盤を作ろうと
思っていました。小さいわが子は私にとっては重荷でしか
ありませんでした。
もし起業しないのなら、日本語を教える方で
教授職につけるように学歴をつけてスキルを磨くことだと
思っていました。
いつも何か足りない足りない、私は損してる
そういう思いが満ちていました。
私の夫はすごい理想家でした。
彼の言ってることは夢物語にしか聞こえませんでした。
頼りにならないと思っていました。
生き方をシェアするなんてとてもとても
ところがそういう私が2006年の第三子出産を機に
全く変わってしまったのです。
人は生かされてる存在だったんだ
私と誰かは繋がってるんだ
人のために生きる生き方というのは
すばらしい生き方だったんだ
なんてことを考えるようになってしまったのです。
なぜそうなったかというと、分娩中死にそうになったのです。
(おそらく正味1分くらいですが、、、)
以下は当時書いた文章です。
おそらく出産ホルモンのせいで、かなりハイになっているのが
一目瞭然ですが、
現在私がこのブログに記事をあげているのも
やはり上にあげたような
気持ちが消えていないからなんです。
あれから3年、私はやっぱり今でも
私のできることを社会に発信して行こうと
動いています。
そしてそういう変化が起こったことを感謝し
その過程で助けてくれた周りの人たちに
心からありがたいと思ってます。
そのことに関しては
カテゴリー「感謝状!」に書きますね
以下は当時わたしが
書いた文章です
変な文ですが、ハイな分だけ元気はありますね
なにしろ出産直後ですからそうとう
デトックスされてるはずです。
今日はは出産を通して考えたことを書かせてください。
ばかばかしくて笑ってしまうような話ですが。
妊娠出産すると普通でないホルモンがでるそうで、
そのせいでハイになっているような。
これが一時的なものなのか、それともずっと続くのかは分らないのですが
私は出産してからずっとずっとずーっと幸せだーという感じに包まれて
いるのです。
三人目のお産ということで早いペースで陣痛が進んで
分娩室にはいったのだけど、
赤ちゃんが下に下りてこなくてなかなか分娩台にあがれなかった
その陣痛を逃している間というのがもう地獄の苦しみ。
陣痛の痛みっていうのは、腰が両方からぐわーっと引っ張られるような痛みで
体が裂けるような痛みだから、もうこのまま赤ちゃんが降りてこなけりゃ死ぬん
じゃないかとおもった。
そう長い時間ではなかったんだけど、
このまま死んでもおかしくないなとおもった
でもちゃんと降りてきたので
そのまま分娩台に上がって何度かいきんで
もう耐えられないなとおもって絶叫したら
赤ちゃんがするっと出てきた。
赤ちゃんが出てこなけりゃまあ、
今の病院なら帝王切開に切り替えてうませてしまうだろうけど
私のおなかがいきなり破裂したら、
母子ともに死亡するだろうし。
(私は帝王切開経験者)
私の命も子供の命も、私のおもうままにあるもんじゃないんだな
神様が私の命のスイッチを切ってしまったらもう終わり。
私が自分で生きてるんじゃなくて、生かされているんだなと思った。
子供も私が生んだ子じゃなくて、私が身体を貸しただけ。
そして自分というものをもっと愛さないといけないとも思った。
私自身も与えられた命、貴重な存在なんだって。
出産直後、エンドルフィンが大量に出てたのか
もうトンでもない考えが頭をぐるぐる駆け回った。
思考が飛躍に飛躍を重ねた。
限られた命なら、人に喜んでもらえるような生き方をしないといけない
命がもったいない、
ただ商売をしてお金を稼ごうなんて浅い考えじゃなくって
人に奉仕できるようなことをしたい そう思った。
それなら、医者になろう!(もうこの辺からそうとう切れていた)
大体医者ってのは権限だけはあるくせに、
身体は動かないし愛想はないし
えらそうでいけない。
気の利いたことひとついえやしない。
(子供を取り上げてくれた先生がそうだっただけなんだけど)
私が奉仕的な医者になろう!
日本に戻って医学部に入りなおして、
とか 教養の科目は認定してくれるんだろうかとか。
大体この考えは一週間は続いた。
うちの母親にそのことをいうと
「あんたみたいに年が言ってて
雑学の知識だけはあるような医者使いづらくって
誰もやとってくれないよ」
開業医じゃだめなのか?
いまのとここの考えは保留。
その次の考えはこうだった。
私の身体は私のものであって私のものじゃない。
これもこの世での着ぐるみに過ぎない
私が自分で自分を見ることはほとんどないんだから
見てくださる周りの人や夫が気持ちいいように美人になろう。
そこで夫に
「ねえ、わたし整形してもいい?お金出してくれる?」
夫はびっくりしたように
「いまさら何で?」
で、そういった心の経過を説明すると
「もういい、もういい、あんたはそれでもういいから」
(出資するのがいやみたいだった)
それからそのつぎは4人目を生もうと思った。
といってもこのご時世 四人の子供を育てるのは大変。
そうだ!世の中には子供がほしくてもできない人がいる
いい子供を生んで養子に出そう
わたしができる社会奉仕の中で一番いいことじゃないか!
と思い立って、あちこちに電話をかけてみて
養子縁組の最近の状態をきいてみたり
ネットで調べてみたり。
このことに関しては
「生まれた子を手放すなんて悲しくてとてもできない!」
という夫の涙の叫びで一時中断。
うちの夫婦は夫の方が母性愛が強いのだ。
突発的に思いついたことは他にもあるんだけど、
とにかく今頭が普通じゃない。
それでも生活の幸福ってことに気づき始めたってのは
嬉しい事だった。
今が大事なんだな、と思った。
いつかとか、いつかはじゃなくて。
今日を大切に生きないといけないし、
目の前にいる人を大事にして生きないといけないんだと心から思った。
今日ご飯を食べる家族のために心を込めて料理する。
家を磨く、アイロンをかける。
そこに神経を注いで、愛情をかければ生活は光りだすのに。
わたしはいままでいつもいつも、目が外にばっかり向いていた。
今日の家の晩御飯よりも、どこかのコーヒーショップで
おいしいコーヒーを飲みたいとばかり思っていた。
外食したいとばっかりおもってた。
家庭料理なんか早くて安くできればそれが一番だとおもってた。
目の前にいるうちの子供たちが早く学校にいってほしい
保育園にいってほしい。
私の周りからいなくなって欲しい。
そういうことばっかり考えていた。
子供に悪かったな。
ごめんね 悪いお母さんだったね。
多分だんなにも。
心がここにない奥さんだったんだから。
子供のことっていうのが、私の中では
すごく面倒くさいことだった。
私と関係ないことはないけど、
できることなら頼ってこないでほしいと思っていた
自分の生活から逃避していたとも言える。
こういうことを夫に話すと
「うちの嫁さんはやっと人間らしくなった」
私は今まで夫のする奉仕活動はあんまり好きじゃなかった
あんなところに奉仕しても、見返ってくるものがない、そういう思いが強かった
でも今は少しは夫のことも理解できるようになった。
こういう考えがいつまで続くのかはわからないのだけど
多分出産がきっかけでこういう変化がおとずれたんだと思う
出産で骨盤とか、なんかが今までと違う位置におさまったみたいだ。
体が変わったから考えが変わったんじゃないかと思う。
(そのかわり今太っちゃったけど)
そんなわけで今とても育児が楽しい。
赤ちゃんはかわいくてたまらないし、
夕方帰ってくる上の子たちも以前のように
めんどくさいだけの存在ではなくなったように思う。
気を入れて作ると料理も結構たのしい。毎日が勝負だ。
子供が大きくなったら起業したいという思いは今も変わらない
だけど、起業の動機が前とは変わった。
人の役にたつことがしたい。
そして何よりも自分の心をすり減らしたり、だましたりしないで
魂が喜べる仕事を探したい。
お金だけを考えて何かを探すのはよそうと思った。
そんな仕事はきっとある。育児をしながら準備していこう。
そう思っているところです。