백강 문정사랑 2013. 9. 2. 19:17

 地方新聞の編集長が遊びにきたのだが 

 初顔の新聞記者を一人連れてきた。

  30代独身の男性だった。  



 

 彼の出身地、編集長の出身地について話が盛り上がった。

  彼らが二人とも慶尚道生まれの男性だったせいだ。


 

   私の住んでるのは全羅道という地域で 

 料理がおいしくて有名だとか、米の産地として有名だとかいわれているが

 全羅道出身の人間に関してはあまりよくない評があったりもする。


 

 ソウルで主婦同士で話していたときのことだ。 

 「夫の出身地は全羅道」というと 

 「嫌ー!ホント?」みたいな声が上がったことがある。  


 

 全羅道出身の男性は、すごく保守的で 

家のことなんかなにもしないみたいなイメージがあったせいだろう。 


 

  あくまでもイメージ。 

その奥さん達が全羅道出身の人間にイヤーな思い出があったのかもしれない。


 

 ところがこの悪名高き全羅道以上に 

男性の保守度がより高いといわれるのが慶尚道だ。 

釜山とか慶州とかの方の地域。  



 

 私は彼らにそのへんを突っ込んでみた。 

 「慶尚道の男というのは、もう保守的の代名詞で  

 家のことなんか何にもしないとか言われているけどその辺どう?」



 

 ご本人達はもう慶尚道もなにも関係ない。

  家のことは男も手伝うのが当然だという。  


 

 しかし、自分達が見てきた親の世代の暮らしというのは

 確かに男尊女卑を感じざるをえなかったという。


 

  編集長の話。  

「自分の家では家族が多かったから テーブルが二つ出てたんですよ。

 父親中心に囲む息子達のテーブルと 母親中心の娘とかお祖母さんのテーブル。

  同じ部屋では食べているんだけど 載ってるおかずの量とか種類とかが違いましたね。 

 父親とかのほうに何品か多く載ってたりするんですよ。



 

 だけど高校生の時に友達の家に遊びに行ったとき 

そいつの家では食事をする部屋から違ってた。  

 

お父さんは居間で、お母さんは一段下がった土間みたいな 

ところで食べてた。あれはいくらなんでも自分もビックリした。 

もちろん食べてる料理も違ったし。」  



 

 「それはいつぐらいの話ですか?」  


 

「1980年代半ばのことだけど」  


 

 「それ見てショックを受けたんですか?」  


 

「そりゃそうですよ。今でも目に浮かぶくらい衝撃的だった。」  




 

そして独身の慶尚道出身の彼が、


 

 「男も女もありませんよ。やっぱり民主主義でいかなけりゃ。」


 

 と言い切ったので  私も夫も編集長も彼を笑い飛ばした。  


 

編集長は社会運動家で、彼なりのポリシーを持ってジャーナリスト活動をしている。

  私達夫婦も一応思想のかけらのようなものは持っている。


 

 しかし、現実に家庭生活を営んでみると、、、  


 

「なんとか主義って、目の前にいる人を大切にしてあげたいという

 気持ちの前では意味がなくなってしまうよね。」  


 

と、結婚生活を10年以上継続してきた3人のアラフォーたちの

 共同意見でケリがついたのでした。 


 

   お付き合いありがとうございました。