ハッピーデイコラム

多様性を認める社会2011.12

백강 문정사랑 2013. 9. 3. 15:28

えみこです。



  先日、地方新聞にあげたコラムです。



  金正日の死亡をきっかけに書いてみました。


   (また段落がくっつきます。どうもこの文章はくっつきたいようです)



  多様性を認められる社会

 

 

 

 金正日死亡のニュースを私はコチャン内の路線バスの中で聞いて知った。韓国のメディアで報道されたのが、12月19日の正午頃だったと思う。バスの運転手は、ラジオのボリュームを一杯に上げてその放送を流していた。ラジオの放送内容が北朝鮮以外のことに移ると、急いで他局にチャンネルを合わせていた運転手のおかげで目的地につくまでに一通りのことが分かった。バスに乗り合わせたお年寄り達は、大きな声で、それぞれの「北朝鮮」に対する思いを語っていた。北の体制や政局とは関係のない話がほとんどだった。しかしそれでも彼らの「北朝鮮」の動向に対するただならぬ関心は感じた。




 「南北統一」の日が、来るかどうか、もし来るとしても一体いつ来るのかは分からない。しかし韓半島の住人たちは、一体どうやって「その日」を迎えるのだろうか。過去において分断国家が統一された場合、数年は混乱状態を免れないのが常である。経済的混乱だけならばいつかは静まる日が来る。本当に深刻なのは、統一による国民の精神的問題の方だろう。世界でも類を見ないほど純粋に共産主義を遵守しようとしてきた閉鎖国家の国民と、ひたすらにこの数十年資本主義の道を邁進し経済発展をなしてきた南。その両国が一つになる時、一体何を国の基準にしていくのかは大きな問題だ。



 現在、北は北で深刻な問題を抱えているが、南は南で、資本主義国家の発展に伴う現代社会の問題がほぼ出そろった状態である。40年以上、分断されていた国家が、再び一つとなったとき、「もともとは同じ民族だから」という理由だけで昔と同じように仲よく暮せるものなのか。また南の国民が流れ込んできた避難民を快く受け入れられるものなのかというのは個人的に疑問である。数十年の「分断」も悲劇だったが、「統一」にも血を流すような痛みが伴うことは予想に難くない。



 


 北の住人たちは、南の人間が考える「常識」の中では生きていない。北から命からがら逃げ延びてきた脱北者の方々の多くが、韓国での生活に不適合を起こして苦しんでいる。韓国のあちらこちらに「脱北者」達はひっそりと暮している。



 彼らは時に「セトミン」と呼ばれる。元々セトミンとは「新しい土地で人生への希望を抱いて生きる人」の意味だそうだ。現在では公式には使われなくなっているはずだが、なんとなく卑称としての意味を帯びて使われているような感じを受ける。


 あるソウルの商店街の店主が「あいつらはどんな外国人よりももっとたちが悪い」と言って嫌っていた。店主の見ていない隙に品物をくすねたり、品物の大きさや重さをごまかしたりしようとするからだという。北出身の人間が自分の生活圏内に入り、直に関わり、被害を受けると、その時から気の毒な北の住人は「同胞」ではなくて、「あいつら」んに変わる。おそらく親戚を頼って、日本に北の住民が移住した場合も同様の現象が起きるだろう。



 あなたは日本人だから分からないだろうけど、韓国人はそうじゃないんだ。韓国人なら一つになれるんだという意見があるかもしれない。しかし私の知る限り、「朝鮮族」と呼ばれる延辺出身の移住民たちを韓国人が見つめる視線は暖かいとはとても言えない。「朝鮮族」出身の女性たちは、民族的には韓国人のはずだ。しかし、韓国人と同じレベルの教育を受けていない、言葉にやや訛りがあるといっては、「韓国人」とは常に線引きされる。




本当に異邦人を社会に適応させようと思うなら、「韓国人と同じになれ」と外国人に求めることは良策とは思えない。「韓国人と同じになれ」の政策が本当にうまく機能した日には、移住女性たちは「韓国人と同じように」果敢に非婚・離婚の道を選ぶ未来が待っているだけだ。適応政策が異邦人達の持つ「多様性を認める」方向に向かうことが望ましいと思う。確かに韓国で暮す以上、異邦人が韓国のことを知ることは絶対に必要である。韓国語の学習もしかり。韓国で母親になるのなら、韓国人との深い関わりも避けられない。しかしそれでも、「韓国を知ること」と「韓国人になること」は同じことではないのである。





 「多様性を認められる社会」というのは「一つの価値に向かって全員で競争する社会」とは性格が違う。衣食住が行き渡り、一段階社会が成熟した姿である。もし異邦人が韓国社会に不適応を起こしたとき、その対応策として「韓国人と同じになれ」と強制するならば、それが最高の解決策だと考えるなら、まだ韓国社会のレベルがそこまでに到達していないということである。



 「その日」が来るまでに、韓国社会が。現在15万人以上を超える移住女性の問題を「韓国社会全体の問題である」と真剣に受け止め、適応のためのサポートをしていれば、「その日」に韓国社会が受ける衝撃は、想像よりも柔らかいものになるに違いない。韓国人が異邦人とどうやって共生社会を構築していくかという経験を事前に積むことができるからである。韓国社会にとって「多文化家庭政策」は「その日」のための、予備練習のようなものかもしれない。そして韓国に無事に適応した「移住女性」たちが、今度は新しくやってきた異邦人適応の手助けが出来る人材に育つはずである。その努力が各地で為されていることを信じ、「その日」に向かって努力したいと心から思う。