こんなこと、あんなこと

100年前の韓国2011.9.21

백강 문정사랑 2013. 9. 9. 09:35

ソウルと一口に言っても実に多様で、

 コンクリートジャングルのようなところもあれば、


 

 「この自然いっぱいの地域がソウル?」ってなとこもあったりします。(米軍基地のあたりとか)



 

  狭い面積に1千万人以上の人口がひしめいているので


 

 どこにいっても、日が暮れても、人、人、人の街です。



 

 確かにパワーのある街ではあるのですが、


 

 ソウルを離れた今となっては、ソウルに行くたびに


 

 あまりにも至近距離に人が多すぎるのと、


 

 いつも誰かの携帯電話の着信がなってるなあ、ということにちょっとイライラしたりします。


 

  (私がソウルの繁華街ばかり動いているせいですが、、、、)



 

 現在市長がらみのゴタゴタガあったり、教育長が賄賂でどったらこったらと


 

 騒がしいニュースもありますが


 

 もともと、山を控え、川がながれ、風光明媚な名地だったのですね。



 

 

 さて、このソウルに20世紀初頭、日本政府が朝鮮を管理するための組織として


 

   「朝鮮総督府」というものがどかんと作られました。



 

   いわゆる日帝時代、韓国人に言わせると「日帝強占期」という時期のことです。



 

 それが 日韓併合条約の結ばれた1910年8月から始まったとすると


 

 太平洋戦争終結の1945年8月までの約35年間 


 

 (1910年以前から朝鮮は実質的に日本の支配下にあったので40年と見る説も。)




 

 この時代に、日本政府が韓国で実施したことは、いろいろあり、そのことの


 

 是非については、現在でも意見が分かれるところです。



 

 しかし、この時代日本がやったことの中で、これだけはよくやった!!といえることのひとつに


 

 当時の朝鮮を研究し、記録した という事実です。




 

 当時の朝鮮人が、「当たり前だから記録する価値も無い」 と思っていたことのいくつかが


 

 日本人にとってみると 「えー!こんなことが!!」という驚きであり


 

 朝鮮の統治支配のためであったとしても、それらのひとつひとつが、日本語で記録され


 

 朝鮮総督府に報告され、編集されたりしたのです。



 

 朝鮮の食文化や、伝統工芸については、もともと朝鮮国内で記録に値する価値あるものと


 

 見られていなかったため、朝鮮人による朝鮮文化の記述が乏しい分野でもあります。



 

 また、そういった分野の技術の伝承は、感覚によってなされることが多く


 

 そのため、朝鮮人自身が文献記録によって伝承するということがあまり無かったようです。



 

  それらのひとつひとつを、朝鮮を効率的に管理する目的で


 

 当時の日本人が記録しているのですが


 

 さすがに日本人の記録は細かい!! 


 

 こんなことまで書いてある!という記述があって驚きます。




 

  私が仕事でやっている「韓国の伝統酒づくり」に関する翻訳作業も


 

  日帝時代に当時の日本人が「朝鮮人は伝統的に酒をこうして造っている」ということを


 

 記録した文書を紐解いている作業です。


 

 日本人が記録しなかったら、韓国の伝統酒についての記録が歴史に残っていたかどうか分かりません。



 

「だから日帝時代は善だった!」 


 

 とか言いたいのではないので 誤解しないでくださいね。絶対!!


 

  




 

  そして昨日また私の手元に新しい本が届きました。


 

 50ページほどの薄い本で、タイトルは


 

 「朝鮮の風習」


 

 

  編集、出版は朝鮮総督府、(著者の名前はありません、複数の執筆者がいる様子です)


 

  発行年度は大正13年 (西暦1924年)


 

  ですから日帝時代と言われる時代が始まって10年以上が過ぎたころに書かれた文章です。



 

 

 これは、内地人(つまり日本人)に対して、


 

 朝鮮人とはこういう習慣を持って暮らしていると


 いうことを簡単に紹介した本です。



 

 目次が



 

  ・社会階級

  ・一家の意味

  ・家庭

  ・男女の別

  ・言語と対応

  ・訪問と接待

  ・服装

  ・飲食

  ・住居

  ・年中行事

  ・補綴



 

 


 

  となっています。



 

  はしがきを抜粋します。



 

 風俗習慣は国民性の一反映とも言えるものでありませう。


 その国民性が天賦の性情に幾百千年の科学・文芸・宗教などの諸要素や


 政治・経済・教育ないしは自然力などの影響の織り込まれたものでありまする以上は


 

 如何に他愛も無き風習の一行事にも、


 上の諸要素の史的影響をとどめていないものはありません。


 さればこそ、斯道の学者たちは、古瓦の模様にも、


 俗謡の旋律にも熱心な耳目を傾注するのでありませう。



 朝鮮は内地とは一衣帯水の地、もとより同種同根の民族、有史以前より交渉を重ねて久しく


 東亜の文化にはぐくまれてきました関係上、風習の如きは実に驚くほどの多くの類道を有して


 いるのであります。さうと気づいて見ますと、日韓併合の如きも寧ろ自然に帰るもの、当然に


 帰したるものとの感が自ら湧き出て、親和の情の一入切なるを覚ゆると同時に


 さらにかかる方面の探求に興味をそそられるのであります。



 併し、かかる研究も、今は学者の興味からするような研究ではなくなりました。いまや内地人の


 在鮮者は38万、如何なる奥地にも活動の姿を見ざるなく、、一方10万の朝鮮人は


 内地の都市は勿論、地方にまで入り込んで或いは、同一の学舎に、


 官衛に、あるいは会社に工場に共に研究し、作業し、


 起臥してデリケートな交渉が日々両者の間に行われつつあるの状態でありますから


 内地人として、朝鮮の如何、-その民情、風習の如何ということを知るのは、


 最早学者・好事家のみの趣味の問題ではなく、


 実に国民全体としての、必要な事件に直面している訳であります。


 してみますると、新附の国土を開き、新属の同胞を導いて、文化の向上を図かり、共に


 康福を享受しようということを常に念頭においている人々は、かかる風習の一端なりとでも


 速やかに心しておくべきではありますまいか?


 まして風習は偉大なる潜勢力の持ち主であります。


 若しこれを胸において、折衛上に舵を執っていきますならば


 如何ほど共昌共栄への行進が平和に円滑に渉ってゆくことか測り知れぬであろうとおもいます。



 本書はかく朝鮮人を知らんとする内地の人々に対して、一参考資料にと編纂したものであります。


 ただし朝鮮の風習といいましても、仔細に研究すれば、頗る多様でありますので


 この小冊子では、只大要を摘記するに止めました。且つ一口に朝鮮と申しましても


 一万四千方里、本州大の広さでありますから


 北境と南端と、東部と西辺と、都邑と村落ではそれぞれ多少の相違の存ずることを、免れません。


 で本書は主に京城(ソウル)を中心として、記したものであることを


  一言致しておく次第であります。   (朝鮮の風習 はしがきより)



 

 という本です。



 

 これはですね、 もう現在韓国で暮らしている私なんかからしたら


 

 ものすごく面白い資料です。



 

  だって、ここに書かれている約100年前の韓国というのは


 

  2011年現在の韓国とあまりにも違うんです。



 

  現在の韓国の姿を肌で感じている私にとって見たら


 

 「えー100年前って そうだったの!」 の連続なんですね。



 

 それくらい韓国って急激に変化してしまった国なんです。



 

  おそらく100年前の朝鮮人が現在の韓国の姿を見たら


 

 「国が滅びた、、、」 と思うに違いありません。



 

  


 

  まあ、ここに表現された1920年代の朝鮮の姿というのを


 

 日本人が書いたのか?それとも日本語の達者な韓国人が書いたのか分かりませんが


 

 それほど間違ってはいないように思うんですね。


 

 どちらにしても、そう下級の人が書いたものではない感じはします。



 

  あれに感じがちょっと似てます


 

 「海外の日本人駐在員が書いた外国記」



 

 

  まあ、これがとにかく興味深かったので


 

 時間がある限り、ここにアップして、


 

 えみこの独断による解説と現在の韓国との対比をして行きたいと思います。



 

 さーて、出勤してきます。


 

 今日もがんばるぞ。