4.男女の別 朝鮮総督府資料2011.9
朝鮮総督府資料
「朝鮮の風習」
4 男女の別
-女子の家庭生活ー 被衣の外出姿ー
朝鮮では「男女別あり」ということが厳格に守られています。でありますから
夫婦の間柄でありましても、下層のものでないかぎりは、
住家に内外の区別を設け、男は表の方に、女は内の方に、
各々部屋を別にしてあります。
女の居る方は内房と称し、表の方とは塀等で区切られてありまして
表の方から直接に窺われないようになっているのです
若し内房に婦人の来客などある場合には
家族の一員たる男子でも尚遠慮して近寄らぬやうに注意を払います。
又、親族の者でも、極めて近しい間柄の者以外は、
内房から呼び込まれない以上決して内には入りません。
一般に婦人は見も知らぬ男に対しては
顔を見られることさえも恥としているくらいですから
如何にご主人と懇意な友人でありましても
之と言葉を交わしたりすることはなく
若し已むを得ざる場合には、如何にも迷惑そうに
他所他所しい態度で、極めて無愛想に対応するのであります。
或る内地人が、一日懇意は朝鮮人の宅を訪ねていきました。
ところが生憎と不在でしたので用件をその細君に言伝しようと
内房の方へ言葉をかけました為に、
遂にその友人から交際を絶たれたという例があります。
女子は12,3歳になりますと、表の方には姿をみはしません。
又、親の監督が厳重でありまして、下層階級のものでも
娘一人で出歩くようなことはありません。
そんな次第で、処女の貞操は聖く保たれているのであります。
又一方には処女をかどわかした男子は非常に排斥を受けるのみならず
その女を引き受けねばならぬというような制裁もあるのであります。
かような理由から婦人はあまり外出することはなく
多くは家内に蟄居しているのであります。
勿論朝鮮の家庭では、一日三度の食事は、
必ずその都度炊くことになっておりまして
冷えたものは決して食べませぬし
それに衣服が汚れやすい白地でありますのと
一つ纏いという面倒な仕立て方でありますから
家庭内に於けるこうした炊事・洗濯・裁縫の仕事に日夕忙殺されて
実際上からもあまり出歩くことができないのであります。
以前には、婦人が外出する場合、親戚や知人を訪問する時には
中流以上ですと乗り物で先方の内房まで乗り付けにして
全然姿を見せなかったものです。
さうでないものは被衣で顔を覆ふて、目ばかり出して往来したものであります。
しかし、このやうな風習も近来妙齢の女子が
学校に通いはじめてからは段々と廃れてきまして
今日では、被衣姿のご婦人などは稀に見るくらいであります。
ただし男子に対する態度だけは以前とさほど変わりがありません。
というのは男子に馴れ馴れしい言葉をかけるやうな挙動は
今も尚娼婦のしわざにひとしいとの観念に支配されて
これを蔑視しているからであります。
かやうなわけで、自分の良人に対してさえも
無愛憎な態度をとるのであります。
とのことですが、、、、たった100年前まで、こうだったというのが信じられないほど
現在の韓国では、「フツーに隣の旦那さんと話し、」
「フツーに隣の奥さんと話し、」ているし
数え年で12、13歳のうちの娘はもう、外にも出せないということですね。
(出していると下層階級と見られたのですね)
うちの子達にこの話をすると
「知ってるよ、学校で習ったもん、その被衣っていうかぶりものの写真もみたことあるよ」 と
言ってました。
旦那の友人が話しかけてきたときには
出来る限り迷惑そうに、無愛想にかあ、、、
私は旦那の友人が、旦那の不在に遊びにきたら
家に上げて、なにか食べさせて帰すけど、、、、
100年前だったら、そんな妻離婚されてしまうわけだな。
私の義母はまさにこの時代に生まれた人です。
先日、時間をなんとかやりくりして入院している義母の見舞いに行ったのに
「嫁がものすごく短いスカートをはいて来た!!」 ということに義母が怒り、
(短いスカートじゃなくて、ショートパンツよ!!夏なんだから)
それを他の患者だの、自分の娘だのに愚痴っている姿を見て
「二度とくるか!ババア!!」
と思ったのですが。
上記の記録を読みかえして、 こういう時代の教育を受けた人だったなら
まあ、そう思うのもしょうがないかあと思い直し
また、義母の顔を見に行こうかと思ってる次第です。
なくなった義父はですね、テレビにノースリープの女性が出ると
「テレビに出るのに服も着とらん!!」といってたくらいなので
韓国の1920年代というのは、そういう時代だったのでしょうね。