ハッピーデイコラム

100年後にも2011.10.7

백강 문정사랑 2013. 9. 10. 09:35

今週の韓国語での新聞コラムです。

 先月から続けてこちらにアップしている

「朝鮮の風習」を題材として書いてみました。

いつも書き上げると夫に校正してもらうのですが

いやー今回は揉めたこと揉めたこと

 「お前は、これでも文章のつもりか!」とか

 「まったく誠意のこもってない文章だ」

 「なにが言いたいのか全然わからん!!」とか言われて

最初は、校正不可能とまで言われ「書き直し!」押し戻されました。

 うちの旦那は、厳しいんですが、

厳しいだけに、

この夫に「イエス」とさえ言わせる基準くらいをクリアすれば、

一般の韓国人の方々の反応は一様に暖かいので

何とかこの小うるさい夫に「これならいい」と

言わせるレベルでの文章を書こうと思ってます。

押し合い引き合いして

今週もなんとか

文章ができあがりました。

これもサイトの方に直に飛ぶと

韓国語版・日本語版が並んでいて

私の顔写真までついています。 (-^□^-) (えみこ)

http://www.hdgochang.co.kr/news/articleView.html?idxno=2702

-100年後にも-


先日私の手にある古書籍が舞い込んだ。

1924年朝鮮総督府刊行「朝鮮の風習」という約50ページの小冊子である。

これは日韓併合から10年を過ぎ、

先に韓国に移り住んでいた日本人(当時は内地人と呼ばれた)の目から見た韓国の姿である。

日本人の目から見た日韓の違いを指摘し、

文化の違いから起こる摩擦を避けるために、

朝鮮人に対する適切な対処法まで提示してある。

朝鮮のことを良く知らない日本人のために

朝鮮紹介の一躍を担ったパンフレットのようなものである。

朝鮮の社会階級から、朝鮮における家庭の意味、

男女の別、言葉づかい、接客、服装、飲食、住居、年

中行事などについて、ソウルでの見聞を元に細かく書かれている。

朝鮮では、食事の度に

その都度、飯を炊くことには、

当時の日本人がよほど驚いたのか、

たった50ページの小冊子のなかで二度もそのことに言及している。

(日本では朝炊いた飯を冷えたまま食べていた。)

また、知り合いの家で食事をご馳走になっても、

特別な場合でなければ、特別礼をいう必要はない等、

日本とは食文化だけとってもかなりの違いがあり、

ある面では正反対である点もあるので、心するようにと書かれていたりもして興味深い。

現在韓国で生活する私にとっては

この上なくおもしろい資料である。

そしてまた、韓国はこの100年で、

ここまで変化したのかという驚きを喚起する資料でもある。

私の義父義母はまさにこの時代に生まれて教育を受けた方である。

義父は数年前亡くなられたが、

生前テレビにでてくる女性芸能人がノースリープであると

「服も着ないで人前にでている!」と憤慨していた。

義母は今でも嫁達が、短いスカートを着るのを好まない。

 1920年代の朝鮮の女性は家の奥深くこもっているのが常であったという。

来客が夫の友人であったとしても、親しく言葉を交わすことが憚られる時代。

また、年長者への敬意が絶対視され、

食卓で、家長が箸をとるまでは、何も口にすることが許されず

家長が食べ終わるまでは席を立つことも許されずという習慣も描かれている。

現代韓国では「子供が一家の中心」になってしまい、

また塾通いに一番時間が切羽詰まっているのが子供なので、

主人が食べようが食べまいが、子供たちはさっさと食べて塾に行く。

また、100年前の朝鮮では、家長が帰宅すると全員で出迎えているという記述がある。

ふと、あるソウルの韓国人サラリーマンが言った言葉を思い出す。

「私が帰宅した時に迎えてくれるのは犬だけ、妻は妻で連ドラに見入って気づきもしないし、

子供は部屋でなにしてるんだか、出ても来ない。」

韓国はこの100年でこれほどまでに変わってしまったのかと感慨深い。

日本人にとっては、韓国は未だに「儒教の国」であり、

現在でもその伝統が美しく残されているのだろうとイメージされているが、

現在ソウルでバスにのると、シルバーシートにすわって動かないのは、

塾通いで疲れきった小学生や中学生である。

あまりにも忙しそうで、その疲れ方が老人以上であるせいか、

「けしからん、若い者が、立ちなさい!]という人は誰もいない。

こういう現代韓国のあれこれを、韓国で多く目にしてきた私は、

100年前の韓国人がこの現代の姿を見たとき、どれほど驚くだろうかと思う。

日本も同じように近代化の波を受け、

短期間ですべてのものが変化してきた国ではあるが、

その変化はもう一代先の世代が経験したので

私の父母の世代というのは、

韓国のこの一世紀における変化よりも緩慢であったと言える。

多くの韓国人がそう思っているように、

私も、現在高齢になられた方に変化を求める気はおこらない。

年輩の方でも、若者に理解のある方はいらっしゃるが、

すでに80代を過ぎた方々に、

現代社会への理解を望むのは難しいと思う。

男の子だけを可愛がるというお祖母さんも、

夫に家事をさせるととたんに

不機嫌になるというお祖母さんに対しても、腹が立つことはない。

 ただ、そういう方々の姿をみると、

「教育というのは、実に大事で、

小さい頃に受けた教育や環境というのは、

無条件に体の中に染み込んで一生ついてまわるものである」

ということが良く分かる。これほど時代が変わり環境が変わっても、

自分が変わることは難しいようだ。

「男は家のことを何もしなくて良い」

と言われ続けて小さい頃から育てられた男性は、

やはり成長してからも家事に無頓着になるかもしれない。

共稼ぎ夫婦の多い現代社会ではそういった男性は

、結婚の相手としては選ばれにくくなってしまったのは自明のことだ。

100年後といえば、私たちの孫の時代だ。

この21世紀の韓国の生活は、未来の子孫の目にどう映るのだろうか?

出来ることなら彼らから「お祖父さん、お祖母さんはちゃんと暮してた」

と言われたいものである。

そのためにも永続的、普遍的、長期的な視点を持つことを平素に心掛けたいと思うのである。