上から降りてくる価値観2011.11
私なんかは、現在ソウル在住ではなく ド田舎暮らしなのでちょっとゆるい感じですね、教育の嵐が。
しかし田舎に暮らしてみても
「韓国どこまで行っても、教育から逃れられることはない、、、」と
つくづく韓国の「教育信仰」の強さを思い知らされているのですが。
子供をたくさんの塾に通わせるとか、
私教育にバンバンお金を使うとか
子供をいつも留学に送ってるとか
の積極的な教育に関するを実際にしてない人たちであっても
「勉強が出来ないこと」 「学歴が低いこと」は良くないことだという
思い込みがもうそれはそれは強くて、
この国の方々が本当の意味でそれから逃れることがすごく難しいようなのです。
それなりに商売が上手く行ってたり
韓国で超人気のある「美男・美女」であっても
やっぱり「学問」の価値には劣るかも、、、という劣等感がうすーくあるようです。
価値って本人がいいと思うものを最優先にしてもいいはずなんですが
どういうわけか
価値の順番まで
上から流れてきて降りてきたものをそのまんま受け入れて
それに疑問を持たないようです。
夫の親戚の中に、
現在あるお店の店長をやってるとても綺麗な20代の女の子がいます。
彼女なんかは勉強に関してはずっとずっと劣等生で生きてきました。
親がそれなりに財力があったので
ずっと家庭教師もつけてくれてたけど、
あまり効果はありませんでした。
英語圏に留学にいかせてもらってましたが、
英語はぜんぜん出来ません。
中国にも一年いましたが、右に同じです。
美人で接客の上手い彼女は
商売に関してはその能力を最大限に発揮し
今年オープンした彼女の店は
しっかり利益を出していて、
あとは「いい配偶者を探すか!」ってなところで
チャンチャンなんですが
これで良いじゃないですか。
自分に向いてるのは学問じゃなかった、商売が向いてたってことで。
しかしこれで終わんないのが韓国人なんですよ
彼女は
「わたしは自分が馬鹿だから、、 夫になる人だけはすごく賢い人を探したい、、」と言うのです。
私はそれを聞いたとき
「あんたは偉いよ、そこまで客観的に自分を見つめられて
自分が今からでも賢くなろうと努力するんじゃなくて、
外部ハードをひっつけるように賢い夫で知的資質を賄おうとするあたりが潔くていいよ!
今から勉強しようなんて向いてないことはするもんじゃない、
自分の方向性を若いうちから把握できて偉い!」
と褒めたのですが。
よく考えてみると、、、、これってお金儲けが上手くて、とても綺麗な容姿に生まれたのに
結局それでも心底満足できてないってことなんですよね。
これって日本社会なら、これで良いじゃないですか。
人間向き不向きがあるんだから
「ナンバーワンにならなくてもいい、 それぞれの花を咲かせる
どれもみんな綺麗だね!」
んだんだ なんですから。
ところが韓国の場合、それじゃどうしても物足りないんですよ。
それどころか、どんなに貧乏でも、見た目も良くなくても
「学問を修めた偉い人」の前には、
そのほかのことは吹っ飛んでしまうという
日本人では考えられないような学問に対する畏敬とか、
なんかの力があるのです。
うちの夫なんか、
出会ったころは、大学院生で
結婚するってのに経済的なことがあまりにも頭にありませんでした。
でも彼の頭の中では
「学問を修めるという価値の前にはすべてのことは許される」
なんて変な思い込みがありました。
今では彼はそういうことはいいませんし、あの頃のことは心から反省していると言うのですが
これが通っちゃうというのが韓国社会の驚きなところでした。
うちの夫の考え方も私との結婚を通して相当変化したので
彼にも「こうして自分は日本的価値観を受け入れた、、私の心の過程」を
書いて貰いたいもんです。
上記の彼女とは別の人の例ですが
先日ある韓国人男性と話していた時のことです。
彼の知り合いのテレビ局のディレクターMさんのことを話題にしていました。
Mさんはソウル大の出身で、実に人間的ないい人で、仕事もきっちりする素敵な方です。
私の話相手の韓国人男性は、ヨンセ大学の出身者です。
彼が、 「自分は、、いつまで経っても、なんかコンプレックスが抜けなくてねえ。
あいつはソウル大に入ったのに、おれはヨンセだったって」
(ヨンセ大というのは、早稲田慶応クラスの私大だと思ってください)
「えー! ヨンセ大に入ってコンプレックス!!
良いじゃないですか。ヨンセ大で。
大体ですねえ、 それって何年前のことですか、
ひきずる必要ないんじゃないんですか? あなた今とても素敵ですよ。
いっそ人からはうらやましがられてるじゃないですか。 あんな風に生きたいって」
「そうは言ってもねえ、 人生にそんなこと関係ないことはもうよーく分かってるんだけど
やっぱり気になってしまうんだよねえ」
というのです。
「ソウル大に入った人だって、俺はハーバードには入れなかったっていう
劣等感を抱えてるかもしれないですよ。
その思考回路不毛だし、終わりがなくて、救いがなくて、
だってピラミッドの頂点に近づくにつれて、残れる人が少なくなっていく構造だから
ほとんどの人を幸せにしない構図だってことでしょうねえ。
さっさと降りたほうがいいんじゃないですか?」
「分かってはいるんだけど、難しいねえ、、、」
というのです。
これはあまりにも男性的思考というか 順位でものを見すぎて、それが癖になって
三つ子の魂というやつですね。
順位をつける、それに縛られるというのはかなり男性的な思考法で、
でも男性の脳ってのは、それに耐えられるし、そのほうが上手く機能していけるから
そっちを選択してきたと思うのです。
ところが韓国というのは、あまりものその男性思考が国ぐるみで強いので
その中で暮らす女性たちも、
やはり「男性型思考」に引きずられて生きるようになってしまうのが
韓国女性のつらいところです。
どうでしょうか?
成績一番になれなかったってことを女性ってそんなに悔やみますか?
女同士が争った場合、でも「私の方が胸が大きいし」とか
「私の方が可愛いし、」とか自分の中で屁理屈をつけて
社会的順位を、自分の中で変換させることに長けています。
日本なんてまさにそんな社会で、
オタク文化なんて、まさにそのものです。
社会的価値が全く通用しない自分独自の感覚で優先順位をつけていくのですから。
これも私が韓国で実際にあった話なのですが
Mちゃんと、Kちゃんという二人の女子大生がいました。
(ただ書いただけなのについピンクレディーになってしまったのは年齢のせいでしょうか?)
MちゃんとKちゃんが諍いをおこしていたとき
Lくんという男の子が間に入ってこう言いました。
「Mが悪い。 なんでかっていうと、
Kの方が、Mより美人だから」
私はこれを聞いて腰を抜かしました。
どう考えても10年以上たった話なのに、あまりにも衝撃的で
忘れることができません。
L君の 「美しい人は正しい」という
最近の韓国人でもちょっと待ったをかけるような暴言が
韓国に来て間もない私を打ちのめしました。
あの記憶はリアルです。 (クリーニングしなくっちゃ!)
この説が正しいとなると、
美男美女は犯罪をおかしても許されるわけですが
たしかに「見た目」の力ってすごいですが
これはちょっと笑ってしまいますね。
当時「とりあえず韓国人のいうことを無批判に受け入れて流していこう」と
思っていたので、L君に説教もせず放免しましたが。
「美しい人のいうことには説得力がある」
という説は広く認められていて、
そのためニュースキャスターに美男美女を起用するのは
ニュースの信憑性が増すためだということは
洗脳関係の本ではよく言われることです。
同じように
「学問のある人の言っていることは正しい」
という思い込みがとても強くて
日本のように、小学校の先生が出した実践教育書とか
田舎で有機農栽培やってる人の著書がベストセラーになったりってことが
韓国では起こりにくいです。
どこかの大学教授の名前がないと
出版も難しいというのです。
韓国人は権威のある人の書いたものじゃないと読まないからと。
以前私が日本語の教科書出版に関わっていたときもそうでした。
教科書をつくるのは現場の先生ですが
そこにどこかの有名大学の教授の名前がどんと入ります。
しかしその教授は打ち合わせの場所に一度も顔をだしていません。
それなのに、報酬は私たちの倍が設定されていました。
「へーんなの!!」
偉い人のいう言葉は正しいという思い込みが
ものすごく強く浸透している国です。
そういう縦型の思考をすることが耐えやすい脳を持っている男性はまだ良いですが
やはり女性にこれを強いるのはあまり生物学的には得策ではない。
どんどん自分の中の感覚が麻痺していきますからね。
そういう意味で
韓国の女性ってきついなあ ああ、つまり「おんな・こども」にキツイ国なのですね。
日本は韓国と比べた場合は、「おんな・こども」にやさしい国という姿が浮かび上がります。
韓国で、「よしもとばなな」をはじめとする日本の作家の小説が良く売れるのも
「おんな・こども」の心をよく描写してくれる韓国人作家が少ないからなのではないでしょうか。
まあそれで、それじゃあ、こういう男性的な社会から
弾き出されちゃって劣等感を抱えて生きていく人はどうしたらいいのか?ってことになりますと、
「別にいいんじゃないの?」
と思えたら、いいですが
それが難しいから韓国人も苦しいのですよね。
これは韓国人が国民的にもっている思い込みとか執着を手放していくのが
いいのでしょうが、これが国民としてのアイデンティティとセットになっているので
思い込みを切り離していく過程が実につらいことでしょう。
でも、あれですよね、 多分心の問題を解決する過程では必ず通る道なので
やはり一度は「韓国人としての自分をみつけて解体していく作業」をいう過程を経ていける強さを
もった人は、越えていけるのではないでしょうか。
呉善花さんという人はまさに20世紀中にそれをやって
文献に残した人ですが、時代が早かった感があります。
韓国人が精神的に行き詰ってどうしようもないところまで来たら
見直される時が来るかもしれません。