文字のある家庭環境を2011.12.7
えみこです。
これは我が家ではないのですが
小さい子供さんを育てている
ある韓国の一般家庭の風景です。
壁にハングルの文字ポスターが貼り付けてあるのは
よく見られる光景です
冷蔵庫にも 単語カード 「ネンジャンコ」
鏡に 「コウル」
椅子に「ウィジャ」
水槽に 「オハン」
キッチンには食事に関係するカードを
貼り付けが難しいものには 直接マジックで書く!
電子レンジは「チョンジャレンジ」
ここは特別教育熱心な家庭という程ではないのですが
彼女のママ友がみんなやってるので
「わたしも」って感じで貼り付けたそうです。
こういう工夫をしておくだけで
子供たちの文字認識がスムーズになるというのが
私も母親として実感する部分があるので
どんどんやったら良いと思います。
私も、ソウルで住んでたとき、家のものあちこちに 張り付けまくってました。
我が家の場合は、英語・日本語・韓国語の三ヶ国語表記をしていました。
末っ子が赤ちゃんの時にだっこして
家の中をその文字を読んであげながら一周するのが日課でした。
うちに遊びにきたお客さんが
「まあー教育熱心な家ねえ」と良く言ってましたが
私が教育熱心なんじゃなくて
すこしでも将来の教育を効率的に、楽にしたいから、
能力の裾野の幅を広げたくて
いろんな取り組みをしていたのです。
同じ日本人ママからこどもの日本語教育に関して
相談されることの中でこんな質問があります。
「うちの子、日本語で絵本を読むと嫌がるんですよ。
そういうことなかったですか?」
この御家庭はある程度子供さんが大きくなってから
「日本語を教えなければ」ということで
日本語の絵本の読み聞かせをはじめたそうで
日本語で読んであげたくても、子供さんが
「なんのことだか分からない、韓国語で読んでよ」といって嫌がるそうです。
我が家は、子供が赤ちゃんのうちから
普通に日本語で読んだり、話しかけたりしてたので
そういう拒否反応は全くなくて、
韓国語で読んだあとも、「日本語でも読んでよ」「英語でもね」と
言われるのが常でした。
我が家の場合、
夫は、子供に日本語を教えることに全面賛成していました。
そのことで揉めたり意見がぶつかったことって一度もありません。
最初から「こどもには日本語で話しかけてくれ」という要望がはっきりしていました。
しかも核家族だった我が家では、
私が家庭で日本語を使うことを嫌がる義父母が存在しないので
親がある程度やりたいことが出来ました。
しかし、韓国の地方で、義父母と一緒に暮らしている方なんかだと
子供さんに日本語を教えたくても、
家庭で日本語を使用するということに、
はっきりストップがかかったり
どこかで「二ヶ国語を小さいときから使わせると、子供が混乱する」という話を
義父母が聞いてきて、心配してやめさせたり
ということがあったりしたそうです。
先日、EBSラジオで、ある外国人女性がこう語っていました。
彼女は父親がドイツ人、母親が韓国人。
生まれたのが香港だったそうです。
自分に対してお父さんはドイツ語、
お母さんは韓国語を使うのが当たり前、
親同士の会話は英語。
小さい頃にそのため混乱したという記憶は
全くなかったという話をしていました。
ラジオのDJは「普通小さいときに多言語で育つと混乱するんじゃないかと
いわれてますけど、ホントに大丈夫だったんですか?」
と韓国人の不安を代表するかのようにたずねます。
彼女はけろっと
「何の問題もなかったです」
大きくなったから日本語教育もう遅いということはないはずです。
起きてるときの子供さんが嫌がるなら
子供さんが寝てるときに小さなボリュームで日本語の朗読を掛け流したり
してあげることでも、十分効果はあると思います。
語学は、まずはある程度のインプットの蓄積が必要ですから。
なにしろ親は生活全般に渡って、子供と接する時間が長いのです。
いろんな取り組みができる可能性がたくさんあります。
子供が寝てる時間まで関われるのは親だけです。
私は教師として学校で、子供たちと関わりながら
「いろいろしてあげたくても、親の影響力の前には
教師の力ってほんとに小さいなあ」と
無力な自分の力を感じるのですが、
逆に、親としての自分の立場の有利さを実感しました。
「家庭で出来ることってこんなにあるんだ!」
って感じですね。
教師が10頑張るよりも、親が1頑張るほうが
教育効果が高いんじゃないかと思います。
親が教育っていいな、学ぶってすごく楽しいという姿勢で
子供と学習に向き合っている土台があって
家庭で学校教育の内容に関心をもってあげて
学習というものが生活と関わっていることを子供に感じさせて
かつ、そこに先生の頑張りがあると
それは足し算じゃなくて、掛け算効果を生むんだと思います。
それに比べて先生だけが頑張って
家庭で親が
「全く教師なんて、つぶしが利かない馬鹿ばっかりよね
勉強どんなに出来ても、教師にくらいしかなれないんじゃやることないわね」
なんて言ってると
これは教師の努力に×0
になりかねません。
学校でどう教えるかにまで、母親は関われませんが
教わったことを子供がどう受け止めるかに関する影響力は絶大です。
母親業って、ほんとにやることが多くて大変なんですけど
とても創造的な役割でもあるのだと思います。