観光(コチャン)

五巨里堂山祭を見てきた2011.12.

백강 문정사랑 2013. 9. 11. 10:50

11月の記事でご紹介した 


 五巨里堂山(オゴリタンサン)という地元高敞の文化遺産があります。


 世界遺産登録に向けての学術セミナー、というやつでした。


http://ameblo.jp/happy-seoul/entry-11091758594.html


  



 今日の午前中、

  

 その五巨里堂山の中の下巨里堂山(ハゴリタンサン)で


  五巨里堂山祭があったので


  末っ子だけ連れて見物にいってきました。


  (上の子達はもう親についてこない(T▽T;)大きくなったのねー)




 いつ雨や雪が降ってもおかしくない曇り空。


 祭事の間は、降らないでほしい。

  
ソウルの教育ママ


 高い塔のようなものが、下巨里堂山です。


 その周りを、農楽のチームが踊ってまわります。



 
ソウルの教育ママ


 青い提灯と、白い提灯の二つがありました。


 青い提灯を持っているのは、女性ばかりですね!


 あれ? 白い提灯の方は?? 男女混じってます。


 別に決まりはないのでしょうか?



 
ソウルの教育ママ

  輪の中には、新郎新婦の扮装をした方も。



 


 堂山を真ん中に、何度も何度も、行列が回ります。



 旗には「上巨里堂山」「下巨里堂山」「中里堂山」などの名前がみえます。



 今日の祭事は「下巨里堂山」のためのものですが


 来月の1月は、「中里堂山」の祭事だそうです。



  

 参加しているのは、年配の方が多い。



 

 堂山の前のお供え物


 もっと近寄ってみると


 


 こんな風でした。


 

栗、棗、干し柿、梨、りんご、みかん 、餅


 豚の頭、  ジョン数種類、酒、 ミョンテ、ナムル数種類


 お供え物は普通の祭事と似ています。



 

  あ。そういえば、豚さんの頭はこっちにお供えされてますが


 体のほうは、横で見物しながらおいしく頂きました。


 

  巨大なたらいに 、なみなみと入ったマッコリといっしょに。



  




  


 指揮者(のような方)の指図で (ああ、祭事長ですね)



 


 みんなが巨大な縄を肩にかけて、また堂山の周囲を回り始めました。



  

 

 これが、縄の頭の部分。



 男の人、五人が担いでいました。



 

   この縄、とても重そうです。

 



 


 縄の先頭が、堂山の根元に近づきます。



 


 堂山に縄をどんどん巻いていきます。



 


 さっきの縄の頭の部分を堂山の突起にひっかけます。


  縄が重そう!

 

 なかなか上手く掛かりません。


  囃しの声はどんどん大きく力強くなります。


  

 もう一人うえに登って


  


 誰かが木の棒で手伝って


 

 

 掛かったー!!

 


  

  これが完成図!




   韓国の祭事というのは、家庭でやってもそうなのですが


  終わると、さっきまでのお供え物を即座に片付けて


  食べ始めたり、分けたりします。



 ぼけーと立ってた私には


 「子供づれかい?これもって行きな。」と


  瓶入りのシッケが渡されました。


 「あ、ありがとうございます」 (゚Ω゚;)


 

  参加者は昼食会場に移動。




 五巨里堂山保存会の会長さんが


 一緒に行こうと誘ってくれて同席しました。

 

 

 五巨里堂山祭に参加された皆さんと


 一緒にお昼のお食事を頂いて帰ってきた。


 

  周りをみると、、、非常に年齢層が高い。


 近くでみると、それが良く分かった。


 この年齢の方々が、この伝統行事を支えているということは、、、


 この方々に何かあったとしたら


 この伝統行事の継承者がいなくなってしまうということか。


 

 私も来年から白装束を着て、縄をかつぐことになるかもしれない、、、


 うちの子にも手伝わせて、


 いや、背が低いと縄かつげないか。


 

  この 五巨里堂山祭は現在、無形文化財に指定されているそうで


  全国で、お互いの出し物を競い合ったとき


  一等賞の「大統領賞」を獲得したそうだ。



   そのときの映像が食事中に流れた。

 

   コンクリートの町に、響き渡るサムルノリの音。



 そのてっぺんの吹流しが風にゆれ


  白装束の人々が、極太の縄を肩にビルディングの前を周る。


 堂山にはどんどんと縄が高く巻かれていく。


 てっぺんまで巻き上がった時


 周囲の人々から、一斉に歓喜の声が沸き起こる。


 この行事は、その昔、村の人々のつながりの証だったのだ。



 その姿は何故かとても感動的で、

 

  わたしは韓国人でもないくせに、


 なんとなく、「オラが村の郷土の誇り」を一緒に感じて


 目頭が熱くなった。



 この伝統行事を担うおばあちゃん達が


 これから若返るってことは、ちょっとムリムリだ。




 ということは、後継者を育成しないと、


 行事が廃れちゃうんだけど


 この規模の大きな行事を支えられる共同体というのは


 もう地元には存在しない。


 だって農村は過疎が激しくて


 特に若年人口の流出が著しいから


 老齢人口が高い。



 田舎でも若い人が組織的に活動できてる団体というと、、、


 「キリスト教」だよなあ、、と思うのだけど



  キリスト教を信じている方達が、


  「韓国固有の伝統信仰の保存に努めましょう!」と


 総出で力を貸してくれるとも思えない。


 あっちにはあっちの神様がいるもんなあ


 偶像崇拝禁止だし。




 いっそ、この町に存在する約400人の外国人女性とその旦那。


 プラス子供達で1000人くらいになるから


 その方達の協力が得られたら、


 「外国から来た私達こそが、韓国郷土の伝統を守ります!」ってことで


 「多文化女性が中心となって運営する五巨里堂山祭」って


 いう面をアピールするとか。


 それはそれで面白そうだなあ。


 



 しかし、私はこの「五巨里堂山祭」を見ていると


 なんだかうきうきして、力が湧いてくるような気がする。


 外来のありがたい神様よりも、道端の神様の方が身近に感じる。



 この「五巨里堂山祭」だけじゃなくて


 あっちでもこっちでも伝統文化の後継者育成が

 

 難しくなっているという話を聞く。


 

 できることなら、、残して次の世代におくりたい

 

五巨里堂山祭に関わった皆さんとお昼を頂いた後


 家に帰ってきたのだが


 帰り道の途中に、別の堂山があるので写真を撮ってきた。



  
ソウルの教育ママ


 これは「中里堂山」    


 来月こちらにも新しい縄が巻きつけられる。


 


 今日の祭事の中心に置かれていた「下巨里堂山」とは


 帽子の形が違うのに注目。


  
ソウルの教育ママ



ソウルの教育ママ


帽子の形にも意味があるという。




 

 この中里堂山はハラボジ堂山(おじいさん堂山)


 

 これと対になっているのが


 

 この木


 

 
ソウルの教育ママ

 ハルモ二堂山(おばあさん堂山)と呼ばれている。



 

バックに控えている山の頂を基点として


 

 堂山の方向が決められているそうだ。



 

 ここから5分ほど歩くと


 

 また別の堂山



 

 

 これも ハラボジ堂山


 

  


 

 

 鎮南 ー南を鎮める。


 

 これらの堂山が立てられた時代に


 

 この町で、天変地異が起こり、飢饉があったりしたそうで


 

 地の安全祈願のために建てられたとの見方が


 

 一般的であるが、

 

 一説では「日本からの襲来を抑えるための祈願の意味もあった」という。



 

 私が、ここに日参して


 

 「もう、日本が攻めてくるなんてことはありませんから


 

 どーぞ安心してお休みくださいませ


 

 最近の日本人、相当覇気がないですし。


 

 韓半島のみなさん、日本人が残酷だとか思ってるでしょうが


 

 現在かなり温厚でございますから!!」


 

 と慰霊しないといけないな。


 

  まったく秀吉さんよぉ。


 

 


 

 

  これと対になっているハルモ二堂山は



 

 

 自然岩である。


 

 実は、この岩の裏に7つの穴がある。


 

 その穴の大きさが直径2センチから3センチくらいの


 

 同じくらいの大きさで


 

 しかも形が、北斗七星の形に彫られているというものだ。


 

 

 裏から写真を撮ってみたが


 

 全然分からないのでアップはしませんが。



 

  風水プラス天文学とのかかわりがあるのは確かで


 

  何故北斗七星か??ということに関しては


 

 まだ研究が進んでないそうだ。 (夫談)



 

  こういう伝統的な遺物に対する価値認識が


 

 非常に薄かった時代が韓国にはあって、


 

 その時代に、この「堂山」たちも撤去されたり壊されたりして


 

  昔と同じ形をとどめていない。



 

  この堂山はそれでもたかだか200年であるが


 

 この町の世界遺産「コインドル」にいたっては


 

  何千年である。


 

 

 それなのに、、、コインドルまで、


 

 もともとあった場所から動かして、


 

 別の場所においてあるものまである!!


 

 道路作るのに邪魔だからとか。


 

 こんなところにでかい石があったら家が建てられないとか。



 

  これは絶対動かしたらあかんやろー!!



 

  なぜかというと、

 

  遺物がある場所自体が、


 

  古代の決まりごとを研究する上での大切な資料だからだ。


 

 

   日の出の時間、日没の時間、


 

  春分の日の日差しの角度、中心となる山との距離。


 

  そういうものがすべて考慮されて、遺物がそこに作られたので


 

 古代のことを模索しようとするなら、


 

 どの場所にあったかということは


 

  非常に大切な要件になる。


 

  ぜったいに動かしてはいけない!!



 

  


 

  

 一番最後の写真の堂山なんかも


 

 ビミョーな位置にある。


 

  よそのオタクの塀のわずか50センチ横。


 

  撤去されなかったのが不思議なくらいだ。


 

  


 

   人様の敷地の中にある堂山もある。



 

  それでも残っててくれて良かったと、感謝。