日本の観光

徳島紀行(2)2012.1.25

백강 문정사랑 2013. 9. 13. 10:57

徳島にハングルの碑文がある。



 

   

  ということを、去年、何かの観光案内で見つけたので

 

 今回その碑文を探してきました。


 

博物館の学芸員さんに聞いたところ


 

  「よくわからない」ということでした。



 

  徳島県立図書館に立ち寄った折、


 

 資料を探してみました。


 

  ちゃんと関連書がありました。





 

  




 

  



 

幕末の国学者・岩雲花香が建立した「鯰の歌碑」

   

 徳島県の阿波市の入り口にあるのですが


 

 (徳島市から西へ約一時間足らず)



 

 探しにくかったですねえ


 

 目印になるはずの神社ももうすでに


 

 他の神社と合祀されてしまい


 

 鳥居しか残っていませんでしたし。







 

神社のなごり鳥居の横に





 

 



 

  


 

  
ソウルの教育ママ


 

 この碑です。




 

 



 

 ほんとにハングルでした。


 

 うちの子供たちが読んでました。



 

 古代文字だとか神代文字の碑だとか言われていたはずのものなので


 

 興味深深で向かいました。




 

 この碑のために


 

 ハングルのルーツは日本にある!と主張する学者もいるほどなので。



 

  それどころか


 

 古代の阿波に邪馬台国があったとか


 

 それ系の証拠の一つになっていたようです。


 

 



 

   1862年、江戸時代に建てられたものです。



 

 



 



 


 

 詩自体は


 

 

  岩津のふちの底の鯰よ、波の間に出てその姿を見せてほしい



 

 という内容だそうです。




 

  

 石碑の前には吉野川


 

 ここはちょっと前まででも、渡し舟が出ていたそうです。



 

 古代文字、神代文字という説が一体どこから出たのか分かりませんが


 

 江戸時代の学者が、それも下関だのなんだの 


 

 日本中で見聞を広めてきた阿波の学者が


 

 阿波に帰ってから


 

 19世紀に立てたものであるとするなら、



 

 これはただ単に、


 

 この学者がどこかで覚えてきたハングル文字を刻んで碑を建てた


 

 ということでいいのではないか?


 

 と夫と私は合意しました。


 

 古代とのかかわりだとか、このハングル文字が阿波発祥だとか


 

 そういうこと言わなくても。



 

 こんなところにハングルの石碑があったことはびっくりなのですが


 

 それが「邪馬台国」まで行くと

 

  ちょっと「???」




 

 徳島には剣山という高い山があり


 

 霊山として有名です。

 

 ここにもやはり伝説があります。


 

  モーセが昔ここまで箱舟にのって飛んできた、、、、の類です。


 

 契約の箱は剣山のどこかに眠ってるとか。



 

 私はこの話を二年前、剣山の山頂で、人から聞いて


 

 「そこまでいくとちょっと、、、、」


 

 と思いました。


 

 私にその話をした人はマジでそう信じているようだったので


 

 決して否定はしませんでしたが。



 

   そういう話をし始めると、


 

 話のつじつまあわせのために


 

  宇宙船までひっぱりだしてくることになりますから。


 

  思考に限界を持たせる必要はないけど


 

  自分で説明できないことを「宇宙船」に説明してもらおうと


 

  持ってくるのはまずいです。


 

 

 ということで、ここの碑はこんな感じでさささっと見学してきました。