徳島紀行(3)
おはようございます。
屋根に、道にと雪が盛大に積もっていますが、雪は止みました。
とても良いお天気です。
これなら積雪も徐々に解けていきそうです。
徳島はなしの続きを書いていきます。
今回の日本帰省のテーマの一つは
徳島の大名
蜂須賀家政の朝鮮出兵に関する内容を調べることだった。
朝鮮出兵は二回
1592年と1597年
韓国では 1592年の朝鮮出兵を壬辰倭乱と呼ぶ。
今年、2012年も壬辰年
この読み方数え方は、60年周期で回ってくる。
1592年から2012年の間が、ちょうど420年
つまり豊臣秀吉最初の朝鮮出兵からの今年で7回目の壬辰年
今年韓国では壬辰倭乱に関する記念行事や学術セミナーがいくつか行われるそうだ。
大体、なんでいきなり蜂須賀家政の朝鮮出兵を調べようかと
思ったかというと
きっかけはこの本だった。
去年の秋だったか、家で何気なくめくっていたら
- 豊臣秀吉の朝鮮侵略 (日本歴史叢書)/北島 万次
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第二回の朝鮮出兵のときに、徳島の大名である蜂須賀家政が
韓国全羅北道の井邑という地区で軍会議をしていたという記述があった。
この井邑というのは、我が家から車で20分か30分ほどの町である。
そして、また蜂須賀家政の部下である水軍の大将である森氏が
全羅南道の霊光で、鄭希得という文人を捕まえたという記録があった。
霊光というのも我が家から車で20分くらいの海辺の町だ。
いまは原発を抱えていることで有名だが。
それなら、この蜂須賀家政さんは
私の住む町、高敞(コチャン)まで攻めてきた可能性があるので
詳しく調べてみたいと思ったのがはじめだ。
高敞側の郷土史では、当時ここにまで倭軍が来たらしいことは
分かっているが、攻めて来たのが、どこの誰だかはわかっていない。
霊光で捕まってしまった鄭希得氏は
そのまま徳島に送られる。
が、何とか朝鮮に帰ろうと努力し、方法を模索し、
本当に自力で朝鮮に帰国する。
そのことを帰国後、文章に残している。
それが 『月峯海上 録』
日本語翻訳版も出ている。
当時の阿波の姿が書き残されている貴重な資料だ。
この方は第二次朝鮮征伐で捕まってきたが
すでに徳島には第一次征伐(1952年)の時から
徳島に連れてこられた朝鮮人がたくさんいたそうだ。
鄭希得氏は彼等に「祖国に帰ろう!ここを出よう!」と
語るのだけれど、阿波暮らしが長くなった朝鮮人たちは
もうその元気がないのか、このまま阿波に滞在することを選択する。
鄭希得氏は非常に達筆だったらしく
なにかを書くことで、金銭を手にできたようだ。
そのたまった銀を東獄という僧侶に渡し
なんとか、蜂須賀家政にとりなしてもらい
ことあるごとに 「故郷のアボジに会いたい」
「このままでは親不孝のまま、
アボジを死なせてしまう」」
と嘆願をつづけ、
とうとうその願いが聞きれれられて、
帰郷を許されてしまったというすごい人なのだ。
この東獄というお坊さんにそんな影響力があったのか??と調べてみると
蜂須賀家政の義兄弟だったようだ。
とにかく、その鄭希得氏の書き残したものや
この「海上録」に書かれていたものが、
今でも徳島にあるのか?
という疑問をもって、
すでに何度か連絡を取っていた徳島県立博物館の学芸員さんを尋ねた。
つづく。