こんなこと、あんなこと

3月がやってきた2012.3.1

백강 문정사랑 2013. 9. 16. 11:13

高校での出張古書整理は火曜日にやっと一段落しました。

 


 

  祝・埃脱出!


 

  で喜んでいたのですが


 

 とにかく早く、あの部屋から脱出したくて


 

  韓国語訳を付けるのは


 

  後回しにして日本語だけを記入していました。


 

が!

  どうして戦前の漢字というのは、こんなに難しいのでしょうか!

  ビルマとかシャムとか 

  全部漢字で書いてあるんですが

   あまりにも漢字が複雑で、

  パソコンで打ち出すのが困難です!

  人名も右におなじ!

  これって一体どう読むの???という名前がぞろぞろ出てきて

  その度に確認です。


 

  

 親の愛とこだわりもたいがいにせーよ!って感じです。



 

 いやいや、こうしてこだわった名前をつけたからこそ


 

 こうしてこんな立派な本の著者になったのかも?



 

  大体この時代に出版されている本の著者って


 

   何とか博士って名称がついてる人ばっかりです。


 

   女性の著者は非常に少ない。


 

   そういう時代だったのですねえ。


 

  

  女性の手によるものが出た! と思ったら


 

  「源氏物語」とか「枕草子」だったりするんですよねえ。



 

  


 

  現在は、その記録に韓国語翻訳を引っ付けています。 


 

  早く作業を完成させたいのですが、時はまだ冬休み


 

  私は子供達の飯作りとおやつ出しに追われています。


 

  

  韓国の学校は3月始まりですが


 

  本日は3月1日 、そう 3.1節で休日なんですね

 

   1919年の万歳運動の日です。



 

   さっきスーパーに行くために外に出たら


 

 何件かの家には韓国の国旗がはためいていました。



 

   うちはテレビをつけてないので


 

  世の中の流れに疎いのですが、


 

  韓国の大手ネットサイトのメイン画面にも


 

   大極旗がひらひらと。



 

  韓国では学校の春の始業式が始まる前日に、


 

 いつもこの3.1節があります。

 


 

  なんとなく


 

  韓国で母親業をしている人にとっては


 

  「お昼ごはん何つくろう?と

 

 考える生活からの解放の日」



 

 のような気が。 ははは。


 

   



 

 さて、この期間、


 

 とにかく、目の前に押し寄せる頼まれごとが多くて


 

とてもこっちのブログまでたどり着けませんでした。



 

 まきさんが日本にいてどんどん書評をあげてくれるのをいいことに


 

 一読者として楽しんでいました。

  


 

実はアップしたい出来事が、この期間実にたくさんありました。



 

 自分がセミナーで発表した日帝時代の歴史内容などもそのうちの一つなのですが


 

  それ以外にも


 

 まず、夫が知り合い二人を「お見合い」させました。


 

  34歳の男性と31歳の女性です。



 

 男性は夫の大学院の後輩で現在は会社員。


 

 女性は、夫の事務所の下にある銀行の受付の女の子です。



 

 「おまえら、絶対相性がいいから、さっさと結婚しろ」といって


 

  会わせました。  一体何を根拠に???


 

  彼は


 

  「見たら分かる!」そうです、、、、


 

 さて、あのあと二人はどうなってるのか???



 

 これが一週間前。




 

 同時期に、ソウルから夫の友人が


 

 この町に引越しして来まして


 

 その手伝いをしていました。



 

  私達夫婦も三年前にソウルからこの町に越してきたものです。


 

  ご主人の故郷とはいえ、なれない土地の暮らしというのは大変です。




 

  うちの夫は、今からこの町に住む友人家族が


 

  どうやったら経済的に安定してしっかり生きていけるかに


 

  とてもとても気を配っていて


 

  友人の仕事をあちこちに聞き合わせ


 

  実際にいくつも仕事を探してきました。



 

  このご夫婦が田舎に下りてきたのは


 

 ご主人の強い意志です。



 

  奥さんにしんどい思いをさせること、

 

 不便な田舎暮らしをさせることを申し訳なく思ってるご主人は


 

  「オレはこれから変わるから!


 

   家のことも、子供のことも


 

  今までは嫁さんに任せっぱなしだったけど


 

   これからはどんどん手伝うから!」


 

 と宣言しました。



 

  やる気満々で、奥さんが食事の支度を始めると、


 

  「何か手伝うことない?」


 

  といってご飯をよそってくれたりするのですが


 

  いままで全然やったことのない彼がよそうご飯というのは


 

  食べる人の食事量とゼンゼン合ってなくて


 

  子供達が「多すぎるー」「少なすぎるー」とぶーぶー文句をいい、



 

  「洗い物もするよ!」と台所に立つのですが


 

  これまた今までまともにやったことがないので


 

 ものすごーく要領が悪くて


 

 ものすごーく時間が掛かります。



 

    奥さんがせっかちな人だったら、


 

  「あんた邪魔よ、シンクで他のことができないから、


  もういいわ! さっさとどいてよ

   

  私がやるから」 


 

  といって台所から追放されてしまいそうな手際です。

 


 

  が、奥さんが心の広い人なのでそんなご主人を笑ってみてました。



 

  このご主人の決意を受けてか


 

 奥さんの表情がすごく明るくなっていたのが、私にとっては


 

 一番嬉しかったことでした。

  



 

 このご夫婦が田舎に下りてくるための準備期間に


 

  奥さんの顔がいつも暗かった。


 

  いつ見ても奥さんの顔に縦線が入ってた。



 

  そりゃそうでしょう。


 

  田舎に行きたい、暮らしたいと思ってるのはご主人一人なんだから。


 

  住み慣れたソウル。


 

  近所のスーパーに行けばすぐにあるドリップコーヒーの豆。


 

  洒落たパン屋さん。


 

   お昼ごはんに食べにいけるパスタの店。


 

  午前中には朝割引で、ママ友と映画館。


 

  


 

  何年も親しく付き合ってきた気心の知れたお友達。


 

  ママである自分も子供達もそれは同じこと。



 

  そうやって都会で広がった根をずぶずぶと抜いて


 

  新しい土地に根付かないといけないのです。


 

   奥さんは大変です。



 

 私も田舎に来るとき同じ経過を辿ったのですが


 

 ソウルを出るときに、知り合いの韓国人オンマたちは


 

  「絶対行かない方がいいよ」と言いました。


 

 その理由は「田舎に下りたら旦那側との親戚づきあいがどっぷりと始まる」から。



 

  

  実際 そのとおりになりました。


 

  祭事のたびに、もういやんなるー!!


 

  3年前は、元気だった義母がこの期間にほとんど寝たきりになり


 

  結果一番近くにいる嫁である私に、いろんなおつかいが降ってくるようになりました。


 

  

  「だから言ったじゃない!」


 

 というソウルママ友の声が聞こえそうです。



 

  しかしですね、いろんなことがあったため


 

 自分の価値基準というものがより明確になり


 

  そのおかげで私はますます神経が図太くなり


 

  「出来ないもんはできねーよ」


 

  がよりはっきりいえる性格になりました。


 

  

  結果元気に生きています。



 

  

  自分もいろいろあったから、いろんな不安があったから


 

  今からここで生活する人が、


 

  楽しく元気に生きていけるサポートができたらという気持ちでいます。


 

   先に田舎に下りてきた人間として。




 

 そんなこんなで、忙しくしていました。


 

 子供達が学校に行けばちょっと時間ができて


 

 またブログ書けるかな? と思っています。


 

  これからもよろしくお願いします。