高敞高校枡富さん関連

枡富安左衛門さんのこと2012.3.7

백강 문정사랑 2013. 9. 16. 11:33

 高敞高校創立者、初代校長である


 

 枡富安左衛門氏

  

  のことを紹介します。


 日帝時代の朝鮮に教育投資をした方です。



  前の記事よりももうすこし詳しいことが分かりました。


 といっても、まだ日本からこれが手元に届かないので



 

今私がわかることは

 


 

知られざる懸け橋―枡富安左衛門と韓国とその時代/黒瀬 悦成
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 この本にも枡富さんのことが載っているそうなので

 とりよせました。


 

 

日韓共鳴二千年史―これを読めば韓国も日本も好きになる/名越 二荒之助
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枡富安左衛門(ますとみ やすざえもん)

 

  

  たしか前の記事では「まつとみ」と書いてしまいました。


  実際にはますとみで、しかもお名前の読み方は


   「やすざえもん」のようです。


  韓国側の資料では「あんざえもん」になっているのですが


 日本の伝記資料では「やすざえもん」ですね。



  ネットでの紹介は


    http://www.tamanegiya.com/bunnkakunnsyou.html



    http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h20/jog564.html

   

  


  



  


  他にもいくつかあるのですが、出典は同じもののようです。



 

   枡富氏は1918(大正7)年から、全羅北道高敞郡富安郡という地域で


 

    キリスト教教会の富安教会


 

   そしてその後高敞高等学校となる吾山学堂を設立しました。



 

   高敞高等学校は設立からして、非常に特異な経過を辿っていますが


 

  教育もそうだったようです。


 

  


 

  日帝時代という時代の中で、


 

  ハングル教育の余地がどんどん削られていく中


 

  この学校では「民族精神を守る」ということで


 

   ハングル教育がなされていたそうです。


 

   時代の荒波の盾になり


 

    教育の場からハングル教育を追放することを肯定しなかったそうです。


 

   独立運動をしたために学校を追放された朝鮮人学生にも

   

    門戸をひらいてうけいれたそうです。



 

   この最後の話は昨日高敞高等学校の校長室で


 

   現在の校長先生から直接聞きました。


 

    頂いた学校の校史にもその記述がありました。


 

   

   

   

  枡富氏は朝鮮の人々の 精神啓発に一生を捧げながら


 

  その理想を実現するための経済活動をしました。



 

   彼の建てた学堂での教育は無償でした。



 

    人材を養成しないといけないという信念をもっていた


 

   枡富氏は朝鮮人学生三人を神戸の神学校に留学させます。


 

   彼らは朝鮮に戻った後、枡富氏の力になります。



 

   そして農業で朝鮮経済を豊かにするため


 

   枡富氏は先例として「デンマークの農業」をお手本にしていたようです。


 

   



 

    高敞高等学校の古書整理の際


 

   「丁洙」という文字がやたらと出てきて



 

  一体これはなに? と思って調べてみたら「デンマーク」の漢字表記でした。



 

  「丁洙の農業」に関する本がたくさんでてきました。



 

  高敞郡富安郡では果樹園経営


 

  同じく全羅北道金提には枡富農場を経営。




 

   しかし彼は残念なことに


 

    1934年 53歳という若さでこの世を去ります。



 

 この枡富氏の業績は


 

  その後、高敞高等学校の卒業生である韓国語学者の韓甲洙


 

  そして後世の富安小学校校長となった鄭成沢氏が中心になって


 

   韓国の国会に文章として提出されたそうです。


 

  これが1995年です。


 

  



 

「枡富氏は日本人であっても、我が富安を愛し、


 この地に開花の種をまき、我が高敞を切り開いた恩人である。


 このような人物を、日本人だからといって

 このまま埋めておくには大変惜しい。


  学校教育の場では、隠れた郷土の教材を発掘し、

 積極的に活用することは重要な教育機能の一つであり、

 これこそが生の教育の一つではなかろうか。

    一部省略


 枡富氏は韓国を心の底から愛し、我々同胞を愛した先覚者である」

  という訴えが認められての


 

  1995年  韓国の国民勲章牡丹章受賞


   となりました。


 

  鄭成沢氏は学生達に


 

  

   

「皆さんは、日本人が建てた学校に通っている。

韓国民を熱烈に愛した日本人が、

その熱情に動かされて建てた学校に通っているのだ。
 皆さんは、それを誇りに思ってもらいたい」


 

   


 

   と語ったそうです。 反日の時代背景の中


 

    そのため彼は校長職を追われたそうです。




 

  私は現在の高敞高等学校の校長先生の依頼で


 

  この枡富氏に関することをもう少し詳しく調べることになりました。




 

   「枡富氏に関して私達の知らないことがあったら教えて欲しい」


 

     ということで。




 

   おそらくこの二学期以降、私は高敞高等学校の学生達に


 

  「高敞高等学校創立者、

  枡富安左衛門の教育理念」


 

   というテーマで講義することになります。

 

      もう夫が学校に講義の予定をいれましたから、、、、、予定というより確定です。


 

   


 

   私がおそらく学生達に言えることは



 

  『反日とか、反韓とかそういうものを超えた未来を


 

   私達が作っていくために、歴史に学ばないといけない。



 

   あなた達の通っている学校はまさに


 

   「日本」や「朝鮮」というナショナリズムを超えた次元の考えのもと


 

  創設された学校です。



 

   100年近く前に、現実にそうやって難しい時代を生きて

 

   逆風の中、未来に道を開いた人がいたのです。


 

   それがあなた達の学校の創設者です。



 

   この学校の生徒として学んでいることをどうぞ誇りに思ってください。



 

  この町は、今は、韓国の片田舎、人口がどんどん減少しているただの農村漁村。


 

  でも、100年前にこの町で開かれた教育は


 

   朝鮮全土どこにも見当たらなかったほどに崇高な理想をもっていました。


 

 


 

  そして夢を実践しうるバランスのとれた能力を養成しなければ

 

  理想はただの夢に終わることを創始者が見せてくれました。


 

  あなたたちは新しい韓国、今以上により良い韓国を作る力になってください!」



 

  ということだろうと思う。



 

  私は枡富さんみたいな人が現在私の住んでいる町に


 

  いてくれたことに、心から感動して感謝している。



 

  そして、枡富さんみたいな偉人の奥さんってどんな人だろうか??と例によって


 

  思っていたら、これがあったのだ!


 

  枡富婦人の本が!


 

   別記事で紹介します。