韓国で「美術」や「音楽」などの勉強をさせると?(2)
韓国で芸術系の勉強をさせると? の続きを書きます。
どうでしょうねえ
あの教育費用をみてもしかして
「意外に高くなかった」 と思った方もいるでしょうか。
何しろ、昨日読んだこの本によると
(まきさんに借りました。
すごく興味深い本だったのでそのうち紹介します)
- プリンセス・マサコ―完訳 菊の玉座の囚われ人/ベン・ヒルズ
- ¥1,890
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学習院の付属幼稚園の一年間の授業料は
160万円台からはじまるそうですから。
そういう教育をしている方にとっては
私が「えー!高い」と思ってる金額は
「そうでもないじゃない」 かもしれません。
こちとら韓国の庶民に嫁ぎましたからね。
ソウルにいる駐在員さんたちとは
「身分!」が違うんです。
庶民どころか、
私は先日夫の親戚関係のお金の揉め事で疲れて
(私が現在家族の通帳管理人)
夫に
「あんたの家ってほんっとに韓国の下層よね!」と
毒づいたくらいで、、、
夫はイヤーな顔をして聞いていました。
いつもだったら
「いや、うちの14代前の先祖は、、」とか
言い返してくるのでしょうが、
最近夫は忙しいのでお疲れのようです。
なんにも言わない。
言ったところで私に
「古代の話すんな!」で怒られるのは目に見えてるし。
最初から「億くらいはかかるだろう!」との意気込みで
芸術教育にかけてきた人、
その準備と蓄えがある人には
どってことない「その世界の常識」なのでしょうが
まったく関係のない世界の人から見ると
なんでそんな出費すんの???
ということでしょう。
たとえば私なんかは実家に帰るたびに
山のように日本の本を抱えて帰りますし。
ほかのものはケチっても本に関しては
ぱかっと財布が開くのですよ ああそうですかと
これも、「本」に興味のない、必要性を感じない人には
なんでそんな出費すんの?
のひとつでしょう。
以前ここに紹介した
韓国舞踊の将来の無形文化財候補
「踊る住職」 金明昴さんが
以前わたしにこうつぶやきました。
「 なにかに呼ばれているって感じでね。
同じように踊っても、残る人と残らない人がいるんですよ。」
ということなのでしょう。
「踊るひと」というのは
おうちに経済力があってもなくても
「踊るひと」の人生を選んでいくのかもしれません。
私の実家のある町から、
昔の宝塚のトップ男優がでてまして
そのせいで、町からバス一台だしての
「宝塚参りツアー」が何度かありました。
そちらのお母さんが言ってたのですが
「うちの娘が宝塚に受かるとは実は夢にも思ってませんでした。
だって、試験場にいったら、
ものすごくきれいな子ばっかりなんですよ
バレエとかタップとかすでにもう『踊れる子』ばっかりで。
うちの子なんかそんなレベルではなかったですから
これはただの受験記念に終わるんだろう
神戸観光なんだっておもってたら、、、
入れるだけでありがたいと思ってたのに
なぜか組を背負ってたつ人になったときは
(やくざのような表現になってしまいましたが)
とても信じられなかったんです。」
とおっしゃった、
その町のスターはちゃんと羽を背負って
電飾の階段のど真ん中から下りてきましたよ。
その人は時期としては
鳳蘭と大地真央の間にいたくらいで
知名度としては、その後それほど芸能界で聞かれなかった人です。
しかしあの人のおかげで私は何度も
「宝塚舞台」をみました。
すっごい人数の人が一糸乱れず踊ってて
顔もメイクで塗りつぶすので
これでは「元の顔のよさ」ってあまり関係なさそう
ごまかせないのは背くらい?
毎日踊れば、どんな人もそれなりに上手にはなるでしょう。
この中で一等賞になるって何が違うんだろう??
そして私はそんな舞台をなんど見ても
「自分もあーなりたい」 とは
これっぽっちも思わなかったのです。
本当につめの先ほども。
私は『踊るひと」ではなかったのでしょう。
私が不思議なのが
韓国の美術大を卒業したと自分で口にする
「美術専攻」の人間のセンスがあまりよくないというか
この人『美」になんかこだわってないのではないかと
いう人がいるんですね。
本当は「美術」をする人じゃないのに『美術専攻」になった人。
あれは『向いてないことを長くやってしまった人」なのでは?
ゆうこさんも最初から
「むすめを舞踊家に」 と意気込んでいたわけではないようです。
ただ、たまたま『踊り」と関わるきっかけがあり
やってみたら、お嬢さんがとても楽しんでいて
どうも舞踊に向いているようで
試験を受けたら受かってしまい、、、
というのが入り口だったようです。
最初から準備して入ったというわけでもないそうです。
ゆうこさんの嫁ぎ先やご主人が
すごいお金持ちだったというわけでは
ないそうで、普通の家庭。
でも、お嬢さんが「舞踊」をやることになったので
ゆうこさんが外に出て、
ガンガン稼いでくる必要が出てきてしまったようです。
これは今回聞いたことではなく
去年の冬にゆうこさんに聞いた話です。
「もう、舞踊を辞めさせようとか思わなかったんですか?」
「思いましたよー。何ども思いました。
一度なんか占い師に見てもらいに行きましたよ
続けさせてもいいものか? 続けられるものなのかって迷って。
ところがその占い師ね
『大丈夫だから続けさせなさい』
っていうのよー
『この子が踊るために必要なお金はちゃんと準備できるから』
だってー!!」
占い師のお告げはともかく
本当に、ゆうこさんのお嬢さんに関しては
なぜかそうなってきて、
だから、その結果高校生になった今も
おじょうさんは「舞踊科」に学生なのだそうです。
親がひーこら費用を準備するという大変さはあるけれど
(庶民の場合ですけどね)
まず子供自身が自分が「舞踊が好きである」という自覚があり
好きな勉強を高いレベルで専門的にやれるという
純粋な学ぶ喜びがありますね。
これは親にとっても本当に大きな喜び。
特になにが楽しくて何がすきなのかさえ
見つけられない子供たちが多い時代
これは貴重なことです。
いくらでもお金があふれてくるような家の子でなかったからこそ
「これってすごくお金がかかるんだ
親は相当負担みたいだ。
本当に続ける気があるの」
という問いをいつも自分に投げかけて
早いうちから自覚的に勉強できるので、
もしかして「湯水のようにお金を使える同級生」よりも
真剣に「学ぶ」ことができるかもしれない。
ましてや芸術表現にあたって
特に韓国舞踊なんかでは、
ひとつのテーマとして
ハン(恨)の心の表現があります。
思うようにならない苦しみと自分の願う世界への憧れの表現、
これを、何不自由ないお嬢様に表現してもらうのは
ご本人が大変です。だって苦労してないんだもん!
だから 姫川亜弓
北島マヤに嫉妬する、、、 (まだ脱線)
そして「芸術家」として、外国を回り、舞踊を披露する事で
小さい頃から海外経験、社交経験を積み重ねられる可能性がある。
(ゆうこさんのお嬢さんの入っていた舞踊団は、
特に海外公演の多いところでした)
このお嬢さんがこれからさき「舞踊」を続けていき
大学の科も『舞踊科」を選択して
「舞踊家」になるかもしれない。
もしかしてここまでやってもならないかもしれない。
それは分からない。
だけど、今まで積み重ねてきたこの教育は
ゆうこさんのお嬢さんにとって
絶対に無駄にならないだろうと
ゆうこさんの話をきいて感じました。
こういう「高いステージ」の教育を子供に提供する親の努力は
尋常ではなく、そのためにずいぶん無理もしてしまったようです。
ゆうこさん。
去年の末から体調を崩したってのも多分その余波。
なんか、聞いてて涙がでてきたんですよ。
うわーん!!
ゆうこさんがお嬢さんに施してきた「教育」は
多分私が子供にしてきた教育とは全然違う。
私だったら、『回れ右』しちゃいそうです。
だけど、「舞踊」に足つっこんじゃったお嬢さんが
続けられるように、そこにいられるように
子供さんのために一生懸命支えてきた
ゆうこさんの頑張りとか
気持ちが、あんまりにも一途で
「あなたはすごい!」
と心から思い尊敬しました。
うちのブログの名称は
「ソウルの教育ママ」ですが
この名称を冠にしてのっけてあげたいのは
ゆうこさんの頭の上。
こーんなすごい体験をもってるのに
ご本人あんまり「書く」ということに
情熱が沸かないようなので
私が代って書かせてもらいました。
感激! 人の貴重な体験を分けてもらえる立場にある
「書く人」って、なんてありがたいんだろうと思います。
ちゃんと書ききれたかどうか分かりませんが。
ほんとはゆうこさんから
その時々の『舞踊」にまつわる写真とか
お嬢さんの海外遠征の記録とか
それこそお嬢さんからの一言までもらえたらもっといいのですが
今回はここまでです。
みかちゃんの方が「奇跡のみかちゃん」にしたから
ゆうこさんの方はなんにしようか?とか
まきさんと話してたのです。
私は良いタイトルがばーんと浮かばなかったから。
まきさんは 「うーん、偉人の母っていうイメージが近い感じが」
といってました。
「偉人の母 ゆうこさん」 か。
やってることはまさに偉人の母なのだけど
ちょっと言葉が重いかしら?と思い
今回は使わなかったのですが
わかんないですよー
今韓国人ソプラノ歌手のチョ・スミみたいに
韓国人バレエダンサー、指揮者たちも
どんどん世界水準で活躍していますから
ゆうこさんのお嬢さんだって
将来どう化けるかわかりません。
そのときは堂々と偉人の母 というタイトルを
引っさげて、もっと前面に出てもらいましょう!
ゆうこさん 貴重なお話ありがとうございました。