史石墓以上の名物2012.3
支石墓以上の名産物
2月15日、高敞文化研究会の総会を兼ねた学術セミナーがあった。
セミナーのテーマは、「高敞の金性洙一家」だった。
これに関わる3つの発表があった。
私もその場で、「京紡の発展と資本蓄積過程」についての研究発表をした。
京紡と朝鮮総督府との関わり、総督府の管轄下にあった朝鮮殖産銀行と京紡の関係とその変化について、韓国にはない資料での研究内容を紹介した。
時代的背景の知識なくしては、歴史に正しい評価を下すことができない。
正確な判断のためには、その「時代の常識」を常に考慮にいれることが不可欠である。
1905年からの40年間は常に
「日帝時代」の一言で表現されるが、
それは決して短い期間ではなかった。
植民地時代からの40年は朝鮮が韓国という国家に転換する重要な期間であり、
この期間、政策においても世論においても相当の変化があった。
その変化の中心地ともいえるこの高敞の文化研究会で、
地元と関係の深い人物の業績を題材にして発表できたことには、
大きな意味があったと思う。
私の拙い韓国語にも関わらず、
聴衆は最後まで熱心に耳を傾けてくださり感謝している。
研究内容の評価は私が決めることではないが、
ある方が感想として
「今まで全く聞いたことがない話だった」とおっしゃった。
それならやはり外国文献を引いて紹介した意味はあったのだろう。
(これがもとの資料)
- 日本帝国の申し子—高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源 1876-1945/カーター・J・エッカート
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高敞文化研究会のセミナーを何度か見学したことがあるが、
その聴講態度の良さにはいつも驚かされた。
2時間、時によっては3時間続く学術セミナーに、
100人近い会員が物音一つ立てずに見入っている。
私は最初非常にそのことに驚いた。
私は今回初めてスピーカーという立場に立ったが、
やはり聴衆は講師の一挙一動に注目し、話の流れについてくるための高い集中力を見せている。
講師として非常に話がしやすい。
何年か韓国の大学で日本語を教えてきたが
、残念ながら最近の若者たちの集中力はおそらくこの半分もない。
小学生に至っては、授業時間40分、
ずっと座っているのも苦痛であるという子供たちがいる。
一体この高敞の年輩の方たちの態度の良さはどこから来るのか。
他地域でも文化研究会に集まる年輩の方々はこのレベルなのか気になるところだ。
地域の良さを世間にアピールする場合、
ここにはこんな珍しいものがあります。
こんなに素晴らしいものもあります、というフレーズが何度も使われる。
高敞であれば、復盆子があります。鰻が美味しいですというところか。
しかし単なる名物の場合、それがあるからといって、
他地域の住人が高敞を尊敬するというものではない。
「いいところですね」で終りだ。
支石墓のような歴史的遺物の場合もしかり。
想像力の乏しい人間にとっては「過去はすごかったんですね」で終り。
しかし私は文化研究会の研究発表に集まる年輩の方々の美しい態度を見るにつけ、尊敬せざるを得ない気持ちが湧いてくる。
誰に強制されたわけでもない、ただ素直に「ああ素晴らしいな、
こういう態度で「文化」に臨む真摯な方が多く住んでいる高敞は文化レベルの高い」と思わざるを得ない。
しかもその尊敬は「現在進行形」である。
2月の上旬に牟陽城前で行われた、五巨里堂山祭を見学したときも同じような感覚を覚えた。
過去に五巨里堂山を立てた先人の知恵が素晴らしいだけでなく、
この現代に至ってもそれを継承し存続させようという熱のある方が活動を続けていることが素晴らしい。
堂山に巻き付ける太い縄を抱えている方々の顔を見ると、
それなりに結構な年齢の方である。
おそらく「膝が痛い」「腰が痛い」が日常的に口をついて出ているのではないだろうか。
行事のあとは何日か寝込むことになるのではないかと心配する。
五巨里堂山の行事自体もそう単純なものではない。
長時間の行列があり、パフォーマンスがある。
前日だけ参加者が集合して説明会に参加するようなレベルで実施されているのではないことが一目で分かる。
これは相当な裏舞台の蓄積あっての本舞台だ。
いくら口で「私たちは毎日このために練習を重ねてきたんですよ!]
と百回アナウンスするよりも、その実演を見た方が説得力がある。
この年輩の方たちのもつ「文化に対する深い尊敬」と
「文化を存続させる具体的実行力」というものは、
今のところ目にみえ、明確な形をもつものではない。
しかし確実にそれは人の心を揺さぶり、
感動させる力を持っている。
今は名前のない形のないものであるが、
将来的にはこういうものが資源化され価値を持つのかもしれない。
現在でも私は支石墓以上にこの高敞の年輩の方たちは、
高敞が誇りうる貴重な資源ではないかと思っている。
であるから私は他地域に住む友人たちが
「高敞って住んでみてどう?]と聞かれる度に、
「うちの町の年輩の方はすごいよ」といつもいつもそれを自慢しているのである。
こういう層は即席で作れるものではない。
また一過性の流行りものとして過ぎ去ってしまうものでもない。
「文化存続」のためには
「文化を理解し愛する人間」が絶対に必要だ。
高敞はそれを十分に備え持っている町である。