朝鮮ってどんなところ2012.3.8
これは先日高校の図書整理をした時に
後で読もうと思って目をつけておいた本の一つ。
タイトル 「朝鮮ってどんなところ」
高松健太郎著 1941年発行
この時代、すでに朝鮮は日本に併合されて相当の年月が経っています。
それでも内地の人(日本人)はまだまだ
「朝鮮って?」 であり、
よく分からない部分があったようで
内地の人向けに書かれた「朝鮮紹介本」です。
同じ作者が書いた『新満州国見物」はなんと三万部も売れたと
紹介文のところに書いてあります。
朝鮮の農業、民俗、風習、工業、食事などに関するあれこれを
軽く面白く気軽に読めるようにという趣旨で(おそらく)
書かれた本です。
ああ、またすごい漢字がでてきた。
白耳義 ってなんだか分かります?
ヒント ヨーロッパの国名
答えは ベルギー
よめんわ!
この当時は皇国史観が当然の時代でした。
みんな等しく天皇のこども
朝鮮人も天皇のこどもという枠組みにいれてあげるよ。
よかったね朝鮮人という論調が通底しています。
創氏改名に関してはこんな感じです
朝鮮人に日本人の名前を名乗らせてあげることは
彼らにとっては名誉であり、朝鮮人自らが望んだことであり
その道が開かれて本当に良かったねと。
朝鮮では結婚しても夫婦別姓です。 今でもそうですが。
そのことに関して著者は
同じ家族になっても
夫婦が別姓で家族としてのまとまりがない。
あれは非合理的なばらばらの集団だ。
家族は一つの姓を名乗るのが良い!
というものすごく朝鮮の民族性や歴史を無視した発言をしていて。
朝鮮人を日本人として日本軍の兵隊として
戦地に送るシステムはすでに出来ているのに
まだ朝鮮人の参政権が認められてない問題
同じ官吏なのに朝鮮人と日本人の給与に差がある問題
ということを扱う場合には
「そんなになにもかも一朝一夕にできるものではない!」
といってしまう論理一貫してない本です。
あんた、さっき何ページか前に、
朝鮮人と日本人のルーツは同じで、同一民族であるからこそ
同じように扱うことこそが、、、とかいってたやないの。
朝鮮人男子を兵隊に送るシステムは一朝一夕につくったのに
他のものができないわけがないじゃないの。
いえ、日本の国益にそって朝鮮を使うという視点でだけは
見事に一致している本でした。
この時代はそういう時代で、皇国史観にそった思考こそが
評価され歓迎されたので、こういう刊行物がでまわるのも当然のことで
こういった本がいくつか古書に混じっていました。
私はとりあえずは、「皇国史観」というジャンルをつくって分類しました。
最初は軽く「朝鮮研究」にしてあったのですが
あまりにもイデオロギーが強くて
ただの研究ともいえないので、「皇国史観」に。
この著者のこの論点じゃ
資料としての正確性はあやういなと思うのですが
当時を感じるための 読み物としては楽しいものです。
ゆっくり読んでみると、本の間に
こんな落書きが書かれていました。
かかる大言を吐くなかれ
いづれかは汝の頭上に天罰が下らん
日本人と朝鮮人は正に君が云うように
同一民族なり。
然れども朝鮮人が日本人の祖先にして
日本人が朝鮮人の祖先に非ず。
完璧な日本語でした。
といってもこれって内地人が書くわけないですね。
植民地当時にこの学校で教育を受けていた朝鮮人学生の手によるものでしょう。
あまりの日本語の達筆さと完璧さと
しかし描かれている内容の乖離に、
なんともいえない感慨を覚えます。
しかし当時図書館の蔵書に
こういう落書きをすることができたというのは
やはりこの学校が植民地状態の朝鮮内で
かなり独特な教育をしていたということをあかしています。
これは朝鮮征伐の資料のコピーです。
ソウル大の元歴史学の教授が私に送ってくれました。
この方も植民地朝鮮で
日本語教育を受けました。
現在90歳に手の届く韓国人。
私が「秀吉の朝鮮出兵」を調べているというと
『韓日での戦死者に関するいい資料があるから送ってあげよう」と
言って下さり
昨日手元に届いたものです。
端々に、日本語での書き込みがあります。
もう完璧な日本語。
日本人以外の人が書いたって信じられないレベルです。
そういう教育を思春期に受けてきた方たちなんですね。
若いときにバイリンガル教育を受けたこの方々は非常に優秀な方たちです。
うーん、私も今二言語で生活して
子供も二言語で育てていますが
私の場合、韓国移住は本人の意思です。
しかし植民地化にある人間の二言語教育は
義務であり、社会的承認と階級上昇の唯一の道です。
自分が望まない国語で教育されるということが
どれだけ心に傷を残すことだろうか。
私は達筆な落書きの字をみてそう思いました。
適当な丸みのあるバランスの取れた字
日本語の語感のテンポの良さ。
これを書いた人は優秀な学生だったのでしょうね。
今でもお元気でいらっしゃるのか。
この時代以降に、韓国では6.25動乱を迎えます。
うちの町ではものすごい数の犠牲者が出ました。
全北では4000人の犠牲者がでたというのですが
そのうちの1000人がうちの町からでた犠牲者だそうです。
いまでも田舎では口にするのがはばかられる事件です。
植民地時代に、中学校に通った学生というのは
韓国ではブルジョア子弟。
共産化の波の元では憎まれる存在です。
この落書きの主の行方は私が知りようもないことですが
書かれてからおそらく70年近い月日がたって
なぜか日本人の私が見つけた。
他に言いようもないので
ただ落書きの主に
「お元気でいらっしゃいますか?」
とあて先の無いメッセージを送った。