我が家の朝鮮人の墓の真偽
先日こちらの記事「えみこ感動!」(
今見ると、馬鹿みたいなタイトルですが、、)
でお伝えした内容のその後です。
この本の著者神戸在住のユン・ダルセ先生が
徳島の私の実家を訪問してくださり
我が家に伝わる
『秀吉の朝鮮征伐時連れて帰った朝鮮人捕虜の墓」を
見てくださいました。
これなんですけどね
実家にある墓石
二体あるのですが、一つは首がありません。
それで、このお墓を見に、
先日、ユン・ダルセ先生が神戸から徳島まで
走ってくださったそうです。
この方がいかに日本中を調査なさったかは
また追加記事を入れていきます。
すごいです!
沖縄の朝鮮人捕虜まで調べてます!
そこいらへんの○○歴史教授なんて
(○○にはアで始まってホで終わるものが)
比べ物にならないほどの実地フィールドワークです。
まず、我が家の先祖が、尾張流れなのかということに
関してユン先生が事前に調査してくださっていたのですが
そのことには確証が出せません。
確かに尾張から蜂須賀家政についてきた家臣の中に
我が家と同じ苗字を持つ家があります。
しかしまず、ウチの14代前のご先祖と名前が違います。
うちのご先祖、14代13代12代前くらい前までは
なんか武士っぽい名前なのですが
ある時期から名前が『町人、商人」的な名前に変化しているので
ユン先生のご意見としては
「最初武士だったけれど
ある時期から武士を辞めているようだ」
それで、武士を辞めても家紋というものは
変わらないはずなのですが、
我が家の家紋というのが
その尾張流れの家紋とは全く違う。
ということで、ウチのご先祖が尾張から来たということは
はっきり断定できないようです。
(どちらかというと間違っているんじゃないかと私は思います
時代劇の好きなうちの父が、
勝手にそう思いたくてこじつけたのでは?)
でもその時代に徳島の人間が朝鮮出兵に多数参加しているのは
事実なので、尾張流れでなくとも
朝鮮にウチの先祖が戦争に行ったということはあり得ます。
では、このお墓が『朝鮮人捕虜の墓である」ということの真偽に関しては?
と私は先生に聞きました。
昨日の午前中、ユン先生と電話してたのですが。
「それに関しては本当だと思う。」
ということでした。
「ウチは大昔、織田信長の家臣だった!」みたいなのは
先祖自慢と自分のルーツになんか神々しいものをくっつけたい
子孫の見栄である場合がありますが、
それに対して
『朝鮮人捕虜の墓が家にある」ということで
ウチのご先祖様が、
得をすることがないということです。
そういう話が伝わってくるというのは、
何の利益にもならない。
また、ユン先生が実地に調査なさった朝鮮人捕虜の墓の中で、
うちのと非常に似たものが淡路にあったそうです。
年代的にも墓石のスタイルというものがはっきりあるそうで
『本物だと思いますよ」
ということでした。
私が今朝、日本の母に電話で聞いた話です。
実はあの「朝鮮人捕虜の墓」が混じっていたお墓群というのは
経済的に没落した本家が墓の管理ができなくなり
そのとき元気いっぱいだったうちの父が
「しょーがないなあ、自分がやるか」
と手をつけたものだったそうです。
夏の暑い時期に、土で埋もれたお墓をスコップで掘り返し
父も母も
『暑さでこのまま死ぬかと思った、、、」そうです。
とにかくすべて墓石を掘り返して、
自分の土地に運んで供養したそうです。
その後、結婚以来10年以上子供に恵まれなかったうちの父と母が
続けて三人の子供に恵まれることになり
「もしかしてあれはお墓のお手入れのおかげ?」と
二人でびっくりしたそうです。
母には不妊友達という
それは堅い絆で結ばれた親友がいたそうなのですが
彼女はうちの母に口も聞いてくれなくなったそうです、、、
ザ・絶交!というやつです。
お墓のせいなのか、
たまたま子供ができる時期だったのか
わかりませんが、そんなこんなで
そのお墓はうちの母にとっては
『縁起のいいお墓」なんだそうで
母はしょっちゅうお墓参りに行ってます。
2012年一月の私の日本帰省の折
夫と二人で『朝鮮人捕虜の墓」を引っ張り出し
我が家のご先祖様と一緒に
お参りできる場所に移してから
ウチの母は
『なんだか分からないけど、いいことが続く!」と
言ってます。
若かったうちの父と母が『朝鮮人捕虜のお墓」を土の中から
掘り返してから、40年以上共同墓地に置かれていたそうですが、
それをやんややんやと言って
「もっとええ場所においてよ!」
「ウチの先祖が無理やり連れてきたん やからご供養もウチで!」 と
動かしたのは韓国にお嫁に行った私。
韓日を行き来している私には
ヒトゴトじゃないんですよ!!
この捕虜の方の運命が!
でもそれまでに年代から計算したら
『朝鮮人捕虜の墓」は
400年近く我が家の本家の墓所にあったわけです。
我が家の叔母の嫁ぎ先に
もっとたくさんそれらしいものがあるということですし
ウチにあるのなら、他のおうちにも
調べたらまだまだあるんじゃないかと思うのですが。
それで徳島新聞はどうなったのでしょうか?
とユン先生に聞くと
「こんな確証のない話じゃ取材に来ても
記事に出来ないと思いますよ」と
先生は笑っていた。
うちの父が
地元の名士として!
記者に声を掛けたのかどうか私は確かめていないけど。
うちの父はわが家の先祖が
尾張からの武家一族ではなかったという事実を
ちゃんと受け入れられたかな?
というのが私の娘としての気がかりです。
まあ、ええやないか
死んでから「あれ?間違っとったんか?」
とあの世でびっくりするより。
この世のことはこの世でカタつけて。
さあ、来月は
ユン先生が我が家までやってきてくださる!!
うちの町の文化研究会で
「壬申倭乱朝鮮人捕虜の日本生活」
というテーマで講演してくださる予定になっています。
私は今ユン先生の著作に目を通して
韓国語での紹介文を作るのに一生懸命頑張ってます!