こんなこと、あんなこと

どこで見分ける韓国人と日本人2012.4.9

백강 문정사랑 2013. 9. 17. 10:48

これは私が大学生に「日本語」を教えていたとき


 生徒達に良く話していた話なのですが


 それももう5年以上前なので


 感覚としては古くなってしまったかもしれません。


  2005年くらいまでのことです。

 





 「関西空港」とか「仁川空港」などの


  ソウルまたは大阪行き飛行機の待合ラウンジで


 「韓国人」と「日本人」を見分ける方法


 という話です。




  これは私が1990年代末から


  そのラインを何度となく利用しているときに


  定義したものです。




  まず


 「自分の写真を

 一生懸命自分で撮っている人」


 

 飛行場をバックにして


 携帯を自分に向けてパチリとやりまくっている若い子


 これはもう間違いなく韓国人だ!と私は決め付けていました。



  日本人も撮ってる人がいるにはいるのですけど


 それは個人よりも団体写真が多く


 撮る枚数と、「人目」をはばからないで撮っている


 のめり込みようのレベルが


 全然違うんですよ



 日本人であれば、「ナルシスト」だと思われるんじゃないかと


 「世間様の目」をはばかりながら


 ちょこっと撮るだけなんですが




 韓国人になると、


 「マイ写真集作るんかい?」と聞きたくなるほど。




 写真集作るからには


 もう身なりから違います!


 一番の違いは「はいている靴」でした。


 


 日本人旅行者は


 「楽が一番!」とばかりに


 ぺたんこ靴だったり、ジャージ素材の服だの


  しわにならないロングスカートだのを


  選んでかばんひとつに詰め込んで


 身軽に旅行している人が多かったのですが。




  その頃の韓国人の若い旅行者は


  いでたちからして違ってた。


  男なら革靴、女ならハイヒール 


  服も「楽ちん」からは程遠い正装か?という格好をして


  肩こりそう、、、、 疲れないの?それ? といういでたち。


 


  日本という国に対するものすごい


  「あこがれと期待と劣等感」をごちゃ混ぜにして


   彼らは飛行機に乗り込んでいたような気がする。




  その「自分の写真を一生懸命撮る」の裏づけは


  夫の親戚の子供たちの部屋でした。



  彼らの部屋には「ものすごくいい顔に撮れた自分の写真」が


  あちこちに貼り付けられていました、、、


  それはほとんどが集団で撮った写真ではなくて


  お一人様ショットでした。


  

   ここは、「自分好きの人間の多い国らしい、、、」


   私はそう思いました。




  うちの夫は洗顔後にローションを塗らないのですが


  よそのご主人の話を聞くと


  洗顔後の肌のケアをしているご主人は少数派ではないらしい。




 うちの夫はスキンケアには走らないけど


  歯を磨いている時間は異常に長い!


  フロスも使うし、歯間ブラシにも凝る。



  そして何よりこの国の人は


  男も女も


  「鏡を見ている時間」


  「鏡を見る回数」がやたら多い!


   と思ったのでした。




  その代わりに「時計を見る回数」は少ない。


  食堂に行っても、壁が鏡になっている店が多いので


  自分の食べている姿、そして食後の口元などを


  簡単に目にできます。


  韓国にはどこにいってもあるから。


  


  しかし!日本の食堂ならどこにでも掛かっているはずの


  「見やすい大きな文字盤の時計」は相対的に少ない。



   携帯が普及してからはもっと少なくなったような気がします。




  時間を気にせず、

「自分」を気にする韓国人


  彼らの中の自分軸がとても強かったことが


  印象的でした。


  むこうさんも日本人である私を


  「あなたも当然そうでしょう?」という目で見るのですが


  こっちはそんなに「自分が絶対!感覚」強く生きてないですからね


   日本という国では特に。




  しかし、この何年かで


  「ものすごく日本人ぽい韓国人」が増えました。


  


  「韓国人みたいに整形している日本人女子」もふえたので


  昔みたいに、簡単にばちっと見分けることが難しくなりました。


  


   そういうわけで最近では


   過去につけた定義が使えなくなっているような気がします。

  

   だからあまり口にしなくなりました。



   「昔はなんとかだったのよー!!」


   という話、聞いてくれる人がいるうちはいいのですが


  そのうち


     「また言ってる」と言われかねません。



  今の時代にあう定義を考えることにします。