こんなこと、あんなこと

創立100年ラッシュの意味2012.4.11

백강 문정사랑 2013. 9. 17. 10:55

今うちの町では


  こんな垂れ幕をあちこちで目にします。



  

    創立100周年


 

 
 これはですね。 


 うちの町で一番大きい


  小学校の創立100周年記念式典があります 


  というお知らせです。



  ここだけではなく


 郡の小学校の中で今年100周年を迎えるところが


  他にもあります。



 2012年に100周年ということは


 創立が1912年ということです。



 つまり創立は日帝時代です。



 これは何を意味しているのか?


  

 これは先日まきさんに借りた本です



   

  

 こっちは 先月手元に届いた本


 

日韓共鳴二千年史―これを読めば韓国も日本も好きになる/名越 二荒之助
¥3,990
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 こっちは一冊あれば大体の「日韓関係史」は網羅できます。


 

 評価は別れるでしょうが


 

  人物もできごとも。


 

  分厚いです!    



 

 


  


 

歴史再検証 日韓併合―韓民族を救った「日帝36年」の真実 (祥伝社黄金文庫)/崔 基鎬
¥550
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  これによると

 

  日韓併合時、朝鮮には


  近代教育の学校は100校程度


  その他「書堂」とよばれる寺子屋のような教育所が


   全国にあったが

 

  ここで教えるのは「孟子・孔子」などの古典と倫理教育。


   

  『書堂」の数は併合時、朝鮮全土で1万6000所あまり。


   収容児童は14万人余り


   それは全人口の1%にあたる数字だった。




   朝鮮総督府は一面一学校を目標に学校を設立し


  1936年には 公立学校が2500校


  1944年には   5213校となり


  生徒数は 239万8000人となった。




  現在のソウル大にあたる京城帝国大学は1924年の創立で


  これは台北大学や、大阪大学、名古屋大学よりも早い。



   ということです。

  著者は1923年生まれの韓国人

  自分が日帝時代を経験し

  北海道の鉱山に働きにでた経験を持つ

  その当時日本の鉱山に働きにいく仕事は

  「大人気」で1939年の1000人の鉱夫応募に

  朝鮮から7000人の希望者があったと

  証言する。

  「強制連行」だなんてとんでもない!と著者は語る

  著者の「日韓併合」は悪ではなかったという

  主張の根拠となる歴史資料はいくつもあるが

  もっとも説得力があるのはこれだろう

  朝鮮の人口推移である。

 

  出展は韓国の国定歴史教科書

  1777年の朝鮮の人口は 1804万人


  1877年には        1689万人


  併合時の1910年には   1313万人


   と減少していたのが



  1942年には         2553万人


 

  と併合時に比べて人口が倍増している。

 日韓併合によって、

 朝鮮は社会的に恩恵を受けたのだと

 著者は主張する。

 少なくとも庶民の食料問題は改善されたと。

 「日帝時代」を実際に生きたという方の証言も

 実にまちまちだ。

 北と南、日帝時代の前期だったのか後期だったのかにより

  相当の違いがある。

 『創始改名」しないと生きていけなかったと私に語った方もいるが、

 この本の著者は

 『創始改名」は必要なかったという。

  この本の著者は日帝時代の「恩恵」に目を向ける人だ。

  歴史的判断は別として

  現在の韓国の『近代的教育」の基礎が作られたのは

  『日帝時代」だったという事に関しては

  認めてもいいと思う。

  「反日」を標榜する方は、

  朝鮮を植民地として利用するために

  全く無学な民では使い物にならないから

  「初等教育」だけを充実させたのだ!という意見もある

  しかし、朝鮮では、それまで庶民のための

  初等教育の間口を広げられなかったということは

  事実であるようだ。

  しかも過去の根強い男尊女卑のため

  女子の教育はおろそかにされてきた。

  

  我が家の話であるが

  夫の姉たちの教育は、小学校だけで終わった。

  彼女たちは現在50代である。

  日本の現在の50代女性で

  「小学校卒」の人がどれだけいるだろう。

  

  私が現在韓国で住みながら実感するのが

  『韓国人同士の知的格差の大きさ」である

  3ヶ国語4ヶ国語を使いこなすスーパーエリートが

  ソウルで活躍する国でありながら

  農村部にはまだまだ字の読めない「文盲」のお婆さんが珍しくない。

  私の義母もそのうちの一人だ。

  「字が読めない」ということが

  人生の可能性をこれほどまでに狭くしてしまうのかと

  私は義母を見ながら思った。 申し訳ないことだけれど。

 

 私は、町にはためく『開校100年」の垂れ幕を見る度、

  「これは日本の政策であった」ということを

  隠すべきではないし

 恥じるべきでもないと思う。

 これからもっと開校100年を祝う学校の式典が

  韓国各地で行われていくだろうと思う

  上の資料によると。

 『日帝時代」がすべて悪であった! というならば

 日帝が去った後

 学校も鉄道もすべて撤廃するべきだったろう。

 

  自国の力で設立できなかったといっても

  朝鮮全土につくられた「教育機関」の存在は

  韓国人のためになったのか

  韓国人に害をもたらしたのか。

 

  それを中心に評価することが望ましいと思う。

 この本のなかにソウル大経済学部の教授である

  李栄薫氏の話が出てくる

  李教授は韓国日報のインタビューに答えてこう語っている

                        (2004.4.22)

 私が日帝時代のイメージを転換した動機は


 1990年「日帝の土地調査事業共同研究」のため


  原資料を収集したことです。




 「土地申告をやらせて無知な農民たちの


  未申告地を容赦なく奪った」 という教科書記述が


  実際とはまるで異なることを知りました。




  -中略ー



  それを知ったとき、私の持っていた植民地朝鮮のイメージが


  架空の創作物であることを自覚した。



  

   先日、私えみこに

  枡富安左衛門のことを記事にしてくれてありがとうと

  語ってくださった韓国人の方の

  職業は「測量」でした。

 

  この方も日帝時代の「測量資料」を実際に触ってみることで

  「日帝時代」のイメージが変わったのだと

  私におっしゃいました。

  韓国に住んでいる日本人の口から

  「日帝時代はすべてが悪ではなかった!」と

  語るのはちょっと気の重い作業です。

  どっちかというと

  「そうですね 日本が悪かったですね」、ごめんなさいね」と

  

 韓国人に同調するほうが受けもいいし楽。

  だけど「教育事業」に関しては別!

  

  私は「教育を受けた人生」のほうが

   「教育を受けなかった人生」よりも

   人間として楽しく、機会が多く、

  より創造的であると思っているからです。

  自分が「高等教育を受けたこと」に

  心から感謝している人間です。

 

  

  さあ、このことをどうやって韓国語で記事にするか

  そのさじ加減が決まらずに

  しめきりが選挙で伸びたことをいいことに

  書かずにそのままにしています。

  しかしいい加減書かねば!