こんなこと、あんなこと

立場を変えて考えてみ2012.8.10

백강 문정사랑 2013. 9. 30. 11:05

昨日こんなことがありました。





  私の住む町は東学党農民運動の発祥地だと


  言われています。



  東学党農民運動 


  覚えていますか??


 日本では 東学党農民の乱 


  と言われることもあるはず



  


甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)とも。


 甲午は1894年のこと


  東学の信徒が中心者にいたことから


  東学党の名で呼ばれたのですね。



 韓国での名称は


 

  東学農民革命だったり


  東学農民運動だったり


  します。



 手元にある中学の歴史教科書では、、、、


  

東学農民運動となってますね。




  李朝末期


  官僚の不正がはびこる朝鮮で


   「世直し」を掲げて起こった農民たちの運動です。



   私の町は


   その中心人物の一人だった


   チョン・ボンジュン将軍の生まれ故郷であり


   一番最初に戦いの意義を記した文章を発布して


    蜂起した場所でもあります。



   ですから郡の中に


   東学党農民運動の研究会のようなものがあるそうです。


  


   その役員の方が


   「東学党農民運動に関する日本側資料」


    というものを携えて


    昨日の夕方我が家にいらっしゃいました。




   そのかたが私に見せたのは


  まず コチャンの茂長(ムジャン)で発布された


   東学側の檄文でした。


  

   原文は漢文で


   ハングルは全くはいっていませんでした。




  それを現代の韓国語に直した文章と、


  その漢文が日本語に訳されて


  当時の日本の新聞記事になったもの二つでした。



   一つは大阪の朝日新聞だったようです。


  

  その方は私に、日本側の記事を韓国語に


  一字一句訳して欲しいといいます。



  訳されたものでもA4一枚びっしりです。


  私はやるのは構わないけれど

 

  今先に引き受けている仕事があるので


  夏休みということもあり


  9月の初旬に出来るかどうかくらいだと

  

  お答えしました。



  しかし、話していると


  何故この人が正確な緻密な日本語訳を

 

  欲しがっているのか という話になりました。



  それが、、


  「日本は韓国の歴史を歪曲して


   書いているに違いないから


   この新聞記事にも


   そういうところがあるに違いない!」


   なのです!!!




   私はその言葉を聞いて


  「そういう意図でのことなら


  お引き受けできません!」


  と言いました。




  ウチの夫が間にいたので


  まあまあ と私をなだめて


  「この先生も、別にそういう意味で言ってるじゃないんだから」


  と間にはいり。





  結局、その場で、二つの日本の新聞記事に


  違うところがないかを確認し、


  韓国語訳と、日本語訳に違いがないかを


  確認したのですが、


  別に問題なく、


  その人のいう


   「日本による意図的な歴史歪曲」なんて


   日本の新聞記事のどこにも探せないのでした。




   原文が漢文ですから


   それは朝鮮人にとっても日本人にとっても


   母語ではありません。


 

   漢文を常用していた当時の人々にとっては


   読みにくいものではなかったでしょうが。



  私がその朝鮮での訳文


  日本での訳文を比べて読んでみると


  いっそ日本の訳文の方が、原語そのままを


  使っての解釈を行う部分が多く


  下手にいじってないと思えました。


   

  漢字から遠ざかってしまった現代韓国人のために


  書き下されたハングル版の翻訳の方が


  個人の解釈の違いが大きいだろうと思い


  聞いてみました。 


  「これ、このように翻訳された文章が


   いくつもあるのではないですか?」


  と。


  「そのとおりです、


   でもそのなかで一番信頼性の高いものを

 

   選んできました」といいます。



  とにかく、別に問題ないということを申し上げて


  その方にはお引取り頂いたのですが


  夫とのぶつかりはまだ終わっていません



  言うだろうと思ってましたが、



  「お前の目上の人に対する態度は何だ!!


   あの人が学がないからって


   あんな態度をとることはないだろう!」



  「あの人が学があるかないかは知りませんけどね


   あの人が私に言ったことは


   失礼の極みよ!!


   あれが普通だと思うんだったら


   あんたもあの人も


   一生韓国から一歩も出たらダメよ


   それは韓国でしか通用しない常識なんだから!!」



  「一体なにがおかしいんだ?


   あの人なにかヘンなこと言ったか?」



  「言ったに決まってるでしょう!!



   あなたがもし日本に住んでて


   どっかの日本人が


   韓国に関する歴史資料もってきて


   『韓国人は信用できないから


   この韓国語の資料を一字一句


   日本語にしてくれ。

  

   韓国人は好き勝手に変えてるに違いない』


   なんていった日には


   あんたたち、自尊心を貶められた罪!


   が相手にあるとか言い出して


   相手の首絞めたり、


   水ぶっかけて追い返して、


   塩まいとくんじゃないの??


  

   立場を変えて考えてみたら


   それがどんな失礼なことだか


   分かるでしょう!



   もしかして日本人は朝鮮人を苦しめたから


   そういうことを言っても当然だとか


   思ってるじゃないの?


   相手もそう思ってるかどうかはまた別でしょう。


   


    日本人の私のところに来て


   『日本は歴史歪曲をする国だから


    この文章の間違いを探したい』って

 

    一体どういうことよ。


   私がいつ「日本の過ちを一緒に突き詰めましょう」なんて

 

    文章書いて出したのよ。そんなこと行った覚えもないわ。


 


   そういう態度は歴史を愛してるんじゃなくて


   自分の考えを愛してるだけなのよ!!


   


   私も歴史に関わってるけどね


   自分の考えの正しさを証明するために


   歴史資料を探して


   自分に都合のいいものだけを


   引っ張ってくるなんてありえないよ!!



   あの人、


  日本は間違ってるに決まってるから!から


   始まってるのよ。


   これ日本人に面と向かって口にして


   怒られないと思ってるセンスのほうが


   不思議だわ!!




   と夫にまくし立てると


  だんだん、夫も それもそうだなと思ったのか


  妻に逆らっては、家庭で生きていく場所がないと


  放棄しているのか、


 なにも言わなくなった。


  


   横で夫婦喧嘩の


   成り行きを見ていた子供たちも


  「あ。やっぱりお父さんが折れた!」


  「うん、きっとそうなると思った」と


   笑っていた。



  飛び込みのおじさんはともかく


  うちの旦那でも


  『日本は間違ってるに決まってるから」


   で始まるんじゃ大変だ


  歴史研究に一番良くないのは偏見です!!



   

   なぜ、私がああいう「日本は間違ってるから!」という


   人の言説にくじけないかというと


   「日帝時代ごめんなさい」にならずに


  相手がお年寄りであっても


  言葉が柔らかくならないかというと、、、

 

   それは多分、、、



   なんか「日本人が悪い悪い」といわれても


   我こそは元来、


   この地を支配していた民族である!!


   おまえらこそ、あとから入り込んできたヨソもんや!


  

   という妙な居直りが湧いてきて、、、

 

  

   やいやいいう人に同情よりも


   「ふんっ たわごとをいいおって!!」と


    切り捨てちゃうのも


   もしかして私のご先祖様が


   強く百済の血統を引いているから


   なんか、半島を新羅に追い出された恨みが


   ぶわーっと蘇って


   体中に満ちてきて


   口から火のように言葉が溢れるのかなあ、、、



  というと、ウチの夫は一番その理由が納得できるようです。



  でも私が百済の血統かどうかなんて


   よーく分からないし


   そうであったら、


   これは韓国人を納得させるのに


   非常に都合の良いいいわけではありませんか!



   韓国では「親の敵討ち」は


   黄門様の印籠です。


   「追い出された百済人の恨みが


    私の体からほとばしって、、、、」




   うそです!


  しかしそれで信じるとしたら

 

  韓国人って二重に洗脳されてるんじゃないかなあと


  思いますよ。


  そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないのにね。