主婦は忙しい(永遠のゼロ)2012.11.27
怒涛のキムジャンが終わり
夫との夫婦喧嘩も収まり
ようやく一段落です。
でも私は新聞コラムの締め切りが目前に来てて
しかも明日は新聞社の読者委員会があり、
今週中までにカタをつけたい翻訳文章があり
日本の雑誌に載る文章のゲラ校正があり、
その間に、スンギくんの幼稚園時代ラストの学芸会があり
また、スンギくん視力低下で
メガネをかけることになり
昨日は眼科で時間をかけての精密検査でした。
ふ~。
冬前はキムジャンがあるから
基本的にこの季節は
あわただしい時期とはいえ
いろんなことが重なってしまい
とにかく最近、超!忙しい!
でも、目前の本は何があっても読む!
時間があろうがなかろうが、
料理をしながらであろうが
掃除機を片手にであろうが
子供の宿題に付き合いながらであろうが
寝なくても読む!
まずこれを読んでみました。
永遠のゼロ
- 永遠の0 (講談社文庫)/講談社
- ¥920
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最新の小説ではありませんし
日本に住んでる方なら
良くご存知なのではないかと思います。
とにかく「泣ける!」「感動」という触れ込みですが
それはそのとおりで
涙腺が弱く泣き沸点の低い私は
600pのうちの
100pくらい目からもうすでに
泣きながら読んでました。
ここでは内容の深みに触れることはしませんが
物語はゼロ戦のパイロットに関わるものです。
ある「天才零戦パイロット」の孫に当たる若者が
1945年以前、
零戦をはじめとする戦闘機に乗ってきた
パイロットたちたちが
どれだけ優秀で素晴らしい操縦技術を持っていたのかが
これでもかと描かれます。
なんせ、戦闘機は、落とされたら「終わり」です。
ゲームオーバー、リセットでもう一度~!じゃなくて
自分の命が終わり!ですから
たった一つしかない自分の命が
飛行機の操縦技術で決まってしまうわけです。
「命がけ」という言葉がありますが
ほんとに「自分の命をかけて」の戦闘だったのですね。
非常に過酷な訓練を受けて実戦に向かい
実際の戦闘でも日本軍は米軍に比べて
信じられないほどタイトなスケジュールで
操縦士たちが闘っていたようです。
その中で残った操縦士というのは、
スーパーマン並みの能力を持っていたようです。
しかしその貴重な操縦士も
日本の空戦における連敗で
ボロボロと抜けていく。
治療して戻ってくることはほとんどない。
飛行機で落ちると、それはほぼ即死を意味します。
だから太平洋戦争末期には、
「熟練操縦士」というものが、相当少なくなっていたようで
その流れのなかで「特攻隊」の役割が
どんどん膨らんでいく様子が
大変具体的に描きこまれている小説でした。
私はこの小説に書かれた
「むちゃくちゃな状況の中で
能力の高いもの
残れるものだけ残ればいい!」
という戦前の日本の軍隊での状況が、
現代韓国のサバイバル状況に
似ているような気がしました。
韓国は民主主義国家なのに、、、
戦争状態じゃなくなって、こんなに長いのに
もう後がない!先がない!
だから何とかして、
残れるものだけで何とかやっていく状況が
なんだか必死の日本の軍隊の様子と大変似ていました。
こういう状況になると
そのなかで本当に
「すごい天才」って出るみたいです。
「人間的にはありえないワザ」を持ってるような。
小説の中で、その「すごい天才」は結局終戦の数日前に
特攻で命を落とすことになります。
そのことは、小説冒頭部分で知らされているのですが。
「天才パイロット」が終戦直前まで生き残れたのは
徹底して「自分の命を大事にする」ことを心がけたからです。
故郷で待っている「妻と子」のために。
戦前の軍隊で、それは決して言ってはいけないことのようでした。
しかし、この「天才パイロット」は
「生きる」ために、
常に空の上では、危機確認を怠らず
場合によっては「逃げる」こともありだとしていました。
「玉砕」「敵に一矢報いてこそ」
こういった言葉が価値を持った戦前の日本では
この「天才パイロット」の行動は周囲には
「ただの臆病者」であったり、時には「非国民」であったり。
または「自分勝手」に映りました。
しかし、その「天才パイロット」には彼なりの思いがあり
彼なりの生きる哲学があってのことでした。
1945年以前の常識では
それは理解されにくいことだったのですが。
結局、明らかになった祖父の生き方は
孫と孫娘の人生に
大きな影響を与えることになりました。
私は一年前くらいに
、韓国語で「100年後にも」と
いうエッセイを書いたことがあります。
たしかここにも日本語で
アップしたことがあるようなない様な、、、
もうだいぶ前のことですし
ご覧のとおり馬車馬のように生きているので
まったく覚えてませんが、、、
それは日帝時代に日本人向けに
書かれた「朝鮮とは?」のガイド本のことを
テーマにしたエッセイでした。
20世紀初頭の朝鮮というのは
現代韓国とこんなに違っていて、、、ということを
その資料を通して具体的に指摘し、
このように、100年経ってみると
「世の中の常識」というのは、
全く変わっている恐れがある。
よく韓国では「先祖に申し訳ない」と
過去の人物を中心に、
自分の行動の是非を査定するようであるが、
逆に未来に視点を置き換えて
私たちは100年後の孫たちに
「おじいさん、おばあさんはいい生き方をした」と
言ってもらえるような生き方を
目指したほうが、いいのではないだろうか?
という提案をした文章でした。
そしてなぜか私の書いたものの中では、
それが、韓国人読者には
なぜか一番人気があったらしくて
かなり長い期間
その新聞社のホームページの
閲覧記事一位に留まっていました。
多分それは一年以上でした。
私は出来る限り、韓国語では
私の住む郷土に関係する記事を
書くようにしてるのですが
その記事に関しては、元ネタになる資料をくれたのが
コチャンの人だったという以外は、
地元となんのかかわりもない文章でした。
それでも、なにか感じるものがあったのかもしれません。
そのことを「永遠のゼロ」を読んで
思い出しました。
「100年後にも」は
100年後の孫に「えらい!」といってもらえる生き方
なんて、具体的には、どういうものであるか
正直なーんにも考えず
書いたものです。
筆の方が先に走っていって書いたって感じです。
「永遠のゼロ」の中には
一つのモデル的な、
そういう生き方が描かれていました。
私はぜーんぜん「永遠のゼロ」の内容を知らないまま
なんとなくよさそーだ。
という直感で買ってみたのですが
「インスピレーション的なもの」は
やっぱりなんかどっかで繋がってるよなあと
思ったのでした。 (えみこ)
その祖父の人生の軌跡を調べることになり
この『天才パイロット」の周囲にいたという高齢の軍隊経験者に
聞き取り調査をしていくことで
だんだんと祖父の人生が明らかになっていきます。
いっそ我慢するほうが辛いのです。