中途入学者のための韓国語教育(2)2012.11.7
10分の休憩を挟んで
私の講義です。
まずは自己紹介
パワーポイントで作った自分のプロフィール画像を使いながら
5分くらい。
「私は現在コチャンに住んでいるんですが、、、」
というと
最前列の一番笑顔の多い彼が
「僕もコチャンの出身です!」と手をあげてくれた。
(最初からこんなんです。 カメラを向けると
こうやって笑ってポーズをとってくれるという愛嬌満点の彼)
「おお!どこの面?」
「アサン面です!」
「まあ!じゃこれどこだか分かる?」
と私が画像をだすと
大きな声で
「コインドルです!僕のトンネです!!」と
大変気持ちよく答えてくれ
私たちは「コチャン郷土愛」を間に挟んで
喜びのハイタッチを交わしたのでした。
さて、さいさきよく
コチャン出身者の歓迎を受けて
講義はスタートしました。
私の自己紹介ファイルの中に
あった夫の写真は
「ふ~ん」と聴衆にスルーされ、
うちの末っ子の写真が出ると
女子学生一同が
「か~わい~~」の
大合唱になってしまったという
お決まりのコースを踏んで
本題の講義に入りました。
私が去年の後半
日本からの中途入学(転校生)の韓国語学習のヘルプのため
毎日学校に出勤し
教師と生徒の間に
入った経験を基にして作成した内容です。
また現在、全羅北道に中途入学者がどれだけいるか。
この人たちが、どういう問題に直面しているか。
そういう学生に対して現段階でまだ
決まった対処法があるわけではない
韓国の教育庁の現状についても話をしました。
この講義を聴いてくれていた彼らは
将来なるとしても、中・高の先生ですので
私が直面した場合とは、相違点があるだろうこと。
また、私のケースでは効果があった方法ではあるが
多文化家庭問題は
状況によっては、その場その場で対応していかなければならない
細かい問題がでてくるであろうことを
前提として話をしていきました。
外国人家庭といっても
日本・中国・モンゴル・ベトナム・カンボジア・ネパール・ロシア・
フィリピン・マレーシア・タイなど多様ですし、
同じ国であっても相違点があります。
一応その国と韓国の違いは踏まえて話をするのは
基本であって
その上で「目の前のこども」にコミットしないといけない
ということですが、そうなりますと
その「基本」をおさえるだけでかなり大変ではあります。
この部分、今後韓国の多文化家庭支援政策で
頑張ってもらいたいところです。
「まあ、みなさん 人生では
「答えのない問題」に直面することが
あるということです。」
「たとえば、アフリカ出身、
その国に関してなーんの資料もないところから
いきなり転校生がくることだってありますよね
何のマニュアルもない。
そういうコがいきなりあなたのクラスにやってくる。
「なまえは?」
「としは?」
「韓国語わかる?」
と聞いても、な~んにも答えないコが。
そういう場合、マニュアルのない問題にぶつかったとき、
私たちはどう対処したらいいのか??
その一つの方策として
私はこの英文を提示しました。
Two little mice fell in a bucket of cream.
The first mouse quickly gave up and drowned.
The second mouse...
wouldn't quit.
He struggled so hard
that eventually he churned that cream into butter and crawled out.
これは、クリーム壷に落ちた2匹のネズミの話
一匹は早々に諦めて溺れ死んだけど
もがき続けたもう一匹のネズミは
いつのまにかクリームが攪拌されて
バターになっていて助かったという話です。
そして助かっただけでなく
できたバターで自分の食い扶持まで出現しちゃったという。
こういう話で〆ました。
こういう方法が
解決策になるかどうかは分かりませんが
まだまだ決定的な「こうすればいい」みたいなものが
確立されてない段階では
各自が自分の周囲のことを
目の前にある何かを
精一杯やっていくしかないではありませんか。
おそらく現場の先生たちもしかり。
教えてくれる人がいなければ
自分で開拓していくしかありません。
まあ、でもそうやって開拓していこうと思って頑張ると
自分に思いも寄らない力がついてきたり
いろんな情報が集まってきたりするものですから
面白いんですよ、開拓って。
頑張ってね キミたち。
どこかでうちのコたちがいつかお世話になるかもね。
生徒たちへの話はその辺でおしまい
あとは質疑応答の時間にしました。
学生にたのんで
その風景を写真を撮ってもらったのですけど
これ 遠いよ きみい
スクリーンの右が私ですね。
ああ、そういえば、「日本文化」講義の先生の
韓国語失敗談にむちゃくちゃ面白い話がありました。
韓国語でおやすみなさいを大人にいうとき
「アンニョンヒ、チュムセヨ」
(安寧におやすみください) というのですが、
韓国に来て間もない彼女が
シオモニ(姑さん)に間違って
「アンニョンヒ、チュグセヨ」 と
言ってしまったそうです。
そうなると意味は
「安寧にお亡くなりください、、、、」
です。
これには、聴衆が大爆笑!!(笑)ヾ(@^▽^@)ノ
一番前の女子学生に
「授業の時間が終わったら教えてね」と
頼んでおいたのですが
たくさん質問が出てきたので
なかなか面白い話になり
生徒はだれもストップをかけません。
はっと気がついたときは、すでに授業時間は過ぎていました。
生徒たちが私たちに
「とっても面白かったです~」
といってくれたので
こちらもありがたかったです。
今までのこの「多文化授業」で
どの国が一番面白かった?ともう一人の先生が聞くと
「日本!!」と答えてくれた
世渡り上手の彼らでした(笑)
「教授にまた呼んでって言っといて、
そしたらまた来るわね~
またあいましょ~」
と楽しく彼らとお別れしました。
大急ぎで、バスターミナルに向って
コチャンに帰るバスにとびのっても
私が家につけたのは夜8時。
まっくら
こうして大学生たちに講義できるのは
とても楽しくありがたいことなんですけど
地方出張は丸一日潰れるのが常です。
昨日は夫が早く家に帰って
ご飯を作ってくれていました。
韓国の多文化政策の問題点は、
福祉予算がないことだとか
社会の関心がないことだとか
色々言われますが
自分自身が韓国に住む外国人女性としての立場で言わせてもらうと
外国人女性自身に「自立意識が弱い」ことも
問題点の一つだと思います。
国の援助がないから、私の家庭が悪いのか?
誰かが関心をもってくれないから
私の家庭に問題が起こるのか?
私は「もがいてチーズをつくっちゃったねずみ」の話が好きです。
なんとなく私の韓国生活はこんな感じでした。
なぜだかよくわかんないけど
次々「あれやって、これやって」と
あちこちからいろんなお願いがくるので、
そのたびに一生懸命バタバタやってたら
結局自分の立つ場所(チーズ)が出来てて
しかもそこからお金を稼ぐことも出来るようになってますから。
(チーズは固くて足場になる上に、おいしい!)
だから「多文化政策」の問題も
今ははっきり明確に「こうすればオッケー!」
みたいなものが見えるわけではないのですが
こうやって
「外国人家庭の子女に対してなんとかしなければ!」と
韓国のいろんな方面で動きがあり、
いろいろな方策がとられていく中で
韓国に合った方法というのが
次第にみえてくるのではないかと
私はかなり楽観的に見ています。
「とにかくやってみよう!」という自主的な行動力は
韓国人の強みですね。
「放置しておいたらすべて良くなる」とか
「自然にまかせておけば、いいほうに動いている、」
という対策ではありません。
そういうのっていっそ悪化します。
よく分からなくても分からないなりにでも
やっていくと
いろいろ見えてくる、
問題点がクリアになってくることってありますね。
何が問題なのか?が一番問題であったりします。
それが明確にならないから同じところをぐるぐる回ってまた戻って。
「私」は問題の「被害者」ではなく
この問題の「当事者」であり「主人公」であり、
私には「この問題をなんとか超えていくことができる!」と
自分自身を信じることできるなら
なんとか解決方法が見えてくるのではないかと
私は思っているのです。
だから韓国の「多文化政策」というものに
関わり始めたとき
私には「言いたいこと」が山のようにありました。
なにかの講習に行って
「なんか感じたことを書け!」といわれると
横で韓国人職員たちは書くことがなくて困っているのに
私はA4で手書きなら三枚くらいが裏表すぐびっしりになります。
「なんでそんなに書くことがあるの?」と
聞かれますと
「だって私当事者ですもん!
これは私の問題ですからね
発言したいことくらい山のように出てきますよ」
と答えていました。
そういう「下積み生活」が長かったせいなのか
今「多文化家庭の女性として話してください」なんて
マイクを持たされるようになってみると
なんぼでもしゃべれまっせ。
という感じです。