子供であってもちいさな「ひと」2013.2.22
うちの末っ子の幼稚園の卒業式の記事に
たくさんの暖かいレスをありがとうございました。
ネットだけでの知り合いで
これほど暖かい言葉をもらって生きていけるのなら
もうこれから先「ひきこもろう!」かしらと、思えるほどでした!
そんな気持ちとは裏腹に、今年から
また新しい仕事を引き受けてしまったので
さらに、あちこち動き回ることになりそうで、
2013年もがんばります!
頂いたコメントには、後ほど
レスをつけさせて頂くつもりですが
ちょっと先に書きたいことができたので。
卒業関連の記事もまだまだアップしたいことが
残ってるのですが、そこに割り込んで書きます。
子供に対して、
「何も知らないから教えてあげないといけない」とか
「未完成だから、手を加えないといけない」と
いう考え方があります。
これは韓国で、「教育」する理由として
よく根拠にされていることです。
そういう形での「教育」が必要な部分も確かにあります。
韓国では、学校だけでなく、家庭の中でも
「子供は管理しないといけない」という考え方が
「常識」のようにまかり通っています。
私は日本の地方在住、しかも商売屋だった
自分の幼少期の生育家庭が
「管理」からほど遠かったので
日本はそうじゃないわよ~
小さくても子供を「ひと」として認める目があるわよ!
と思っていました。
しかし!自分以外の日本人の話を聞けば聞くほど
(特に都市生活者に多いようなのですが)
日本でも親の都合と親の見栄にあわせて
育てられた子供の話が、
どさどさ出て来るので、そのたびに驚きました。
日本では韓国ほど
「子供はダメで足りない存在だから、教えてやらなきゃ」
という考えが前面に出てないはずですが
心の中でそう思っている人は、実は結構いるのですね。
でもそれをはっきり言うと、「子供の人権を侵害している」と
言われて非難されたり
『人間的に問題がある」と見られたりするので
家庭内において親がその価値観を発揮し
たちが悪いのは
頭がまわる人ほど
そんなことは死んでも外で言わない。
匂わせもしない。会社の部下の女性社員にも
「妻にも子供にも自由に生きてほしい」とか
言っちゃってる。
でも妻と子供には、その反動で思いっきり要求したりする。
「お前らは馬鹿だから、俺様が教えてやらないと!」と。
そして、そこでご主人に
「あんた人として間違ってるわ!」というママもいますが、
お父さんの価値観に同調してしまう場合もあります。
自分に強い学歴コンプレックスがあるママなんかが
妙にエリートのパパにそれをやられると
「そのとおりだわ、、」とか思ってしまって
同じ論調で子供に多くを要求するママになってしまう
ということもあるようです。
そういうのが、日本では前面に出てないけど
主流のようには見えないけれど、
実はそういう風に生きている家庭が
日本にも結構あるのだということが
私は韓国にきてから分かりました。
韓国なんかは、
「当然でしょ?子供って馬鹿なんだから
こっちが管理してやらなくきゃだめになる」って
あからさまに言っちゃう分、まだ問題がシンプルです。
とにかく韓国では
「子供は未完成な存在だから
手を加えてあげないといけない。それが教育!」だと
いう考え方が強いのは間違いない。
しかし、「知識」の量の過多ならともかく、
子供がもともともっているはずの
「感性」などの指向性まで、「ない」と決め付けるのは
どうかと思いますね。 韓国であってもです。
そういうことを、ぼっけーと考えながら
目の前で、ご飯を食べている旦那に
ある質問を投げてみました。
うちの夫は食べ方が美しい。
大変気持ちよく食べます。
私がこの人と結婚したのは、この「綺麗な食べ方」が
気に入ったからです。
「あのさ、いつから、そういう風に食べようと思ったわけ?」
夫はちょっと考えて、
「う~ん、8歳のときだった」
「ええ!八歳ったら、韓国の小学一年生ね!なんでなんで?」
「母方のおじさんの○○さん。
知ってるだろ、△△兄さんのお父さん。
あの人と同じ卓で食べてたんだ。
そしたら、あの人、食べ終わるとき
茶碗のご飯粒を一つも残さずに
それはそれは綺麗に
全部さらえて席を立ったんだ。
それが、もうすごく印象に残って
ご飯はこう食べようって心に決めたんだ」
ということでした。
うちの夫の生育過程をほじくってみると
この「過保護韓国」では、
ありえないくらいの「放任」。
プラス
ある程度の年齢になったら「自立」というコースを
たどって生きていました。
周りのオトナたちが「生きるのに必死」の世代でしたし
「長男」じゃなかったのも幸いしたのでしょう。
この話を聞いて
「韓国でも『感じて生きること』は可能だ、、、、」と、
思いました。
そして自分の心で
「美しい」と感じて、動いたものは
誰になんと言われようと
揺るがない。
あとから
社会的に
「食べ散らかす人は嫌われます
頭ワルイ、しつけがなってない、出自が悪いと思われますから
綺麗に食べる人はお得ですよ!
自分を高く売れますよ~」
という、あとづけ教育よりも
ずっとずっと堅いと思う。
韓国では「子供をのびのび育てるなんて無理だ」と
『日本ならともかく、韓国では社会の理解がない」と
私自身もそれをあきらめてきた時期があり
多くの韓国人ママさんたちも
そう思ってるようです。
だけど、うちの夫みたいに『感じて」大きくなった人も
少数であってもちゃんといるわけで、
そういう風にして自分が望んで
獲得した習慣や知識は
やっぱり「かたい」なあ。
と思ったのです。
私は過去に
「ここが韓国だから」無理なんじゃないか。
ってあきらめていたことが
教育に関しても結構あったのですが
(生活に関してはもっとあった!)
今になって考えてみると
その「韓国では無理だ」という私の頭の中で
つくった制限こそが
そういう現実を作っていたのではないのかと思います。
いまなら、その思いをを一つ一つ解放して行けるのではないか。
なにかが叶わないこと、何かができないことを
「韓国だから」のせいにせず、
なんとか、それでもやっていく方法を
模索できるのではないかと
希望をもっているのです。
夫が8歳のとき、自分で感じて「美しく食べたい」と
願ったこと。
それがその思いをさらに強めてくれたのでした。
(えみこ)
家族を抑圧していることが、意外に多いのです。