なさけは人のためならず(2?)2013.3.4
子供の入学のせいでやけにあわただしい。
そして気ぜわしい。
でも、そんな疲れを一度に吹き飛ばしてくれるような
とてもとても嬉しいことがありました。
タイトルに「なさけは人のためならず」
(2)と打ったのは、
以前にもしかしてこのタイトル使ったかな?と
思ったから。
読み返してみると、私いつも同じこと言ってますから。
関係者のプライベートに触れる可能性があるので
詳しい内容までは、ここに書けないことがあり、
そのせいで
話がちょっと分かりにくくなるかもしれませんが。
私はいくつかの「奉仕」や「福祉」に関わっています。
それはどこかの「○○団体」の職員をやってるとかではなく
個人のレベルです。
ですから「大きいこと」というのはできません。
何かしてあげることを探しても
まあ、うちに泊まってもらってご飯食べてもらうとか
ご飯やコーヒーおごったり
精一杯、安い服や靴、または
本をプレゼントするくらいなもんです。
以前家庭問題において
かなり深く関わった外国人家庭がありました。
ご主人との不仲がかなり深刻な家庭でした。
この奥さんは、最終的に
ご主人と子供さんを田舎において
韓国の都会に出て行きました。
長期の家庭問題のせいで、精神的にも混乱していて
とにかく「自分を立て直す」ために
一度家庭を離れる必要があったからです。
それから数年が経っています。
さっき、彼女から弾んだ声で携帯に電話がありました。
勤め先での働きぶりが認められて
正社員扱いで働けるようになったというのです。
彼女が勤め先で「正社員」になったことが
私にとってどれだけ嬉しかったか。
それには背後の事情があります。
彼女の家庭に、ご主人との大きな問題があったとき
それを知っている多文化家庭支援問題の責任者たちの多くが
「彼女は、ご主人と別れても
やっていけない。生活能力がないし。
どうしようもない。放っておくしかない」
といいました。
つまり「能力のある人」は夫と別れても自活できるが
彼女は「能力がない」から、離婚も勧められないと
周囲の韓国人に言われていたのです。
たしかに彼女は、韓国に数年住みながら
韓国語はあまりできませんでした。
そして、生育過程に関する理由から
自分でも「わたしは何にもできないから」と
自分を低く見ていました。
彼女が、その生活を変えようとしないのは
自分は「ひどい境遇で生きても仕方がない人間だ」という
諦めがあったからです。
しかし、この家庭には
ご主人からのDVが不定期にありました。
私は彼女に「ここを出て行こう!」
とまでは言うことは出来ませんでしたが
「あなたは決して黙って
殴られてていい人ではない!
こんなの間違ってる」ということだけは
言い続けました。
私が彼女の家庭に関わったとき、
しかし、いよいよご主人と
これ以上暮らせないとなったとき
彼女は自分で家を出ることを決めました。
しばらくは保護施設のようなところに
お世話になりながらも
自立の道を模索しました。
最初、彼女が勤めたのは
「社会奉仕」に関心の深い社長さんが
訳あり人を快くうけいれるせいで
外国人がたくさんいた職場だったのでした。
しかし 仕事がきついせいかいつのまにか、
そこは「韓国人だけ」の職場になったそうです。
それでも彼女は、ほかの外国人のように辞めずに
ずっとその職場でがんばりました。
私はこの期間、
数回彼女と会ったのですが
彼女がだんだんと変わって行くのが
分かりました。
一番の変化は、
彼女が、何かうまくいかないことがあっても
「誰かのせい」(何かのせい」に
しなくなっていたことです。
ひきうけること、自分でうけとめること
ができるようになっていたことに
私が一番驚きました。
そして彼女は願っていた「正社員」としての
待遇を手に入れたました。
彼女は明るい声で、こう報告してくれました。
「えみこさん!私夢が叶った!退職金も出るんだよ!
保険とか、そういうのも全部つく」
良かったね。良かったね。
ほんとに私も嬉しいよ。
私が彼女にはじめてあったころ
彼女は、
韓国人に「能力がない」と決め付けられていた人でした。
この景気の悪い韓国で「正社員」になった彼女が
「能力の低い人」であるわけないのです。
「能力の低い人だ!」と回りも自分もレッテルを貼っていたから
だから、そうなった。
本当はちゃんとした「能力のある人」だったのに。
彼女の変わりようは
まるで「映画のなかの話」のようでした。
でもそれはどこかの誰かからの伝聞ではなく
私が実際に関わった彼女が教えてくれたホントの話。
私は彼女の話を聞いて思わず涙が出ました。
私が彼女に関わったとき
彼女から「何かをしてもらおう」と
おもってやったことは何もない。
自分の心の自己満足はあったかもしれない。
ある人は「あんな家庭に関わるな!
何されるかわからない」といいました。
DVのある家庭問題に関わることで
自分がよその暴力夫から
とばっちりを受けることが
恐ろしくて、なんとかしてあげようという
気持ちはあっても
怖い気持ちが先立って出来ない。
というのがそのとき事情を知っていた
韓国人たちの本音だったと思います。
あとで彼女達が私に直接そういいましたから。
私ももちろん怖かったんですけど
彼女がそんな状態で
生活していることのほうが辛くて辛くて。
それを放置するほうが
私には耐えられないことでした。
「あなたは訳もなく殴られていい人じゃない。
とっても価値がある人だ」と
何度も何度も言いました。
彼女の耳にそれが
届いたのかどうかは
私には分かりませんが。
だけど、こうして、とてもきれいになって
とても元気になって
電話してくれた彼女から
私はとんでもなく
「勇気」をもらった。
「力」をもらってしまった。
私自身も韓国で子育てをしながら
いろんなことで傷ついたり迷ったりしている。
じつは落ち込んだりもしている。本当は。
誰も信じてくれないけど!
心の声と社会の流れに、なんとか
折り合いをつけながら
それでも「こっちじゃないか」と思う道を
夫婦で相談しあいながら、手探りで子育てしている。
全人格的教育、大学入試で終わらない
一生モノの教育を目指しながらも
ときには目に見えるものがとんでもなく大きく見えて
「やっぱり高学歴というのものはあったほうがいいのではないか」
「馬鹿だと思われたら、それだけで社会的にマイナスなのではないか」
そんな声が頭の中にどっかり居座るときもある。
だけど、
数年前
ほとんどの人に、「能力がない」と思い込まれ
そして自分でもそう思って自分を卑下していた人が
がんばって、これほどまでに変わった姿を見せてくれたというこの現実。
これも立派な現実。
彼女はいつも、いつも
過分なほどに「えみこさんのおかげだよ」と言う。
私のおかげじゃないよ。
私はただのきっかけに過ぎないよと言いながらも
言われて嬉しい気持ちは否定できない。
褒め言葉に弱い私。
誓って言うけど
彼女とのことに「見返り」なんか期待してなかった。
なのに返ってくる。
しかもそれは何倍にも大きく膨れ上がって
私を涙で押しつぶすほどに、
大きな暖かい感謝の気持ちが
どこんと返ってくる。
どうしよう。本当にこんなことになるなんて
まったく思ってなかった。
彼女が笑っていることが嬉しいよお。
もしあげたとしても「種ひとつぶ」くらいのはず
帰ってきた嬉しさは千倍返しといえるほどのビックさ。
「正社員になったお祝いしようよ!」と
言った私に彼女はこう言った。
「お祝いは私がしたい。
えみこさん、コーヒーとかお茶とか好きじゃない。
好きな銘柄は何?
私が買っておくから」
もういいよ!!
だから本当に
「なさけは人のためならず」なのだと
つくづく思うんだ。
自分がしたことって、
いつ返ってくるのかは分からないし
もしかして私自身には返って
こないかもしれないけど
無くならないんだなって。
今回みたいに、まともに返って来ることもあるし。
私が自分の子供の子育てに
「ふーふー」「ぜーぜー」言ってる時期に
彼女のこんなサプライズの電話。
いっぺんに、元気になった。
無くならない。気持ちって見えないけど
だれかを大事にしたいと思った気持ち
貴重に思った気持ちって
無くならないんだ。
ここ数日、家にある本を整理しながら
夫と二人で
「まあ、たいした収入もないくせに
お互いによくこんなに買っちゃったね」と笑った。
うちの子供たちに
世の中の多くの「言葉」の中から
ふさわしい言葉を選んで話せる人になってほしい。
それはバイリンガルやトリリンガルになるという意味ではなく。
多くの美しいものに触れて、豊かな人生を歩んでほしいと
夫も私も、願ったから。
「本」のある人生は楽しい。
「豊かな言葉のある人生」は楽しい。
そういう気持ちで買って買って、
お互いがまったく「本を買うこと」にストップをかけないから
こんなになってしまった。
かといって、たくさん本を読んだからといって
うちの子供たちが現在成績
「学校で一番」とかでは、ないのですが。
でも、良いよね。うちの子たちが
今、目だって勉強が出来なかったとしても
これだけの本に囲まれて生きたってこと
これだけ読んだってことは
きっと何かの形で心に残ると思う。
子供を育てて、私たち二人本当に本当に良かったね。
と夫と二人で、本の整理をしながら
心から気持ちよく笑って、本を手放せたのでした。