2008年の12月に韓国の義父が亡くなりました。
82歳で、糖尿病があり、足も不自由で決して健康な体ではなかったのですが、
それでもあと10年くらいは生きられるだろうと誰もが思っていました。
晩にベットから落ちて、テレビの角で頭をうち、その場で亡くなられました。
夜の12時に電話を受けて家族は全員すぐさま
田舎に向かいました。
亡くなってから大体3日くらいお客さんを迎え、
お墓に移して5日目に送る儀式をして一通りの葬式は終わる。
後は毎週の法事、日本と同じだ。
7日ごとに家族があつまる
そして49日目に大きく法事して一連の儀式は終わる
あとは一年ごとにチェサという法事をおこなう。
私は韓国にきて10年だけど
こうした葬式を出す側の立場になったことは一度もなかった
いつもお悔やみに行く側で。
だから韓国の葬式がこんなに大変だとは知らなかった。
韓国における葬式の重要性というのは日本人の常識を超えている。
親の葬式だというだけで、大体のことは許されてしまうのだ。
ソウルで勤めをしてる夫の兄たちも5日間休んだ。
学校も電話一本ですべてオーケーだ。
出席扱いにしてくれる。
葬式だというと、電話のむこうの相手が
「んまあー大変ですね。お体壊さないように」と必ずいうのだ。
最初はこの意味が分からなかった。
ところが三日間切れ目なくやってくる弔問のお客さんのお運びをしてる
間に骨身に沁みた。
葬式用の式場でやったから、お料理は準備されている。
嫁たちはお客さんにお運びするだけだ。
昔式場でやってなかった時代には料理まで家でつくるから
葬式をだす家の女たちの負担というのはそれは大変だったそうだ。
日本でも葬式は大変だけど、お通夜はだいたい一泊二日でおわるし
身内でもないのに、とまっていく客はいないだろう。
ところが韓国の葬式の弔問客というのは
夜中までいるのだ。
それも死者がさびしいから、わざわざ夜中まで騒いであげているのだという名目で
もうもうとタバコをすいながら酒をのんで花札をする。
来て下さっているお客さんだからこっちはタバコが切れないように
おつまみが十分なようにずっと気をくばらないといけない。
これっていい習慣なのかと首を傾げた。
子供たちが小さいころから賭博を目にするし
だいたいこんな煙もうもうのところで
小さい子供たちをいさせたくないが
家族が全部ここにいるのでほかに送るところもない。
泣き女というのも初めて実物を見た。
あまり泣くので、私はわざとらしいとおもった。
大体今回のお父さんの死に方は万歳ものなんだから。
そしてそういう行事よりも、目を見張ったのは
家族が死んで、その子供たちである夫の兄弟姉妹たちが
普段は見せない感情を強くみせたことだった。
もともと田舎の人なので、都会の韓国人よりは
はっきりいいたいことをいうけれど
父親がいきなりなくなったということで
理性のタガがふっとんだようだ。
もともとの強い性格をあらわにして、誰に対しても突っかかり
怒り、そうすることで父親の死の痛みを紛らわしているようだった。
そしてそうすることに関しても、周りはああやって悲しみを紛らわしているんだと受け止めているようだった。
私もこのまま韓国であと20年くらい生きていけば
そういう感情の表し方をするのかな
なんか無理な気がするが。
とても人間らしいとはおもう。
あたられると迷惑だけど。
義父は私にはとてもやさしい父だった。
うっとうしいくらい同じ話を繰り返すので
その場から逃げることがたびたびだったけど
私のことをとてもよく評価してくれた義父だった。
いなくなって泣き叫ぶほどの感情は起こらないけど
あのお父さんがもういないかあと思うと
とても淋しい。
今週末に49日を迎える。
若い時代に足が不自由になって晩年は家のまわり10メートルしか知らずに生きてきた。
お義父さんがあの世で若返って元気な足で駆け回っていたらいいのになと思う。
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