恵実子のひとりごと

大日寺の住職さん

백강 문정사랑 2010. 9. 13. 13:50

 

 大日寺の住職さんとの出会いは, 夫の記事「日本の話」の方にもあり

 日本語訳もついているのですが、これは私から見た金昴先さんの話です。

 

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 夫婦でビミョーに違っています .     同じものを見ても観点が違うとこうなるのねって感じです。

 


 
 2010年夏の日本行きで知り合った方のお話を。
 
  四国には88ヶ所霊場めぐりというのがあるのをご存知だと思う。
 この88か所のお寺を巡るのがいわゆるお遍路さんである。
 
 徳島には相当数の札所があるが
 その中で徳島市に大日寺というお寺がある。
 「だいにちじ」と読む。
 
 この大日寺というお寺は14年前韓国人のお嫁さんが来たと言う事で
  有名になった。
  しかもそのお嫁さんは韓国舞踊の第一人者だった。
 
 そして3年前、大日寺の住職さんが急逝されて
 当然韓国に帰ってしまうだろうと思われていた奥さんが
 なんと京都で修行して大日寺の住職さんになってしまったことから
 マスコミの取材が殺到し、日本でものすごく有名な韓国人になってしまった。
          
 新聞、雑誌、テレビのドキュメンタリー、「エチカの鏡」にまで出てますね。
 
 
 以下はテレビ番組の解説文です。
 
 
 韓国伝統舞踊家として将来を嘱望されていた金昴先(キム・ミョウソン)さん(51歳)は、
日本公演の際、徳島市にある四国88ヶ所の第13番札所、大日寺に宿泊したことが縁で、
 18歳年上の大栗弘榮住職と結婚、一粒種の弘昴君(10歳)にも恵まれます。
 
 住職婦人と舞踊家としての多忙な日々を送るうち、
 当初日本で暮らすことに反対していた師匠の理解を得て、
韓国の次期人間国宝に指定されるまでになります。
 
 2年前に夫が突然倒れ、韓国に帰ろうか迷った彼女の心を決めさせたのは
 息子の「僕がお父さんのように立派なお坊さんになるまで寺を守って欲しい」という一言でした。
苦労の末、息子と二人で得度、ついには四国88ヶ所初の外国籍の住職に就任するまでになりました。
言葉、風習、文化など様々な違いを乗り越え、宗教と芸術の両立をはかるキムさんの人間力に迫ります。
 
 
 
 
 
今回の帰省で金昴先(キム・ミョウソン)さんにあってきた。
 私は彼女がそんな有名人だとは全然知らなかった。
 彼女のドラマのような人生についても全く知らなかった。
 
 ただ、大日寺ってそういえばうちから車で15分くらいのお寺だったなあ。
 一度挨拶しておこうか。
 夫も文化事業始めたことだし、位の気持ちで会えますかと電話してみた。
 
 この方が徳島にお嫁に来た時期と、
 私が韓国に移住した時期が
 重なっているので今まで会ったこともなく
 そういう方がいるという噂だけしか知らなかった。
 
  
 「忙しいけど、時間を作りますから、いらしてください。」
と言ってくださったので、お言葉に甘えてお寺に遊びに行ってきた。
 

 お互いに簡単に自己紹介して、私たちは金さんの数奇な人生の物語を聞かせてもらった。
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 実はこの方は韓国の大統領賞まで受けて、アメリカのカーネギーホールで踊るような舞踏家だ。
 徳島みたいな田舎町に呼ばれて公演したのは

 招聘したのが縁故の文化団体だったからだ。
 
 しかもその文化団体むごいほどお金がなかった。
 海外から舞踊団を呼んでおいて。
 宿泊させるお金がないので、藤山さんという文化団体の責任者が
 大日寺に頼み込んで泊めてもらったのが、ことの始まりだった。
 
 金さんの踊る姿に一目惚れした住職さんは帰国した金さんにずっと
 ラブレターを送り続けた。
 
 金さんのホームページの方に住職さんのラブレターの写真が載ってるが
 あまりにも達筆すぎてラブレターというよりは、まるでお経のようだ。

                
 
 内容もあなたが好きですみたいな単純なものじゃなくて
 21世紀を迎えようとするこの時代に、仏道に生きてきた日本の私と
 韓国舞踊に命を掛けてきたあなたが結ばれることは
 韓日関係においてなにかすごい可能性があるんではないでしょうかみたいな。
 
 文面に宇宙とか次元とか、歴史がとかそういう言葉がいっぱい詰まった
 手紙で、さすがにこのキムさんを落とすにはこれくらいは
 書かないとなと思わせる文章だった。
 
 金さんはすでに韓国では踊りにおいて不動の位置があったから
 周りにもすごく反対されたそうなんだけど
 金さんもこの住職さんに惚れちゃったので
 日本で暮らすことになんの迷いもなかったそうだ。
 
 
 結果的に結婚10年で住職さんが亡くなってしまって
 自分が住職になろうと決めて、実際なってしまったことから
 それがものすごい話題になり、
 日本全国から金さんに会いたいといって
 いろんな人が訪れてくるという。
 
 という人だったのだけど
 夫の文化事業の話をきいて、もう一度ちゃんと会いましょうと
 言ってくださり、近くのレストランで夕食をご馳走になった。
 
 この方ものすごく羽振りがいい。
 なにしろ黒いレクサスに乗って登場し、
 服はイッセイミヤケのプリーツプリーズ
 カバンも多分あれはディオールだった。
 
 
 亡くなった住職さんがものすごくお洒落だったそうで
 自分が買ったんじゃなくて、全部住職さんが奥さんのために
 かってきたそうだ。
 
 そういう有名人だということを後から知ったのだけど
 私はこの人に会ってみて
 「すごくこころのいいひと」という感じをうけた。

 

 金さんは
 「こんな近所から韓国にお嫁にいって
 楽しくくらしてるなんて、すごく嬉しいわ。
 これからも日本に来るたびに寄って頂戴ね。」
 
 金さんが日本人と結婚して日本の田舎で暮らすと決めたとき
 日本在住経験のある韓国人がいろんなことを言ったという。
 
 「日本人はすぐ差別する。」
 「苛められるぞ。」
 「いつまで経っても仲間にいれてくれない」
 「精神病になってもどってくるぞ」
 
 そして金さんが日本で住んでみて
 もちろん有名寺院の奥様という立場で嫁いだということもあるかも
 しれないけど
 現在まで日本人にいやな目にあったことは
 
 「たったの一度もない。」とおっしゃる。
 「なんで日本人に苛められるの?私が苛めることはあっても
  苛められるなんてありえない。」
 
 日本が好きなんだそうだ。日本人という人間も好きで、
 家族がアメリカにいるから、アメリカで住もうかと思ったこともあるけど
 やはり自分は日本が一番いいとおっしゃる。
 
 私は金さんとは全然立場が違うが
 いろいろあっても、自分には韓国という国がとても合っていると思う。
 
 だから日本に帰りたいとはあまり思わない。
 韓国人とコミュニケーションしながら、何にもないとは言わないけど
 私は韓国という国が結構好きだし、韓国人の思考とか情緒のほうに
 近くてすっぽり入ってしまう自分を感じると金さんに言うと
 とても不思議そうだった。
 
 自分に合った国に住んでいるということなのだろう。


  韓国で大学の舞踊科に進学したいと思っている子供のお母さんが
 進学相談にわざわざ大日寺まで来ることもあるらしく
 今日も面接してきたと言ってた。
 
 明日は三重県で公演で、昨日は大阪だったという。
 大日寺の住職をしながら、ものすごく忙しい。
 
 けれどこの方と会っていながら
 全く押し付けがましい感じがなかった。
 (あなたも私を見習ってがんばりなさいみたいな)
 私はすごいのよという偉ぶった感じも全く受けなかった。
 
 韓国のエリート女性が高能力にも関わらず、
 それを周囲に感じさせないというのは
 かなり難しいことだと私は思っている。
(たとえ口で言わなかったとしても、回りにじんわりと染み出て来るのだ)
 
 韓国人女性の強い強いなんともいえない強い自意識は
 本人が意識するしないに関わらず、回りを圧倒する。
 多分自分という意識が強いからだし、そうじゃないとやっていけないお国柄でもある。
 
 金さんと話しながら韓国人女性と会ってるのに、韓国人女性と話してる気がしないなあと
 私は思ってたのだけど(コミュニケーション言語としては韓国語を使った。)
 向こうも、わたしのことを全く日本人らしくないと思っていたそうだ。
 
 金さんは
 「舞踏家にしても、住職にしても、なりたいと思ってなれるものではないんですよ。
  日本に来て結婚したこともそうだけど、すべて呼ばれているという感じでね。 

  私はお役目をまっとうしようとしてるだけなの。」
 
 多分この招命感が金さんの自然体の源なんだろうと思う。
 
 
 
 そんな素敵な韓国人女性と知り合いになりました。
 

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