恵実子のひとりごと

屋島を愛する人 平岡岩夫さん

백강 문정사랑 2010. 9. 13. 14:06

こんにちは えみこです。
 2010年の帰省の際に出会った方がとても面白かったのでその話を。

 

 (この話も白村江の戦いのカテゴリーで日本語訳のついた

 夫の記事があるのですが、こっちは私からみた平岡さんです)
 
 
 夫がどうしても香川県高松市の屋島に行きたいという。
 屋島には白村江の戦いに敗れた百済流民の作った山城があるから。
 自分の目でみたいという。
 
 日本でのドライバーは私なので
 屋島行きの前に夜遅くネットで道やら
 入場料を調べた。
 
 屋島観光協会のホームページに入ったとき
面白い記事を見つけた。
 
 平岡岩夫さんという屋島に惚れ込んだ方がいらして
 その方、屋島城の新しい遺跡まで発見してしまったという。
 
 この方は学者さんではなく、観光協会の職員でもない。
現在お仕事の方は定年を迎えて、好きなことをなさっているという。
日本全国からガイドして欲しいと屋島を訪れる歴史ファンの中では知られた方らしい。
屋島 平岡で入力すると新聞記事がでてくる。
 
 私はこの人の記事をよんで
「屋島マニアだ。間違いない。」
と思った。
 
 国は違ってもマニアはマニアに連結するのが一番だと思い、
 わたしは平岡さんに連絡を取った。
 
 出発当日のいきなりのお願いだったし、
 「学術的なことにはお答えできないのですが」といわれたが
 どう見てもこの方の屋島に掛ける思いが普通ではなかったので
 どうしてもとお願いした。


 平岡さんがいうにはかなり険しいところをいくので
 子供さん連れじゃ難しい。
 今からご主人だけ連れて3時間くらい
 あちこち見せてくるからね。 ということだった。
 ありがたい。
 
 しかし韓国でうちの子供たちは相当険しいところもすべて同行させてるので
 おそらく平岡さんのいう険しいところも大丈夫だろうと思うが
 素直に平岡さんのいうとおり、私は子供達をつれて水族館で待っていた。
 私は屋島城を見られなくて悔しくて眠れないということがぜんぜんないから。
 
 屋島というのはちょっと変わった形の山である。
 普通、一般に考える山というのは円錐形だと思うのだけど
 屋島は上から4分の一位を地上と平行にまっすぐ切り取ってしまったような
 不思議な形をしている。
 
 一般に屋島に観光にくる人たちが
 屋島の歴史の目玉としてみるのは
 朝鮮式山城の跡ではない。
 
 那須与一の射た扇の的だとか、
 義経のたどったルートとかなどの平家の話だ。
 
 
 しかし日本書紀にもしっかりと
 白村江の戦いで敗戦したあと大陸からの防御として
 日本に26の城が造られたと記録されている。(大野城、菊地城、金田城などなど)
 
 そういう意味で屋島は韓日関係におけるすごい名所なのだけど
 屋島観光のメインとはなりえてないらしい。
 
 屋島命の平岡さんにとってはとてもそのことが
 悔しく腹立たしいそうだ。
 
 私たち家族も韓国の歴史遺跡である巨大ドルメンの
 コインドルという遺跡がごろごろしている町に住んでいるが
 あまりにもたくさんありすぎて、ろくに管理されてないし
 住人達の歴史意識は高くない

 

コインドルの下はゴミ捨て場になってたり
 コインドルに乗っかって焼肉したりする人もいる。
 何しろ巨大な石だから。
 屋島に歴史的価値を見出せない高松の人を笑えない。
 
 
 
 
 もともと平岡さんは徳島の日和佐生まれだそうだ。
 大阪のメーカーで設計の仕事をしていて
 転勤で高松にやってきたという。
 
 そこで屋島に惚れ込んでしまったそうだが
 そのうち広島に転勤の辞令がおりた。
 
 迷った末、平岡さんは会社を辞めてしまったそうだ!
 
 それでこれからどうするかなあと思っている日々毎日
屋島の道なき道を分け入っていったそうだ。
 (奥さんは一体どういう人なんだか会って見たいもんだ。)
 
 そのうち遺跡発見してしまったりして
 すっかり有名になったり、
 あっちこっちから来る学者先生とお話したり
 観光協会と連携したり、いろいろやってるらしいんだけど
 今ひとつ、平岡さんだけ屋島城に愛を注ぐ人がいないらしくて
 自宅に「屋島城跡研究所」の看板を掛けたそうだ。
 
 屋島城に残ってる朝鮮式の城跡ってすごいことなのに
 このすごさに気がついてくれる人がいなくて
 でも看板でも掛けておけば、誰かがなにか聞いてくれるかなくらいの
 思いで掛けた看板だそうだ。

 

この素晴らしい屋島を来る人来る人すべてに屋島のすごさを見せてあげたいのに、
 観光客が山の中に入っていく道も平岡さんからみると今ひとつ整備されてないので
 自分が草を刈っているとおっしゃってた。
 屋島をいい状態でみんなに見てもらいたいから。
 
 「すいませんねえ 言葉も通じないのに、夫お願いして」
 と申し上げると
 
「いえ、全然大丈夫です、目をみたらわかりますから、こういうところが好きなんだって。」
 
 やっぱり。
 
 案内してもらった夫は
 満足しきった顔で帰ってきた。
 
 
 朝鮮式の山城というのは、
 普通日本人が想像する大阪城とか名古屋城とか
 ああいったつくりのお城とは全く違う。
 
 山自体を自然の要塞とみなして
もともとある断崖を城壁だとみる。
 断崖が足りない部分には石を積んで城壁とする。
 その要塞が幾重にも重なっているのが特徴だ。
 
 それは目にみえるものではないので
 その知識がない人にはただの山である。
 
 平岡さんのお年はは60過ぎだ。
 うちの夫の年齢が40だというのを聞いて
 
 「あなた達の世代がこれから歴史を検証して考察していくんですよ。」
 といった。
 
 
  「考古学だけとか歴史学だけとかじゃなくて

 専門をまたいで研究する人が必要なんですよ。
 あなたのやってることっていうのは
 そのうち時代が必要とするときが来ると思いますよ。
 とご主人さんに言ってください。」
 
 と励ましてくれた。
 
 やや自嘲気味に
 「携帯ももってないし、パソコンもできない。」
とおっしゃるので、平岡さんにはメールでなく
 お礼のお手紙を書こうと思う。
 
 屋島案内お願いしますと知らない人間から電話をもらって
 「はい、分かりました。」と言ってくれた方である。
 携帯がなくてもパソコンが使えなくても
 自分の身体をさっと動かせる機動力のある方である。
 本当にありがたい。
 
 ただ屋島が好きだから。 とおっしゃる。
 
 
 こんな人がいることを、私は全く知らなかったし
 夫に屋島に連れて行ってと頼まれなかったら
 屋島そのものに興味もなかった。
 
 夫に頼まれてあっちで通訳し、こっちで通訳し
 夫のかわりに、夫が言うであろうということを
 先回りして説明しているうちに
 なんだか習慣になってしまい、
 私はどこに行っても名刺をだして
 「白村江の戦い記念事業を行っております。」
 と挨拶をしている。(まるで選挙にでる人の奥さんのようだ。)
 
 平岡さんのおかげで、屋島の探索は無事に終わったが
 次に日本に行ったときには岡山の鬼の城(木の城)である。
 
 ここもやはり、朝鮮系山城だ。
 岡山にも平岡さんのような方はいるだろうか。
 ちょっと探してみようかと思っている。
 
 こういう人との出会いは本当に嬉しい。
 向こうもおそらく喜んでくれているだろうと
 勝手にいいようにとっているが。
 
 そんな出会いがありました。

 

'恵実子のひとりごと' 카테고리의 다른 글

韓国の田舎の素敵な美容室  (0) 2010.09.16
身体のゆがみを直す方法  (0) 2010.09.13
大日寺の住職さん  (0) 2010.09.13
お利口さんとお馬鹿さん  (0) 2010.04.20
人は誰でも変われる  (0) 2010.04.06