韓国の現実として
子供が勉強ができないのは、
そのバックアップをしてやらないお母さんの責任になってしまう。
という指摘でしたが、同感です。
それじゃあ、小学校の先生って一体なにするの?って疑問がわきます。
決め付けたくはないのですが
韓国の学校の先生というのは
「決められた教科を教壇で決まった時間数
講義すること」
が、出来ればいいと思っている人が結構いて
「理解すること」 「理解させること」は
親、または親が私教育に委ねるべきことだ。
と思ってる傾向が強いように思います。
知り合いの私教育教師と話していると
学校の先生と決定的に違うなと気がついたところがあります。
例えば私が「小学校6年生の二学期の数学の過程にでてくるこの問題が、、、」と振ると
学校の先生の場合 「ふんふん」 とうなづき、その範囲を説明してくれるのにとどまるのですが
私教育に携わる人の場合、
「それを理解させるにはね、、、」 という言葉が続くのです。
どうも、学校の先生の場合
理解させるために
応用問題をコピーしてやらせるということは出来ても
その解法に関する深い理解と多角的な視点が弱い上に
それを自分がしないといけないという思いからして弱いようです。
何でだろうか?何でだろうか?
私はここ数年、小学校、中学校、高校にやたらと出入りしています。
しかし、その現場の先生から
「日本語のレッスンをお願いします」と言われたことって、一度もありません。
「高校の時、第二外国語でやりました。」って人にはたくさん出会いましたが。
わざわざ調べてきたり、尋ねてきたり
時間を割いて、私に「日本語教えてください」っていう熱心な人って
「上手くいってる私塾の先生」なんですよ。
「教える」ということの循環が上手くいき、
「教える」ことで経済的にも豊かになっている人が
もうひとつ何かを「学びたい」と素直に思って、また新しいことを始めていくんです。
結果的にそういう人は、もっと豊かになると思います。
つまり、学校の先生というのは、純粋に「教える喜び」を感じてなくて
「学ぶ喜び」もよくわかんないっていう人がいるということかもしれません。
なにしろ彼らは学校の一日の拘束時間が長いですからね。
といっても、韓国の学校の先生って「あまり期待されていない」
んだろうなあと思います。まわりのお母さんたちの言ってることみると。
これってかなり先生には気の毒なことです。
しかし、頼られると人間力を出すものですし、
日本人の私としては「まず、あるものから使う」が基本です。
ですから、やっぱりこの「学校の先生」を無視せず、
いい関係を作って、この方に出来る限りのことをやってもらえるようにするってことが
長期的にはいいと思います。
だって子供たち「学校に行ってる時間」がものすごく長いのですから。
学校はそんなもんだと決め付けて、
教育は私塾にたよるとなると
子供の一日が塾漬けになってしまいます。
人は喜ばれると元気が出る。そしてもっとやりたくなる。
これは、おそらく韓国人もおなじこと。
私が通ってる「へき地小学校」の先生も
働きかけて、「この子、こうなんですよ、こんなこと言ってました」を
伝え続けていくと、僅かですが反応が出てきました。
韓国の学校の先生をえらくこき下ろしてしまいましたが
中にはすんごい先生もいます。
その具体例が近所の学校に居るので
インタビューしようしようと思いながら、全然できていません。
冬くらいには、、、アップいたします。
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