今週、新聞のコラムにあげた記事です。
前回韓国語校正役の夫に「こんなもん、読めるか!!」と
つっかえされたので、
今回はいつも以上に気を入れて書きました。\(*`∧´)/
そうすると、夫は「今回の文章は随分なめらかだ。」
とほとんど修正無しで
返してきました!! (・∀・)
ほーっほーっほーっほ!!
ざまーみやがれ!! (`∀´)
と、夫と争っても仕方ないのですが。
まあ、この夫がオーケーしないと文章が出せないので
こぜりあうことはあっても、
ありがたい存在です。(今回もありがと)
今週は、「食文化の違いから」ということで書いてみました。
例によって、新聞原稿をこちらのブログにあげると
いつも行間がひっついてしまって
非常に読みにくくなり申し訳ないです。
関心のある方、読んでくだされば嬉しいです。 (えみこ)
食文化の違いから
ー家庭料理としての「おにぎり」ー
「おにぎり」を食べたことがあるだろうか?
韓国語では「チュモクパプ」と呼ばれるこれは、
最近どこのコンビ二でも売られているので,どういうものか知らない方は多くないと思う。
韓国コンビニの「おにぎり」は具として、
焼き肉やフライドチキンやマヨネーズ味のツナが沢山入っていることが多い。
具の栄養価が高いものほど良く売れるようだ。
日本のコンビニで売っている「おにぎり」も同様であるが、
店で売られている「おにぎり」は日本の家庭で普通に作る「おにぎり」とは少し違うように思う。
私の母が作ってくれたおにぎりは、
中にいつも梅干しか醤油をまぶした鰹節が入っていた。
それもそれほど沢山は入っていなかった。
時には中に何もいれずに、手に塩をまぶし、おにぎりを握ってくれた。
大人になってからはその中になにも入ってない「おにぎり」が一番美味しいと思うようになった。
韓国人が見たら「そんな米だけのおにぎり何が美味しくて食べるのか?」と思うかも知れない。
おにぎりは本当は具が問題ではなくて、米を美味しく味わう方法なのだ。
米が美味しく炊けてさえいたら、冷えても美味しい。
食事の度に米を炊くという方法を
選択しなかった日本人が考えた「冷や飯を美味しく食べる方法」の一つでもあるだろう。
しかし「米を味わう」という感覚を持たない人がこれを出されたら、
「こんなものを出された。馬鹿にされている。」と気を悪くするかも知れない。
ー「おにぎり」による虐待?ー
ソウル大歴史学科教授を勤められた李元承教授が、
御自身の中学時代を中心に記録した「平壤三中ー学窓の追遠史」という書籍がある。
太平洋戦争が泥沼化し、日本の中学生はもちろんのこと、
朝鮮総督府の管理下にあった朝鮮半島の中学生も学徒動員ということで、
工場で働いたり、土方や農業に従事している姿が描かれている。
朝鮮半島の学徒動員で、土方工事をしている中学生に食事として、
「おにぎり」が支給されるシーンが後半にある。
「おにぎり」一つ与えて、この重労働を強制しているということに心傷付き、
「虐待を受けている」と韓国の中学生が傷付いている場面が印象的だった。
同じように「おにぎり」を支給されたのが日本列島の中学生だったら、
「おにぎり」のせいで傷付くことはないのではないかと思ったのである。
日本では労働する場合、それが当然の食物だから。
食文化の違いに関する話は尽きない。
例えば韓国での土方仕事には食事が当然つくが、
日本では弁当を持参して行くのが普通だ。
これは「食」に対する考え方自体が違うために出来たずれであるようだ。
目の前の現象だけを見て良い悪いの判断を下すのは早急である。
食の目的の一つには「健康追求」があるが、
日本では「体に不必要に溜ったものを排出することが健康に良い」という「瀉」への指向、
韓国では「栄養のあるものを摂取することが健康によい」という「補」への指向が強いという違いがある。
ー「沢山食べろ」も虐待?ー
韓国に住み始めて初めての秋夕のことだったが、
あまりにも「食べろ、食べろ」と言われるのですぐに御腹一杯になった。
食事と食事の間にも、餅を食べたり、果物を食べたりするのに驚いた。
まさか夕食は食べないだろうと思っていたのに、まだ夕食も食べる。
しかも夕食の後に、また酒が出てきてなにかを食べ始める。
こんなペースで食べていたら、肥満体になるのは目に見えているし、
糖尿病、胃腸病にも罹りやすいだろうにと嫌な思いがした。
周囲が「食べろ」と勧める度に、虐められているような気がしたものだった。
その「食べろ」は食物を口にいれろという意味ではなく、
あなたを共同体の一員と認めているから、我々は歓迎しているという意味であるのは分かっていてもである。
しかしそれも10年以上昔の話だ。
今では私は逆に人に「食べろ、食べろ」と強く勧める人になってしまった。
ー深く知ることで見えてくるものー
日本と韓国の両方に足を架けた期間が長くなり、
ある程度客観的冷静に両方の事象を眺められるようになったと自負している。
韓国の食事スタイルと日本の食事スタイルどちらがいいかと言うことには答えられない。
好きか嫌いかは言えても良し悪しは決められない。
ただ言えるのは、多くのスタイルを知っている方が食事の楽しみが増えるだろうということだけだ。
また、同じことでも、その文化を深く知ることを通して、
違った見方が出来るはずだ。
例えばこんなことだ。
日本では食事の時、おかずを一人一人個人用の皿に盛り分けて食べることが多い。
それを韓国の食事スタイルに比べて連帯感を育てにくい、
情の繋がりを感じにくいと指摘する向きがある。
しかし日本人として一つだけ弁明させていただきたい。
日本では「同じ釜の飯を食った仲間」という表現がある。
食べる時には、バラバラの皿に盛ったとしても、
それを炊いた釜は同じである。
同じ釜からでた飯を食べている人間の強い連帯意識を表した言葉である。
食事という過程のどこに重点を置き、どこを見ているかの違いである。
文化理解には終りがない。
私も現在「韓国」を少しでもちゃんと知ろう、深く知ろうとしている過程の途中にいる。
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