こんなこと、あんなこと

いろんな人生がある2011.10

백강 문정사랑 2013. 9. 9. 10:21

ここは一体どこでしょう。



 

山ほどの洗濯物



 

全部靴下。


 

すこし遠くに目を移すと、大規模な農業をやってる畑が。



敷地の中には、キリスト教の礼拝堂があり、、、



 



 

広い校庭、



遊具。





シーソーの上には、小学生用の鞄が

いくつも洗って干されている。





教育館に

食堂に



宿舎

外も立派だけど、中もとても清潔で快適である。

ここは、事情があって、

父母と住めなくなった子供たちが 生活する施設で。

韓国法務部の管理下にあります。

 

収容保護年齢は、高校三年生まで。

それ以後は、独立するか、親と住むかの選択をします。

何故、親と住めないかというと

各自様々な事情があります。

親の養育不可(貧困だったり虐待だったり。)

ここでは、現在50人足らずの学生が共同生活をしています。

このすぐとなりにも類似の施設があるのですが

この地域の人たちは、この二つの施設のことを

軽く「孤児院」と呼んでいます。

二年ほど前、ある日本女性が、

韓国人のご主人とこれ以上暮せないという状況に陥りました。

彼女は現在ソウルでいますが、

彼女に生活能力がなく、

 ご主人も子供を養育できる環境ではなかったため

こちらにお子さんを

お願いすることになりました。

その家庭のお子さんたちは,

それ以降ここでずっと暮しています。

お母さんがソウルから降りてきて、

子供たちに会いに行くときに

私に時間があれば、同行しています。

お母さんが韓国語があまり達者でないので

通訳が必要なためもあります。

未就学児三人に先生が一人ついて、

いっしょに寝泊まりしてくれるという細かい対応です。

おそらく衣食住すべての面において

彼らが「親元」でいたときより

安定した生活を送れていると思います。

お母さんは

「子供を施設に預けて大きくさせるなんて、、」と

自分を責めるのですが、

私は子供を育てていたときの彼女の姿を知っているので

「全く余裕のない母親に放置されて暮すより

 沢山の人の手に囲まれて、気にかけてもらって成長する方が 

 良い結果を生むかも知れない」 

といつもいってきました。

実際彼女がこの子供たちを引き取って暮すのは無理があるからです。

家庭が「家庭としての機能」を喪失した場合

一時避難する場所というのは、絶対必要です。



 彼女は子供たちの顔をみてソウルに帰っていきました。

「今年の末までに、もう一度降りてくるね」 と子供たちに約束して。

「いつも明るく考えて、沢山笑って、

 ちゃんとしっかりごはんを食べて、しっかり寝るのよ! 

 何かあったら電話してね」

 私はそういって彼女を送り出しました。

ここの園にいる子供たちは

家庭で育っている子ではないけれど

 彼らがまともな人間にならないなんて誰がいえる?

 

 

園の入り口には「蓮の花」

 「蓮は泥のなかでも花を咲かせる」



言い古された言葉だけど、本当にそうなんだ。

親に育ててもらえなくても

立派に大きくなってる人はちゃんといる。


親だって、いろんな親がいるんだから。