ある日突然、新聞社を通して
「えみこさんのファンです」
という電話がある人から掛ってきた。
私が韓国語で新聞にあげているコラムを
一つも漏らさず読んでくれているそうだ。
「そりゃありがとうございます。嬉しいです」(‐^▽^‐)
「会いにいきます!」
「はい、どうぞ。お待ちしてます」
とお答えしたが、
その相手はなんとソウル大学の教授だった。
この本の著者
タイトルは「引退後の30年を準備せよ」
版を見ると相当売れた本のようです。
サインもらった。
知恵深いえみこさんへ と書いてある
英語も日本語もペラペラ(早稲田で教えてたらしい)
元々大学教授ではなくて、金大中時代には大統領秘書官
廬厶ヒョンの時代には統計局局長を勤めた官僚だったそうだ。
あと韓国人初のIMFでの理事だの、ユニセフの委員だのも経験し
現在でもどっかの大きな慈善団体の理事だのをやっている超多忙な方だった。
もともとコチャンの出身なので
(ここはすごい有名人が沢山出ている)
コチャンの地域新聞には目を通していたらしい。
それで私のコラム欄に目を留めたそうだ。
ソウル大学でやってる「スパーク(なんとか)」
(先生すみません、、、名前忘れた)
という経営大学院のようなところがあり、
この教授はそこの責任者だそうだ。
生徒は企業経営者と検事・弁護士、官僚などである。
それで「週末にたくさん人を連れてコチャンに行くから、えみこさん。
セミナーに出てきて何かしゃべってください。」と言われた。
私は、なにしろ来るもの拒まずで生きているので
「はいはい」と考えなしに返事をした。
それで、事務の方からその後、セミナーの詳しい時間だの
出席者名簿だのがメールで送られてきたのだけど
私といっしょにセミナー講演する方のテーマが「原発」。
堅いテーマだよな。こっちと全然違うよな。
しかも、セミナー受講生の名簿の職業欄にはくらっとするほど
大きな企業の経営者の名前がならんでいた。
ということで、この一週間
「なにをしゃべろうか????」と悶悶していていたが
付け焼き刃で、なにか出てくるはずもなく
とりあえず、いつもコラムに書いてあるようなことをお願いしますと
言われているんだから、素直にそうすることにした。
私にくれた時間は20分。
ちょうどいい時間だと思った。
午前7時にソウルを出発して
一日、コインドルだのソヌン寺だのを駆け巡った方たちの
夕食直前のセミナーだ。
長々話してどうする。リスナー寝ちゃうだろう。
私は、日本人としてここで生活しながら感じてきたことを素直に話した。
今となってはもう純粋な日本人とは言えなくなってしまったが、
かといって韓国人でもない。
異邦人でありながらも異邦人でもない
中途半端な立場と視点をもって
世の中を眺めていること。
その観点で両国を眺めてみたときに非常に面白く、
こういう立場だからこそ分かることがあること。
しかしこういう観点を持つに至ったのは、
夫と喧嘩したり傷付けあったりしながらも
二人で押したり引いたりしながら、
それでも放棄せずに、どうやったら
「文化が違い考えの違う二人」がいっしょに暮せるのか
ということを
一生懸命模索して来た結果であって、
その点、私の手を決して離さなかった夫に心から感謝している。
(私は実は何度も夫に離婚宣告をして彼を傷付けてきた)
だから私の人生は日本で日本人同士結婚していたよりも
多様に広がったと思うし
面白い人生を歩めるきっかけになったと思うので
私は自分が国際結婚したことに心から感謝している。
そして夫婦という一見閉息した関係にも
個人的には希望をもっている。
という話をした。
結果としては、非常に好評で(あったと思う)
「日本人がこういう内容を韓国語で
さらっとしゃべる姿を初めてみて驚いた、すごい」
と、誉めて頂いた。
私は9センチのハイヒールで壇に立っていた。
私がこれくらいの靴を履くともう
ほとんど身長180センチになってしまうので
「なにか文句があんの?
いえるもんならいってごらん」
というかなり強圧的なナリである。
小さくてかわいいという日本女性のイメージからは
私は限りなく遠い。
声も大きい。(あなたの声だけがとなりの部屋でも聞こえると言われる)
それも真っ黒のスーツで
首には金のネックレスなので
まるでやくざのようだが、
韓国ではこれくらいの方が受けが良い。
ここはさりげなく よりも
「さあ、どうよ!!」のほうがどうも良いみたいで。
質問コーナーもあったりして、
「日韓の葛藤をどうこえるか?」みたいな球が飛んできたので
あまり深刻にならないような答えでうち返した。
私のスピーチを軽くまとめて
教授が、
「『違い』は『間違い』の同義語じゃない」
ってお話でしたね、
これは国際結婚だけじゃなくて
普通の韓国人同士の結婚でも同じですね。
いやあ、ありがとうございました。 と評した。
その後に原発講師の講義40分だったのだが、
これはもう、、、
「苦悶!!!」の一言だった。
正直あまりにも面白くなかった。
他の聴衆もそう思ったようで、観察すると居眠りが続出していた。
テレビで言ってるようなことを御用学者が繰り返すというやつで
「原発は安全です!
日本には津波が来ましたが、韓国には津波がありません!
原発を放棄したら韓国の産業発展はこれからどうなってしまうのでしょうか!」
という内容で、正直疲れた。
だって歴史記録が残ってるのに
一体なにを根拠に「津波はありません!」なんて言えるのか。
「勉強し直してこい!!」と思った。
韓国に津波が来た記録があるんだから、
「津波さえなければ大丈夫です」ではなくて
「津波が起ったらこう対処します」が本当でしょうが
お利口さんのあつまったセミナーでそんなことを言う人は誰もいない。
なにせこの講師はここの集まりの先輩らしいから。
ということで食事。
これが基本のセットで、
ここに鰻登場。
「かんぱーい」
こういう年代の方たちでした。
お坊さんの左隣の方が私を
招いてくださった教授。
えらくダンディで、素敵なコートを着て洒落たストールをしていたので
「とても素敵ですね、奥様の趣味ですか?」と聞くと
「うちの家内は医者で、私のことなんかぜーんぜんカマッてくれなくて
まったく役に立たない嫁です!!」
というお答えが。
ああ、そうですか。
しかし先生、あなたもこう有能で忙しく飛び回ってたら
家にもあまりいられないでしょうし
それこそ奥様のほうに「役に立たない夫だわ」
と思われているでしょう。
と思ったが、それは言わなかった。
この方は地域の多文化政策にとても関心を持っているので
これからも長い付き合いになりそうだ。
二次会は遠慮してさっさと家に帰ってきた。
お土産を頂いた。
ソウル大学で講義した講師に渡すものだという。
これがソウル大のマークらしい
こういうセット
こっちは螺鈿細工
わあー綺麗。
真ん中をパカッと開くと
こうなる。
あー 良い経験させてもらった。
私はスピーチさせてもらいながら
自分の声がどんどん大きくなり、部屋の隅々まで良く響き、
そしてリスナーが私の話に合わせて笑ったり驚いたりするのが
すごく気持良くて、
「こんな40人くらいじゃなくて、
400人くらいいや、千人くらい人がいたらもっと面白いのに!」
とマジで思っていた。
時間があったら一曲歌でも歌いたいくらいだった。
うーん、韓国に来てから日本語講師沢山してきたが
伊達にやってこなかったのねえ と思った。
そうだよねえ、沢山の人の前で喋るってことに嫌気が指すような人が
こんなにずっと講師の仕事やってないよねえ。
「そうかこれが向いてるってことか」
と改めて腑に落ちたりした。
やってみると分かることってあるよなあ とあたらめて思ったのでした。
来週は、この地域の多文化センターの催しで
わが家の子供を引き連れて日本語と中国語のスピーチをします。
仕事が忙しいので最初お断りしたのですが、
どうしてもセンター長が
「舞台の上で、おじおじするような人には
任せられないから」
ということで私に無理やりオハチが回ってきたのです。
私だってときには小心になったり、落ち込んだり泣いたりするのですが
周囲が「全くものおじしないえみこさん」
という評価を固めてしまったので
こうしてやたら人前に引っ張り出されることが多い生活です。
思ってもみないところから声が掛るのは
ありがたく楽しいことです。
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