元気なハルモ二たちを後にして
私は義母のいる老人養護病院に向かいました。
(こっちが病院)
ここは、、、なんと! 老人養護病院と葬祭場の建物が繋がっている!
というオドロキの建物構造なのです!
(こっちは葬祭場)
なんてあからさまな!!
いくら こっちからこっちに行くのは当たり前とはいえ、、、
うちの義母はかなり前からここにいるのですが
家に戻せない理由は
家に帰ってもまた怪我をするおそれがあるからです
義母の家にはあちこちに段差があり
老人にとっては
足ひっかかりまくり危険ゾーンが一杯の
デンジャラスな環境です。
農業用のホースがあちこちにちらばっています。
まったく老人にやさしくない家です。
環境改善の努力も空しく
いつもそんな感じです。
生前の義父も、家で転んで大腿骨を骨折し
6か月入院した過去のあるいわくつきの家です!
ということでもう義母は家には帰せないと
ここで生活してたのですが
なんと先日この病院のトイレで転んで
また義母は骨折してしまいました。
午前3時のことだったそうで
一人でトイレに行きたくなった義母は
そこで転んでこんどは「骨盤」です。
怪我しないようにとここにいたのですが
結局病院の中でも怪我してしまいました。
午前中、乞食ルックの司会者がハルモ二たちに
「一に健康、二に健康、
三も四も健康で、五も六も健康!
そーでしょうー!!」 と言っていた。
ハルモ二たちは 大声で
「ネー!!」
うちの義母はもともとああいう催しにも行かない人でした。
歌も歌えない。拍子も取れない。
字も読めないから、何かを読んだり書いたりする楽しみもないうえに
耳が遠くなって看護師の言ってることも分からないのに
文字での伝達もできません。
耳が遠くてソウルの息子たちの電話もまともに聞こえません。
体が元気なときは良かったのです。
義母はいつも暇さえあれば畑にでていたから。
そういうことができなくなって
他人とコミュニケーションをとれないと
人はどうなるかというと
「自分の世界」に埋没するのです。
義母は今「自分が見た夢の話」ばかりを繰り返します。
義母の精神はどんどん現実から遠くなる。
私はその後、義母を後にしてある会議に出席しました。
そこで代表挨拶に立った偉い人(だと思う)が
こういう話をしました。
「私は先日急に知事の代役で、
ある中学校の卒業式に参列しました。
そこに80代の卒業生がいたんです。
わたしはその卒業生をみて涙が出てきました。
なぜかというと、、、
私の父は早く亡くなったので
母は若いうちに寡婦になりました。
母は5年前に死んでしまったのですが
最後は痴呆の症状が出ていました。
母は文字の読めない人でした。
私の子供としての後悔は
「母に再婚を薦めるべきだった」ということと、
「たとえ60代であったとしても、母を学校に送ればよかった」ということです。
もしこの二つのうちどちらかをしていれば
母の最期は痴呆で終わることはなかったのではないかと後悔しました。
だからその80代の卒業生をみて涙が出たんです。
私は人間には絶対に「教育が必要だ」と思います。」
何しろ偉い人?なので
代表挨拶を済ませて、さっさと次の場所に移動していったが
私もこの話には深く同感した。
年を取って体が動かなくなったとき
そのとき実は「文字」はもっと力を発揮するのかもしれない。
私は義母の姿を見ながら、より一層
教育の機会は人間には絶対必要だと思うのです。
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