子供のおかげで得した話です。
うちの末っ子スンギくんが
生まれてすぐに言われた言葉
親以外の第三者からの第一声は
「オンチョン!チャールセンギョッタ!」でした。
日本語に訳すと
「すごいきれいに生まれた』と言いましょうか
「えらい男前」といいましょうか
つまり「見た目がいい!」
が他人さんからの第一声でした。
「見た目」を日本以上に気にする韓国では
その価値を褒め称えてやむことがありません。
この子が赤ちゃんの時に抱っこして
いろーんなところにつれて動いたのですが
(そうじゃないとどこにもいけないから)
どこに行っても赤ちゃんの顔を覗きこんだ韓国人から
「チャールセンギョッタ!」
そしてつづく言葉は
「抱っこさせて!」
これは積極的な韓国人だからそうなのだろうと思っていたのですが
彼の場合、日本に行っても
若い女の子達が
「きゃーかわいい!イケメン!抱っこしてもいいですか?」
といって、自分の席に連れて行くことが何度かあった。
へー日本もそうなんだ!と思った。
そしてみなさん自分のかばんやポケットから
アメとかチョコとかの食べ物を
出してはうちの子に握らせる。
ソウルで住んでいたアパートの上階に住んでいた
ある奥さんは子供たちがすべて大学生になってしまったので
すこし暇になって(それも全部ソウル大に入ったという!)
うちの末っ子にメロメロになって
「なんて可愛いんでしょう!」といって
顔を見るたびにウチの子の手に
「お札」を握らせていた!
それはいつも一枚ではなかった!
「うちの子」に食べさせてね、といっては
なんかこだわりの「有機栽培」の果物とか卵を
送ってくれては『子供にはいいものを食べさせなくては」と
ハッパを掛けてくれた。
我が家では
買わない買えない!高級食材だった!
引越すときにはそれは惜しんでくれて
なんかすごいセットを送ってくれた。
つまり、この子がくるーっとそこいらヘンを回ると
物であれ、お金であれなにかを持って帰って来る。
夫が連れまわしても、
この子の手には帰り道
いつも「お金」か「おいしいもの」が
握られている。
手ぶらでいって土産がついてくる!
保育園の先生は
預けた当初から「可愛い!」を連発し
園から送って来る写真の中で
うちの息子はいつも先生に抱っこされてたり
キスされてた。
園児はひとりじゃないっつーの!
彼はあきらかなひいきをたくさんされてきた!
こうして「世間様」に暖かく迎えられ
どこにいってもいい待遇をうける末っ子にとって
「世の中に悪人なし」になってしまうのではないかと
思うほどである。
それくらい「見た目のいい人」は
韓国ではいい待遇を受けるのだなあと
いや、日本でも実はそうなんだとこの子を連れていて
「私の知らない見た目効果の世界」を見せてもらった。
おかーさんはそんな風に扱われたことはないぞ!
元グラビアの女王武田久美子さんは
女はキレイかキレイじゃないかによって
一生で一億円くらいの差がつく!
と豪語している。
ここに書いてありました
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武田久美子さん
今や『女は」という定義は取ってしまっても良いみたいですよ。
男もいまや
ずいぶん差がつくみたいです。
芸能人にしろとかモデルにしたら? と
特に末っ子が赤ちゃんのころはよーく言われたのですが
そんなもん!
ホントに子供を子タレにしようと思ったら
他の家族がその子のために犠牲になってしまいます。
ウチは金ヨナの家じゃないっつーの。
平凡で結構でございます。
末っ子は、どこに行っても
人から見た目を褒められてきたので
いまや自分が
「チャールセンギョッタ!」な人であることは
揺ぎない自分の特性のひとつになってしまったようだ。
先日、うちの長男が末っ子に
「チビでブサイクな奴!」と罵ったところ
末っ子は私の方にやってきて
「お兄ちゃんはあんなこと言ってる。
ボクは背は小さいかもしれないけど
絶対ブサイクではないと思う!」
と自信を持って私に言うので笑ってしまった。
満五歳である。
しかし顔も変わっていくので
彼の赤ちゃんの頃を知っている人たちは
「昔に比べてずいぶん器量が落ちたんじゃないか?」と
言ったりもする。 そりゃそーだ。
何しろ最近、そういうこと書いたばっかりで
その例には枚挙に暇がないじゃないか。
田舎に下りてきたときちょうど
郡の責任者である、郡守の就任式があった。
この町の多文化家庭支援センターの所長が
うちの息子をそれはそれは高く評価していて
なにかがあると前に出したがり使いたがる。
この人がウチに「花束を郡守に渡す役割」を頼んできた。
そのときまだ末っ子は満3歳くらいだった。
他の郡庁の職員が
「そんな小さい子にやらせてできなかったらどうするんですか!」
と青くなって反対した。
しかしセンター長が
「絶対大丈夫です!」と太鼓判をおしてごり押ししてやらせた。
うちの末っ子はなんの気負いもなく
軽く任務を全うした。
このとき着ている彼の韓服は、
このお役目のために郡が買ってくれた、、、
このときが6月の半ばだったか
結構暑くなりはじめていた。
私も『民族衣装着用」といわれていたので着物を着るかと。
「浴衣」じゃしょぼいな
しゃーない訪問着にするか、、しっかし暑いな
しかし重ね着は暑いなあ、、
と私は着物を着る面倒くささに嫌気がさしていた。
センター長としてはおそらく
「おかあさん」は誰であってもかまわないようだった
えみこでなくてもかまわない、、のも明らかだった
ただ『この子」を前に出したいだけだったようだ。
でも『この子」が前にでると、
おかーさんである私もセットで出ることになるのでこうなった。
こうやって「この子」のおかーさんである私が舞台で
郡守に花束を渡す役割の補助をしているのを見て
ホール一杯に埋まった郡の人たちは勝手に
「えみこさんは、郡守と太いパイプがあるらしい」
と言う憶測を飛ばし(←そんなもん、なんにもない)
「えみこさんの親戚は、
郡守の奥さんとの遠い親戚関係にあるらしい」
というデマが飛んだ。 (←それも大嘘)
私はただ
「息子の見た目」がいいためだけに
ここに借り出されただけの外国人でーす!
しかし「息子の見た目」のよさがきっかけなんて!
親の七光りじゃなくて
これじゃ「子供の七光り」だ。
いろんなところに連れて行かれ
いつも「一番前に座ってね」とか
「代表でどうぞ」とか言われていると
人は勝手に
「あの人にはなにかの権威があるらしい」と
思うようになるみたいだ。
そんなもんないわ!全然ないわ!
しかし席が一つ前になるかならないか
列が一列前になるのかならないのかで
「きっかけ」の多さは違ってくるのである。
間違いなく。
息子に掛かってくる声の多さを横目で見ながら
『見た目』のいい人というのは
絶対に「機会」の多い人であると思う。
ただ、その『機会」を生かすには別の能力が必要だ。
「見た目」だけをアイデンティティにしている人の人生は辛そうだ。
だってそれは間違いなく
「老化」によって蝕まれる
先にあげた武田久美子さんの現在の活躍は
40代に入っても『見た目のよさ」を維持するテクニックの
ノウハウを本人が持っているということでの賞賛だ。
さー、だから、スンギくん!
あなたはずいぶんいい『見た目」に生まれついたみたいだけど
『見た目」の効果を十分に
生かすためにも
「知性」と『感性」を磨こうね!
とおかーさんは思うのである。
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