えみこのひとりごと(2010年~)

済州島のバスの中

백강 문정사랑 2013. 9. 3. 13:59

私の乗ったバスのガイドさんは40過ぎの済州島生まれの女性でした。

 小6の娘さんがいるそうです。



 

  彼女が移動中に済州島について説明するのですが


 

 済州島初体験の私にとっては、全部 「へー、そーなの?」という話でした


 

 たとえば

 

 殺人、強盗、強姦、窃盗、暴力の5大犯罪の発生率が韓国全土で最も高い とか


 

 離婚率が韓国でずっと全国一位だったとか (最近は別の地域に負けてしまったとなぜか悔しそうでした)


 

 


 

 ここは方言がすごく強くて、ガイドさんが 現地の人と喋ってる会話は


 

 韓国語ではないようでした。



 

  多分韓国の半島部と済州島というのは 沖縄と日本本土に少し似ているかもしれません。


 

 

 済州島の人たちは、韓国の半島部にすむ韓国人を


 

 「陸地の人」と呼びます。


 

 ずっとずっと済州島で代々住んできた彼女達にとっては「同じ韓国人」というより、


 

 なんかちょっと感情がある感じがしました。



 

 ガイドさんが言った事ではありませんが、 


 

 済州島4.3事件というのがあったそうで。


 

 私はこれを空港にあったガイドブックを読んで知ったのですが


 

 1948年4月3日から 1954年9月までに、 島民の5人に一人に当たる6万人が虐殺された事件だというのです。


 

 解放後、済州島に共産思想を持つ人々が多数入り込んだという疑惑でこういう事件が起こったというのですが


 

 島民の五分の一って ほんとかと目を疑いました。



 

 もともとここは半島で罪を犯した人間の流刑地にもなってた島ですので


 

 (チャングムの誓いにも出てきました)


 

 いろいろとあったみたいですね。



 

 和田アキコさん、 ヤン・ソギルさんのお父上が二人とも済州島出身だとも。



 

 ここも日帝時代に 朝鮮総督府の統治下にあった島なので


 

 そのテの物があるに違いないとおもっていたら


 

 やっぱりありました。 「済州抗日記念館」 


 

 日本人の置き土産がこうして、韓国全土にあります。 なんか嬉しくない。


 

 


 

 3.・1万歳運動の済州島での高まりももちろんあったようですが


 

 ここでは「海女抗日運動」というのが激しく展開されたようです。


 

 私は記念館に行ってないので、詳しくは分かりませんが


 

 はて? 海女さんのあがりを とりあげて 統制しようとして反発されたのでしょうか?


 

 日本軍のチェックを受けてから海に潜れとか?


 

 海底でスパイ活動をしているのではと疑われたとか?


 

 とか勝手なことを考えていたら


 

 ネット上の記事でこんなのが出てました。


 

 


 

ーー済州海女抗日運動は日本植民地時代、


 

 日本軍がアワビやワカメなど海女の採取した海産物を安値で奪取し、


 

 各種の税金を賦課、収奪を強化すると、


 

 1000人余の海女が1932年1月7日から1月24日まで、


 

 済州・ハド里一帯で抗日生存権闘争を繰り広げた事件だ。ーーー



 

  ああ、つまり、海女さんに課税しようとしたんですね。


 

 ということは日本の海女さんも既に課税対象だったのでしょうか?


 

 漁業権とか海女権とか あったのでしょうか?



 

 この日本植民地時代になってからの朝鮮での課税ですが、


 

 それまで、韓国で課税対象でなかったものにまで、税が掛かるようになりました。


 

 たとえば私が最近翻訳している部門、酒の醸造関係なんかはまさにそうです。




 

  日本では鎌倉時代から酒に税を掛けるというシステムができはじめて、


 

 家庭での自家醸造というのは、国の税金逃れになるので禁止されました。


 

  酒というのは日本では買うものだったのです。


 

  韓国での酒造というのはもともと、個人の家でするものでした。


 

 

 酒の麹菌も日本と韓国では違います。


 

 当然水の質も韓国は硬水、日本は軟水で違います。


 

 しかし1910年の合併で朝鮮は日本の一部になったので


 

 様々なことが日本と同じように施行されました。


 

 

 結果朝鮮では、税を払って自家醸造するより、買ったほうが安いということで


 

 韓国の自家醸造は一旦廃れてしまいました。


 

 文化収奪というなら、おそらくこういう風にしてしまったことこそ文化収奪だと思いますが


 

 済州島でもそういう摩擦があったのだなあと。


 

 


 

 まあ、そんなことを考えながら、おばあさん達の観光コースを付いて回ったのですが


 

 まじめにガイドさんが 「ハンラ山は標高が何メートルで、、」 なんて


 

 話をしていると、夜中まで眠らずにしゃべくってるおばあさん達は


 

 すぐに居眠りを始めます。


 

 

 手練れのガイドさんは ちょっとエッチな話を始めました。


 

 「えー 済州島は 大根が有名です。ここの大根は特においしいんですが、


 

 女と大根って似てるって話があります。 どこが似てますか?」


 

 誰かが 


 

 「足か?」


 

 ガイドさんはくっくっくと笑って


 

 「色が白いです。


 

  水気が多いです。


 

 そして、剥いて食べます。


 

 それから コチュジャン付けて食べるとよりおいしいです。」



 

 ラストでハルモニ達 大うけ。


 

 バスの中は黄色い嬌声で「やだー! きゃー!!」


 

 なんでかというと

 

 韓国語で男性の生殖器のことを 唐辛子に見立てて


 

 「コチュ」というのです。



 

まだまだガイドさんの猥談は続きます。


 

 韓国語で 娘さんのことを チョニョ 、 オバサンのことを アジュンマ おばあさんをハルモニ といいます。


 

 なぜ そう呼ぶかという冗談です。


 

 「娘さんはチョニョしてないからチョニョ」   (否定形につく「チョニョ」は全然、まったく)

                           

 「オバサンは アジューマーニー したから アジュンマ」   (アジューマーニー は 『とってもいっぱい』)


 

 「ハルモニは ハルマンクン したから ハルモニ」  (ハルマンクン やるだけやった)


 

 「何をしたのかは私は全然分かりませんけどね」



 

 ハルモニ達またまた大爆笑


 

 「私は全然してないから チョニョだわ」 


 

 「私はハルマンクンまではいってない」  あちこちで そんな声が聞こえてきます。


 

 

 ガイドさんも大変です。


 

 他にも艶話がいろいろあったのですが


 

 なぜかみんなこういう話になると目が覚めるみたいです。


 

 


 

 そして、みんなが眠たくなった頃、バスの運転手さんが


 

 演歌を掛けました。 


 

 「サランウン アムナ ハナ? サランウン アムナ ハナーー!!」


 

 韓国人なら誰でも知ってる有名な演歌です。



 

 若めのおばあさんの一人が走行中のバスの中で立ち上がって踊りだしました。


 

 でた! 韓国名物ディスコバス。


 

 これは危険なので今は禁止されているのですが、


 

 昔は高速道路でとまっていると、必ずどっかのバスの中でやってました。

 


 

 やめろったって、やりたい人はやるんです。


 

 あっちこっちから手拍子がおこり、バスの中はにわか宴会場です。


 

 こういう元気なおばあさん達と三日行動をともにしました。


 

 


 

 実はツアー中、山で転んで骨折した70代の方が出ました。


 

 すぐさま119を呼んで、救急病院に運ばれました。


 

 ガイドさんの慣れた対応を見たところ、こういうことも珍しくはないようです。


 

 

 私の義母は、仕事のし過ぎで、農作業から離れられなくて


 

 先日ごみを燃やそうとしているとき、大怪我をして現在入院中です。


 

 腕と腰を骨折しました。


 

 こういう風に団体で楽しそうに旅行に来ているハルモニ達を見ると


 

 「うちのお義母さんもこういう風に生きてくれたらなあ」という欲がでます。



 

  仲良くなったおばあさんの一人に


 

 「これからもお元気で

 ずっとずっと旅行して楽しんでくださいね」 と


 

  心から申し上げてお別れしました。



 

  まさに彼女達は「元気なおばあちゃん」


 

  韓国にはこんなハルモニがまだまだたくさんいるのです。