こんなこと、あんなこと

娘の幸せを母はのぞまない?2012.1.19

백강 문정사랑 2013. 9. 13. 11:17

心理学関係の書籍で

  近年よく言われていることのなかに



 

  娘の幸せを実は母は望んでいない


 というテーマがある。



  こういうフレーズを聞いて


 「我が家はまさにそうです!」という方もいるし


 「うちはあんまりそうでもなかったみたい」という方もいる。



 

  私の場合を、書かせてもらう。


 

  お嬢さん育ちで、喋り方のおっとりした私の母は


 「悪意」という言葉が似合わない人だった。


 父が私を特別に可愛がっていたので、


 母親に嫌われる可能性もあったのだけど


 母親は、私の姉である長女とことあるごとに衝突し


 次女である私との関係はかなり良好に見えた。




  しかし、去年の帰省で、私が夫に子供を預けて


  夜の徳島を遊びまわり、(一日だけですよ!)


  深夜帰宅したとき


  母親はむちゃくちゃ怒っていた。



 「主婦がこんな時間まで遊びに行って帰ってこないなんて!」


  

  子守りを担当してた夫は、全然怒ってなかった。


 おだかやかな顔で


  「おかえり!たのしかったか?」




 母親のその怒り方は


 娘を諫めている怒り方というよりも


  自分の感情的なもののように私は感じた。



  子守をしていたうちの夫の手前に怒っているというようにも見えなかった。



 ただ「主婦になっても自由な時間を満喫している娘

    に対する嫉妬」


  のように見えた。



 ので、


 そのときは


 「ごめんなさーい」としおらしく謝っておいたが


  

  数日後



 「おかーさん、あの時のお母さんの感情はな、私に怒っとるのと違うで。


  自分ができなかった自由を人が、


  それも娘が楽しんどることに対する嫉妬や!


  あかん、あかん!


 そんなコマい人間になったらあかん!


  外国にヨメにいった娘が、


 独身時代と同なじように好きに夜遊び出来る!


 いやー!うちの娘はええ人と結婚したなー


 よかったよかった! 


 これでいかなあかんわ。


  自分の時はこんなことでけんかったとかいうて


  人のこと呪たらあかんよ!


  人を呪わば穴二つや! こわいこわい


 おかーさん、年とって鬼ババアみたいになったら

 

 あかんやないか! 可愛い年寄りにならんとな」



 と説教して日本を発ったのだった。


 うちの母はケタケタと笑っていた。



  

そして今年の夜遊びの数日前から


 「おかーさん、今年は娘の幸せを喜べる母になろうな!

  

  怒ったらあかんよ。 


  私が遅く帰ってくれば来るほど


  あーうちの娘は、気楽で素晴らしい くらいがグッドやな


  健闘を祈るで!」



 と事あるごとに話しかけた。


 

  思ったより早く帰宅した私に


 母は「どうしたん?こんなに早く帰ってきて!」


 とびっくりしていた。



 私だって無意味に夜の街を徘徊してるわけやないぞ。


 やること終わったら帰るわい。


  空しくて遊んでるわけはないんだから。


 

 そして二人で、コタツに入った。


 母がこんな話をした。


 「あんたが、韓国にお嫁に行って、


  あんなにすぐに韓国語ができるようになるとは


  まったく思ってなかったし、


  正直、あんたがこんなに旦那さんと仲良く暮らせるとは思ってもなかった。


  それで、外国でもあっちの人たちに可愛がられて大事にされて


 なんだかんだいってあんたの周りに、えらく立派な人たちが集まってきては


 ずっとお付き合いしてくれるのを見て、ほんまにびっくりしたわ」



  というので


 「おかーさん、正直な話、私がうまいこと行かん方の未来を描いとったやろー!」


 母は


 「ホホホホ」


 と笑っていた。


意識して自分の精神世界を覗き込むなんてことを


 母の年代の人はしてこなかったと思う。


  娘の幸せを恨む心理なんて


  全く自分の意識に顕在化していないのだろうから


   母にとってみたらただの「いいがかり」だろう。



 「常識的」にあんたのやってることは、あかん!


 というのが、母の言い分だろう。



 しかし韓国にとついで、いったん「日本の常識」の概念が分解してしまった


 私にとっては、母の感情だけが透けてみえて


 「それって自分がハラたってるだけやな」


 と言ってしまった。


 可哀相なおかーさん。 こんなイジワル娘を持ってしまって。

  





 「常識的にそんなことしたらあかん!」を言い続けている限り


 結局「常識」に縛られてしまうのは、言ってる本人だ。


 言われてる相手の耳にはあんまり入らないんだなこれが。



  おかーさん。もうあっち行く準備してもええ年やから


 かなり「常識はずれ」なことしても年齢のせいにしてきっと許されるで!


 「ああ、ボケはじめたな」と周りは許してくれるわ。



 今までやりたくてもできんかったことやってみ。


 例えば、そうやなあ とりあえず一緒に午前3時くらいまで


  遊びに行こうか?


  それで当然翌日の朝ごはんは各自食べてもらうということで。



  と私は母親に「脱常識」しても大丈夫だと語ってるのだけど


 いままで何十年も「常識」の中にで生きてきた人が


 そこから簡単にでられるわけもない。




  「おかーさん。狂人は狂うこともないし


  ボケはボケんというやないか。


   あんまり立派な人生をいきすぎると、枯れていく時辛いやろ


  あれもできんようになった。これもできんようになったばっかりで。


  最初から、『常識はずれ」で生きたほうがラクなんと違うかなあ」



 といってもおだやかな母の性格でそういうことができるわけもなく


 責任ある商家の奥さんとして、よそ様に恥をさらす母でもなく


  結局、だれの行動も変わらないのですが。




 ここまでの本音を年配の女性にぶつける機会なんて


 私には日本の親族以外ではありえないでしょうし。


 夫の親戚には絶対できません!! (してるか?)



 と今年も一生懸命自分の行動の弁護をして


 結局たのしく遊んで帰ってきたのでした。


 

 はははは。