えみこ書評(2010年以降)

私はソンしてる?2012.3.1

백강 문정사랑 2013. 9. 16. 11:14

とうとう長い冬休みが終わり


 

子供達が学校に行く時期になりました。



 

 韓国で夏休みや冬休みなどの長期休暇を


 

 「パンハク」(放学)といいます。



 

  そして学校の始まりは「ケーハク」(開学)


 

  


 

 うちの子達はクリスマス頃


 

 学校がパンハク期間に入ると


 

 「私達は今から、パンハク!


 

  でもオンマは今からがケーハク」と言ってけたけた笑います。



 

 そして自分たちのパンハク期間が終わるころには

 

  「私達は今からケーハク、オンマはようやくパンハク


 

 といってクラーい顔をします。



 

 そのとおり!


 

 パンハクのオンマは忙しいのです!!


 食事の用意とおやつの調達に加えて、


 うちは家庭学習中心で勉強しているので


  来年の予習をやってるのを私がチェックします。



 外に習いにも行きますが、基本は家庭学習です。



 

  そんなこんなで、自分の仕事も


  その中に混ぜ込んで仕事をしていると


  この期間ものすごくいそがしくて


  「もーいや!」


 

  


 

  そんなストレスが飽和状態に達しようとする私に


 

 夫が、なにげなくぽっと


 

  「おかずがこれしかないわけ?」


 

 なんていってしまった日には


 

 旦那寝かせずに三時間の説教です。


 

  「あんた、あちこちで偉そうなこといってるようだけど


  家庭人としてのあんたはどうなわけよ!


  人間として恥ずかしくないの?


  妻が至らないと責めるなんて、それでも配偶者のつもり?


  自分からどれだけのヘルプがあったとおもってんの?


  私より早く起きて、家のこと全部片付けた口でしか


  そんなこと言ってもらいたくないわね!!」


 




 

  しかしそう言いながらも


 

  この旦那と結婚したのも私


 

  子供三人生んだのも私。


 

  田舎生活に同意したのも私。


 

  それならここで出来ることを精一杯やるしかないもんなと思い


 

  生きてるわけです。



 

 しかし先日何気にこれを読んでしまい


 

  

女ぎらい――ニッポンのミソジニー/上野 千鶴子
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   なぜだか「私は損してるー!!」


 

  という思いがばーっと広がってしまったのです。




 

  上野千鶴子さんは「おひとりさまの老後」などの著作で有名な社会学者です。



 

  この本に限らず、フェミニストからの提言を


 

  長く世に出し続けています。


 

 

  「女ぎらい」-ニッポンのミゾジニー


 

    サブタイトルのミソジニーというのは


 

   「女性嫌悪」という意味だそうです。


 

  私はまた新しくカテゴライズされた


 

  三十路女の別の呼称かと思ってました。



 

  

  本書は多くの読者にとって、女にとっても、男にとっても


 

  -とりわけ男にとって不愉快な読書経験をもたらすことだろうー


 

  なぜならそれは多くの男女が目をそむけていたいことがらのひとつだからだ。




 

  本文からの抜粋で帯にはこう書かれていました。


 

  著者の言葉です。



 

  

  ミソジニー(女性嫌悪)というキーワードを元に


 

  男性の「女好き」の本当の意味、


 

 「母と娘の確執」


 

 「女の自己嫌悪、世代間の違い」


 

 「エロスと権力」



 

 などのテーマを語っていきます。


 

 まあ、現在の社会構図のなかでは


 

 「オンナ」は搾取され、損してるってことをいってるわけです。


 

 その社会の中では「オンナもオンナとしての階級に分離される」


 

 しかもそれはオンナを一つにまとめないための分断政策。



 

 林真理子が女に読まれるわけ、

 

 中村うさぎや酒井順子などの書き手に対する批評なども

 

 入っていて、読み物としても面白いものです。




 

 上野千鶴子や小倉千加子が面白いのは


 

 学者としての視点を確固としてもちながらも


 

 ベタな芸能話題などにもすっと触れられて、


 

  また的をはずさないことです。しかも笑える。


 

  小倉千加子よりも、上野千鶴子の笑いの方が、相当湿っているけど。




 

 

 これを読んでいて、なぜかずーっと


 

 「あんたは損してるわよ」「あんたは損してるわよー!」「気づきなさいよー」「ぬけだせー」


 

 と耳もとでささやかれているような感じを受けていました。




 

 確かに家族というシステムの中で


 

 「おかあさん」ってかなり大変な役割です。


 

  まず生活全般の裏方をやっているので、やること自体が非常に多い。


 

 


 

 体を動かすことに加えて「気働き」という店でも


 

  家庭内でのことは、主婦が一番「気働き」しているでしょう。


 

 具体的には段取りですね。


 

 たくさん動くこと、システム稼動責任の大部分を負うことが損なら


 

 主婦はまちがいなく「大損」な役割です。


 

 

 しかも私なんか日本以上に、負担の重い(であろう)


 

 韓国の主婦!


 

  あんたは嫁なんだから! の一言で、


 

  私の人権奪われまくりの日常です!

 


 

  家庭というシステムの救いのなさ


 

  夫婦間のエロスのモロさ、


 

 男が女を求める本当の意味、など

 

 人間の深層にあるとおもわれる本意、本音を


 

 上野千鶴子はどんどん明らかにしていきます。


 

 



 

  そしてその明らかになった事実は


 

  著者の予言どおり


 

  「不快な読書経験」を読者にもたらします。




 

   私にとっては


 

 「あんたは思いっきり損してる!」 だったわけで


 

  この思いは2.3日くらい私に思いっきり吹き上げてきて非常に苦しかった。



 

  女性が犠牲になってる。


 

  女性が搾取されてる。という事実があったとしても

 

  あったところで、結局子どもを生めるのは現代でも女性しかいないわけだし


 

  女性の方が育児に適した脳の構造になってる割合が多いわけだし。


 

   どうしろってのよ!



 

  現実的に結婚と出産というコースを選んだオンナが


 

  「しんどいやくわりまるでなし」でその人生を歩めるというのは


 

  かなり難しい。  程度や期間は個人差があるだろうけど


 

  出産の痛みってのは、共通にあるわけだし。



 

  生れ落ちた子供を施設みたいなところに入れて


 

  親元から離して教育して


 

  その間母親は社会復帰して男と同等に働く?


 

  いやー!! そんな共産主義みたいな子育て。


 

  しかも良い結果がでないと思うし!

 

  


 

  

 


 

  社会の縮図である家族の崩壊と、救いのなさを死ぬほど見てきた


 

  カウンセラーの信田さよ子さんという方がいます。



 

  この方は保険適応の効かない個人経営の精神カウンセラー業を


 

 長きにわたってつづけています。



 

  著書はたくさんあって


 

  

母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き/信田 さよ子
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夫婦の関係を見て子は育つ―親として、これだけは知っておきたいこと/信田 さよ子
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苦しいけれど、離れられない 共依存・からめとる愛/信田 さよ子
¥1,680
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  家庭というものに疑問を持つ方には一読の価値があると思います。



 

  家庭という密室のなかで行われている権力の横暴や被害について


 

  多分日本で一番実例を持っているであろう人ではないでしょうか。



 

   家庭がもつ問題に対する定義は、上野さんと似たところがあります。


 

  上野さんもよく信田さんの書いたものを引いています。


 

 

 

  しかし、じゃあ私達はどうしたらいいのか?


 

  というところで、二人はかなり違いがあります。



 

  この個人経営の精神カウンセラーというのは


 

  非常に具体的な指示までをクライアントに出さなくてはならないそうです。


 

 


 

 例えば、その家庭の息子さんの暴力で母親が家に居られなくなったとき


 

  「まずは安全確保のために脱出。


 

   2.3時間どこかのファミレスで時間をつぶして


 

   ご主人と一緒に帰宅する。


 

   帰ったら明るい声で『ただいまー』といって入ること」などです。


 

  


 

 そのためだと思うのですが


 

  社会の中での家庭問題への立案が具体的です。



 

 たまたま、この本にそれに関する


 

  信田さんの意見が出てました。



 

   

思想地図〈vol.2〉特集・ジェネレーション (NHKブックス別巻)/著者不明
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  この中に信田さよ子さんの
  それでも家族は続く -カウンセリングの現場からー

   という文章が載っています。

 そのラストの部分に

  

  今しばらくは自分の立場性を自覚し、タフで戦略的であることを恥じずに

  毎日のカウンセリングを続けていくだろう。

  どのような奇異な出来事が起ころうと、私は家族が崩壊したなどどいう安易な言説には与しないだろう。

  なぜなら子供を育てる場が家庭以外に存在しないのならば

  とりあえず家族を存続していくことが現実的だからだ。

  ひとはこの世に生を受けてから

 

  生老病死あらゆる局面で家族という関係性抜きではなにごとも遂行できない。

  そのように、社会が制度化されている以上、家族の内実を変えていく方が現実的だからだ。

  ということで、私はこの意見に賛成しています。

  私は実はあんまり難しいことをいわれると頭が痛くなり

 「それって現実的に何かの力があるわけですか?」

  とか

 「それがなにかの意味があるのでしょうか」 

  ということを

 すぐに言い出す即物的な人間です。

 

 「思想討論のための思想」というのが、あまり好きでは在りません。

 

 「思想」というものに価値が在り、

 それが世の中を動かすだけの力があるから

  今でも「思想」を語る人が絶えないわけですが、

  

   相手の深層心理を刻んで刻んで分解して

  

 それを相手に教えてあげたところで

  相手が幸せになるかどうかは分からないのと同じように

  「原因解明」だけで人は幸せになれないのだと、私は思います。

  場合によっては、変な心理判断で、余計なトラウマが、、、、、

  

   深ーい鋭い考察が世の中を救うというよりも

   「大変だけど一緒にがんばろうね」の一言の方が

  よっぽど力になる。

  と思うのです。

  考えるための考えは、、、「休むに似たり」だったりします。

  

  物事の視点を変えることによって

  現実の見方を変えうることが出来るという意味で

  学術的な深い考察は

  非常に貴重なものだと思いますが。

  同じものを見ても、その人によってこんなに違う。

  いつもこのブログで繰り返し言ってることです。

  

  社会に問題があったとして、

  又は家庭に問題があったとして、

  その問題をどう捉えるか。

  なによりもその事実自体が

  「問題であるか」『問題でないか」を

  決定することにおいて

  個人においてかなりの差があるということをいまさらながらに感じます。

   上野千鶴子、信田さよ子どちらも相当に高い知性の持ち主です。

  しかし同じ事実を見て転がっていく方向はこんなにも違う。

  

   私は上野千鶴子の著作を読んでいると

  なんだか苦しくなってきます。 

  似たようなことを書いているフェミニストの作品を読んでいても

 

  そうはならないのに。

  こういう目で社会を眺めているのは苦しいのではないかなと。

  なぜこれだけの高い能力がありながら

 こういう部分に目を留めて声高に訴えないといけないのか。

  ご本人も自分でそれを「因業」だといい、

 「何故、美しいもの、心温まるものでなく

  むかつくもの、不快なもの、許しがたいものを対象に選び

  何故そうなるのか、その謎を理解しようとする執念に取り付かれる」

  そして、読者の私はそれを読んでいて

  『なんか息苦しい、、、、

   男社会の非を暴いたところで、なんか私が楽になることってあるのかしら???」

   

  とか思うのです。

  

  醜いもの、苦しいもの、そういうものを世間に訴える人

  そういう人にはその役割があると思います。

  でも、その作業ってすごく疲れるから

  そういうことをずーっと続けていられる人って

  自分の中にそれに向かう必要性があるのではないかと思います。  

  

   二日.三日くらい「私は損してる」感に苦しめられ

  なんでこんな気持ちになるんだろうか???

  

  こういう思いを感じること、

 体を通過することに意味があるかもしれんから

  とことん味わって「私が損してる」と思ってるときに

  体のどこがどう反応するか見てみようかと思ってすごしてみました。

  すごく不機嫌な顔でとげとげと。

  肩が凝りますね。 あと背骨の両側が痛い。 頭も奥の方が重い。

  

  しかし、昨日の晩、あまりにも心が苦しくなったので

  寝ている配偶者(しかも風邪気味で調子悪い)を起こして

  「ねえ、ねえ、私すごく心が苦しいんだけど、これこれこういう事情でね」と

   ながーい話を聞かせ、

   彼のコメントで気に入らないものがあったら

 

  頭を拳骨でなぐりつけ、「あんたの認識間違ってるわよ!」と怒鳴り、

  ということを二時間くらいやっていると

  ものすごーくすっきりして、ぐーっと眠ってしまい

  (夫は途中で寝てしまいました)

 

  朝起きると 「私は損してる」感が

  どこかに行ってしまいました。

  結局、

 私にとっては自分が社会で、家庭で「損してる」か『得してる」よりも

  妻の話に

  『眠いなー」「だるいなー」と思いながらも

 「でもここで寝たらうちの奥さん絶対後で怒るし、

 何日もひきずるだろうな」という計算を踏まえて

   しぶしぶながらにでも付き合ってくれる

  つれあいがいるかどうかの方が大事なようで、

 しかも、彼のコメントの内容なんかはほんとにどうでもいいわけで。

   なんとなく、私は安心して眠ったのです。

  彼がどんなときでも

  私との関係性を拒否しないことを確認して。

  

  結婚はかなりオンナにしんどいシステムではあります。

  育児もセットだともっとしんどい。

  しかも私は日本以上の男社会の韓国在住!

 私は今結婚生活13年目(だったか?)

  システムを微調整しながら

  

  詰まったら通して、壊れたら直して、ということをやっていると

  それなりに、動いていくようだということが分かりました。

   どんなシステムも完璧なものはないようですから。

 

  あんまり急がずに、完璧性にしつこくこだわらず

  今よりちょっとでもいい社会ができて

  世の中に「いい人間」を送り出すことが出来る方向性に

  向かっていきたいと思います。

  そのためにも、やっぱり自分の子供の教育に

  最低限の責任をもつことが

  将来的には社会を良くして行くことにつながるのだという思いで

  私は家庭人としての生を生きています。

   

  だからどんなに家庭の崩壊、家庭の無能が叫ばれたとしても

  「あんた損してるよー」って誰かが教えてくれても

  この場所でやれることをやって生きていきたいです。