こんなこと、あんなこと

韓国でできたおともだち2012.4

백강 문정사랑 2013. 9. 17. 09:45

先日、忠清南道の扶余という町に行ってきました。





 



 ここは、昔、百済の首都がおかれたところです。



 といっても百済が追われ追われての南下で


 一時期おいた仮首都でした。



 しかも660年、百済は敗北し


 百済の義慈王が唐に引っ張っていかれたので


 扶余に王都があったと言っても


 そう長い期間ではなかったのですが。



 扶余のお隣の公州と一緒に「百済文化祭」というお祭りが


 毎年開かれる町でもあります。



 公州も百済の暫定的首都となった地です。


 どちらも歴史ファンの日本からのお客さんが


 たくさん訪れます。


 

町の入り口でのお迎えは


  ソドンヨウ ですね。



写真は撮れなかったのですが


なんと街灯の上にまで彼らのミニチュアが!



 

 

 町の真ん中のロータリーに


 どんと設置されている百済の宝物



 


 

こっちは百済の聖王の銅像



 

こんなもんがあちこちにある町です。




 数年前に扶余に大きな歴史観光施設ができ


 敷地内にはロッテホテルまで出来たらしく

 

 ますます観光地としてにぎわっているようです。



  



先週のことだったので


桜が咲き誇っていました。



なんか霞がかった日でした。



 昔、私たち夫婦はこの町の隣町に住んでいました。


 大学がたくさんある学生人口1万人と言われている学生街でした。



 隣町だったため、なにかとこの扶余には足を運びました。


 歴史文化関係でお客さんを連れてきたこともあれば


 私たちがこの町に一時期家をもったこともありました。



 私はその頃この町に長く住む


 ちょっと年上の日本人女性と仲良くなりました。


   彼女の名前を仮に「雪さん」と呼ぶことにします。


  雪さんは韓国人のご主人の商売をバリバリと手伝っていました。


  電話で商売の注文もとるし、車で配達もするし


  ちゃんとけんかもするし


  

「まさかあの人が日本人?うそでしょ」というくらい


 韓国に溶け込んで暮らしていたように見えました。




   雪さんのご主人さんは


   うちの旦那よりももっともっと



  「古いタイプの韓国人男性」だったので


  日本人の奥さんに完璧な韓国料理を求めました!



  (たしかウチの旦那さんもそういうことを

   結婚初期に私に求めたような気がするのですが

   私がアホか!と蹴ったような記憶が、、、、)



   もともと頭の回転の速い


  手先の器用な雪さんは


  ご主人の要求に応えて、


 韓国人以上の韓国料理をきっちり作っていました。


 なにを作っても美味しく作れる人でした。



  私が雪さんの家に遊びにいくと


  いつも「キムチもって帰りなさいよ」 と


  私の家のキムチにまで気を使ってくれる人でした。



  雪さんは確か東京でもともとアパレル関係の仕事をバリバリと


  やっていて、相当の目利き腕利きだったようです。


  喫茶店経営も数年やったそうで、


  とにかく料理も上手、人柄も良い。


  しかも(これが韓国では大事なのですが!)


  韓国人受けする明るい性格の美人!でした。



  

  そういう人が田舎でいても目立たないわけがなく


  何度かテレビ局から取材を受けたようです。



   

   でも雪さんのところはとにかく商売が忙しく


  しかもご主人さんが

 

『完璧な家事」を要求するので

 

  私の知る限り雪さんはいつも忙しい人でした。



   姉御肌でキップの良い雪さんと私は


   すぐに仲良くなりました。


  ちょっと町の距離はあったのですが


  なんだかんだ言っては、


  お互いに行き来してはおしゃべりしました。



  私の子供の祝いだなんだの度に


  雪さんはうちまで車で駆けつけてくれました。


 

  

   雪さんは


  「私はもうこの田舎町で年とって埋もれていくけど、


   えみこさんには未来がある。


   えみこさんは頑張れ。 


   あなたはこれから先絶対輝いて羽ばたく人だ!」と


  いつも私を励ましてくれていた暖かい人でした。



 

   私は当時、日本語教師の仕事がとてもとても忙しく


  家に帰れば小さい子供が二人いて、


  「羽ばたく」とか『輝く」とかいったいそれはなんのことだろう?


  と思うほど韓国での日常に押しつぶされていたのですが


  雪さんは、私の顔を見るたびにそう言っていました。



  

   その後、うちの夫がソウルで就職することになりました。


   雪さんは私たちの引越しの前日、


   仕事の合間を縫って


   軽の赤い乗用車を飛ばして峠をこえて


   私に会いにきてくれました。



   雪さんの背中には赤ちゃん!がおんぶされていました!


   もちろんドライバーは雪さんです!


   赤ちゃんは雪さんの孫です。


   韓国でこういう運転が認められているわけではありません!


   韓国でも子供にはチャイルドシートをつけるように

  

   奨励されています。義務ではありませんが。

 

   雪さんはこうでもしないと家を出てこられないそうで、、、



   私は、ソウルに引っ越した後、


   娘が小学校に上がってイキナリ忙しくなり、


   また数年のうちに夫が故郷に帰農したいと言い出したことで


   身辺があわただしくなり


   雪さんにほとんど連絡することがありませんでした。


 

   そして田舎に下りてきてからも、


   とにかく一生懸命やれることをやってきた毎日で


   ゆっくり昔の友達のことを考えるなんてこともありませんでした。



   そんなこんなで


  雪さんとは約6年くらいご無沙汰していたのですが


   雪さんが先日交通事故にあった!という知らせが

   入りました。


   命に別状はなかったということで、ほっとしたのですが。



 

    

   そのときちょうど夫が扶余に行く用が出来たので


   仕事を一日休んで


   雪さんの見舞いに行ってきたというわけです。



   6年ぶりの雪さんは、相変わらずキレイで

  

   性格のよさと闊達さも相変わらず。


   この人は単に「性格が良い」というより


   「人間性が良い」というべきか。



    でも病院で寝巻きをきたすっぴん姿を


    カメラに収めたいという女はまずいないと思うので

 

    写真はなし、です。



   雪さんは


  「もう大丈夫だから、もう退院するから、心配しないで」と。



   でも、家に帰れば、ゆっくり休養もせず


   黙っていられなくて


   またきっと家の家事一切に手を付け始めるだろうと


   雪さんを知る人ならみんな分かっていることでした。


   そういう人なのです。




  私が見舞いに来たことを本当に喜んでくれました。


  電話ではなく久しぶりに顔を見て話せることを。


   そして今私が「対社会的にやってるいくつかのこと」

  

  「文章を書いていること」を心から喜んでくれました。



  「えみこさんは、そういう人よ。


  私は昔から分かってた!


  絶対そうなると思ってた!


  私が唾つけといたんだから!」


  と嬉しくなるようなことを言ってくれる人です。


 


  私とこの雪さんとは


  年齢も違う、出身地も違う。


  彼女が仕事をしていたのは東京。


  私は故郷から一歩も出ず、進学就職をした田舎モノ。


  雪さんと出会う理由なんか何にもなかった。



  でも韓国人と結婚したというご縁で、


  韓国の地で仲良くなった。


  私はこの人に


 「本当のお姉ちゃん」のように大事にしてもらった。



 

  私は年下の日本人女性を見ると


  「私が雪さんに大事にしてもらったように、


  他の人にもしてあげたい」と


  いう気持ちが自然に起こります。



  雪さんは『自分は埋もれていく」といったけど


 それは違う。雪さんが私を大事にしてくれたこの思いは消えない。


  外国で出会った年下の日本人女性を


  先に嫁いだ先輩としてわが事のように

 

  気を使ってくれた雪さんの愛情は


  埋もれたりなんかしない。



  韓国の田舎の人はよーくみてる。


  この人たちはすごく慎重だから


  一年や二年で人を判断したりしないんだ。


  ずーっと見ててそれもかなり長い期間横目で見てて


  「あそこの嫁は、、、、」とポツリというんだ。


  雪さんが韓国人以上に頑張って生きてきたことも


  人を大事にしてきたこともきっと雪さんの周囲の韓国人は分かってる。



  「日本人は、、」とか「日本が、、」とかいろいろ言われても


  20年.30年韓国の土地で頑張って生きてきた日本人が目の前に


  いることの方がずっと強い。


  雪さんはそれをまじめにやってきた人だ。



 私はなんとか勲章とかって、


 こういう人にあげたらいいんじゃないかと思うくらいだ。

 

 別に舞踊家でなくても、文章とか美術品残さなくても。


 孤児院とか学校とか作らなくても。


 韓国女性が逃げちゃうような、まじめで規律正しく根気の必要な


 伝統的韓国生活を遵守したような日本女性。


 いわば「生活賞」というか、、そのうちそんな賞ができてもいいのでは?



 こういう人には韓国の地方で「孝婦賞」とかいう表彰があるらしいけど


 もっと価値が高いと思う。

  



  韓国に来てからいろーんなことがあったけど


  どの土地にいっても 


  たくさんではなかったとしても、


  深く付き合えるおともだちが出来た。


  その人たちとの付き合いは『一生モノ」


  

  私が韓国にお嫁に来て、本当に良かったと思うことの一つが


  このあちこちで出来たこの日本人との友情です。



 海外にいるからこそ、


 より通じ合えて仲良くなれる。


 (これが決して日本人だから!

  というくくりではないことをご理解ください!)



  私が海外に出て結婚せずに


  徳島だけにとどまっていたら

  

  ありえなかっただろうなあと思うことの一つ。


  『吉野川のほとりで生まれて、


  吉野川だけを見つめて死んでいく人生」


  嗚呼!



   韓国で知り合った全国出身の日本人たちを通して


  「日本の北の人は、、、」とか


  『東京の人は、、、」などの思い込みが吹っ飛びました。



  見た目だけなら


  東北地方出身でも「色黒」はいる!とか。


  沖縄出身でも顔のつくりの濃くない人もいる!とか。



  内面まで言うなら


  おとなしい大阪の女性もいる!とか。

  

  目立ちたがりの北国の女もいる!とか


  福島の女全員がフランダンスが踊れるわけではない!とか(←当り前)


  港町の女に生まれてもキップがいいどころか


  優柔不断きわまりないつかみどころのない女もいる!とか


 


  そういえばなぜか『高知県土佐生まれ」の人は


  「豪快なのでは」と見られるようですね


  あれも錯覚なのでしょうが。



  私が四国出身だというと


  「ああ!えみこさんって黒潮に乗って


   クジラの背中から登場しそうですねえ!


   いかにも豪快って感じで」



  とか言われてこっちが泡を吹いたぞ!


  四国イコール高知ではない!

 

こんなこと言うのもひとりや二人じゃない!



 

 話を戻します。




 私は久しぶりに雪さんに再会して


 今までの韓国生活、いろいろあったけど


 いつも「良い人」に恵まれたありがたい期間で


 あったことを確認しました。


 

  そして雪さんと、また会おうねと、


  とりあえず五月に一度また会おうねと。

 


  夫と二人、車の中でああだこうだと


  いつものようにしゃべりながら家に向かいました。




   私の韓国生活の幸せは、


  あちこちで出会ういいお友達のおかげでもあるけど、


  一番近い私のパートナーである夫こそ


  韓国生活の出発点です。



  なにしろ結婚のために韓国に来たんですから!


  「あなたのおかげで

 私の韓国生活が楽しい!」


   と素直に私が夫にいうと


  うちの夫は、すごーく照れて


  言葉を濁します。


  実はうちの旦那はまともに褒められると、


  逃げちゃうタイプなんです! 


  自信満々は外付けのカバーです!