ハッピーデイコラム

多くの可能性を秘めた脱北者との語らい(1)2013.2.13

백강 문정사랑 2013. 10. 4. 16:22

先日韓国語で新聞にあげた


 「脱北者」の方たちのことを書いた記事です。


  今回のはちょっと長いので二つに分けます。



 それと、この手の記事を上げると、

 

 いくら触っても行間がくっついてしまうので


 よみづらいとは思いますが


 関心のある方どうぞ。



  


多くの可能性を秘めた脱北者との語らい





 先日、北朝鮮出身の女性たち、いわゆる脱北者と話す集まりに参加した。


南北統一問題の専門家である在韓日本人研究者が中心になって開いた集まりだった。


脱北者5人、韓国人4人、日本人2人というメンバーで、江原道のホテルで1泊2日を過ごした。


私は今まで脱北者と個人的に話したことは一度もない。


都会の飲食店で、言葉は流暢なのに行動が何故か韓国人らしくない店員を目にして、もしかして脱北者かもと思ったことがある位だ。


今回主催者から誘ってもらい、興味をもって参加した。





 



一晩、彼女たちと話してみて、私が頭の中でイメージしていた北朝鮮像と脱北者像が変化した。


脱北者ごとに話す内容の違いはあるが、

「韓国には北朝鮮にあったような人情がない」という話をそこにいた脱北者の多くが口にした。


北こそが「情のない」社会ではないのかとイメージしていた私には驚きだった。


北は貧しくても、無いなりに助け合って生きてる。


韓国のような他人に冷たい社会ではなかった」と


言った女性もいた。


社会構造から北朝鮮では集団生活・集団行動が多い。

そのため近隣の住民との交流が、今や個人主義に傾いた現代韓国に比べて密なのだそうだ。




韓国でいう「情」と、北でいう「情」の現れ方は、南北分断後、社会構造の違う国で生活することで変化したようだ。


韓国では血統を中心とした、地域社会における親密圏を「ウリ」と表現し、その「ウリ」の囲いの内側にある人間関係における交流における気持ちのやりとりを「情」という。



しかしその「ウリ」は近代化する韓国において年々狭まっている。


私が見たとき、この「ウリ」の問題点は、韓国ではウリの外にいると認識した人間とスペースに対してあまり親切ではなく無関心であること。


脱北者が「ウリ」という時、それは韓国と北朝鮮を含めての「ウリ」であるが、韓国人にとっては、心情的に北はまだ「ウリ」ではない。


反共教育をうけた世代には恐怖の方が強い。脱北者たちは、まだ韓国人のウリには入れてもらえない。

そのため多くの脱北者が韓国社会での疎外感を感じている。





 北朝鮮では社会構造的に個人や家庭以上に社会の秩序維持を重要視しているため、意外に社会全体での道徳意識が高い。


そのためなのか時々脱北者たちの行動は、表面的に見ると社会性をもっとも重要視する日本人に似ている。

といっても脱北者たちの語る「人に心のある社会」は20年前30年前の韓国の姿だ。


韓国の近代化の弊害として、個人主義が強まり、

過去に韓国にあった地縁血縁の強い結び付きが揺いでいるという側面は

脱北者にも知ってほしいが、

とにかく現代韓国の余裕のなさに脱北者たちは驚くらしい。

 

 

 

脱北者の女性たちは、自分の考える「南北統一」を熱く語る。

その饒舌さは本人が受けてきた教育レベルに関係なくみな同じだった。

彼女たちは北にいたとき、韓国人も自分達と同じように「統一する日」を夢見て誰もが熱く語っていると思っていたそうだ。


それが実際南に来てみて、そんなこと本気で考えている人など多くないという南の現実に直面して失望したそうだ。

彼女たちが、もしこの調子で近所の韓国人ママたちに「統一」を熱く語ったら、そのうちの誰かは恐ろしがるのではないかと思う。


北から来た彼女たちがこうして集まって本音を語れる場所は多くないのだろう。彼女たちの話を聞きながら、脱北者たちの韓国におけるの生きにくさを痛感した。






脱北者たちに対しては、韓国政府をはじめとして様々な方面から支援がある。


彼女たち自身も韓国により良く適応することを望んでいる。


脱北者の女性たち、見た目は韓国人と同じ。言葉も語彙とイントネーションに気を使えば韓国で意思疏通の問題はない。


しかし何年住んでも適応が難しい理由の一つは、

情緒の部分で脱北者と韓国人には大きな隔たりがあるためだ。



北で彼らが受けた教育は、韓国でうける教育とは全く違う。


それが両者の間で明確になってないため


、「同じ民族なのに何故?」とますます混乱する。


良くも悪くも脱北者の精神面は「韓国人」からかなり遠いことを彼女たちとの会話から感じた。



私も外国人であり、韓国での生きにくさを抱えながら生きているため、

彼女たちに同感する部分は多い。


そういう意味では、多文化家庭の女性は、

韓国人より脱北者を深く理解できる位置にいるといえるかもしれない。

しかし脱北者の苦痛の方が外国人女性の苦痛よりも大きいと思った。





今回の会の主催者はこういった。


「アジュンマ(オバサン)の力ってのはすごいから、

社会がどうなっても生命力強く生き残るのは、

結局アジュンマだ」


私も同感だ。



またその生きる力を各自がもっていたからこそ、

韓国までたどり着いた人々だ。



彼女たちが韓国でより良く生きていくために、

外部からの経済的協力が必要ではあるが、

その段階を越えて最終的には

彼女たち各自が「韓国に来て良かった」と

思えるようになることが必要だと思う。




南に逃げてきた彼女たちが、

韓国で暮して良かったと思えないようであれば、

北と南を統一する精神的根拠が弱くならざるを得ない。





私は脱北者をあえて、

多文化家庭の一つの種類であると考えた方が

問題解決を促進すると思う。



脱北者の韓国定着も大きく見れば、

韓国在住の外国人女性と似た経過を辿ることになるだろう。



私は外部から来た人間が、

韓国で定着するためには



「韓国人と同じようにならなくてもかまわない」が

「韓国人を理解すること」は

絶対に必要だと思っている。





韓国人と深く交流し、

ここで自分の人間関係を作ること。


それは家族でも友人でも良い。

配偶者と深い関係を結べることが最も理想的だろう。


そしてそれが難しい場合は、

知識としてでも韓国を理解すること。



脱北者は韓国人の情緒部分「

なぜ彼らはこう考えるのか?」を理解することが難しい。

それが何より韓国人との相互不理解を生んでいる。




脱北者の場合は、

韓国語を母国語として読めるというメリットを生かして

、韓国語文学を多量に読むこともできるはずだ。



情緒を中心に扱った「漫画」を大量に読むことも、

人間理解の助けになるのではないかと思う。


韓国では「学習漫画」が大人気だが、

漫画というのは本来「学習のため」の道具ではなく、

ストーリーを楽しみながら、

結果としてなにかを学習しているもののはずだ。




脱北した女性たちがそういう漫画を

「楽しめる」かどうかは分からないが

、情緒を重要視する世界が世の中にあることは

それを通して理解できるのではないかと思う。




漫画で「情緒学習」なんて

韓国人には冗談のような話かもしれないが、

「漫画」の情報力と教育力はすごい。

そんな方法での教育も考えられるのではないかと思う。





物的支援と同時に、

脱北者の女性の精神面でのケアを

重要視しなければいけないと思う。





「心を軽くすること」、

「不安を取り除くこと」



これが出来ればと願う。


そうなれば、韓国という国に対し、

ゆがんだ先入観をもたずに、

まっすぐにこの国を見ることができるのではないだろうか。



韓国のどこが悪い、あれが間違っていると、

欠点だけに目をむけるのではなくだ。


韓国という国も分断後、傷付きながら、

それでも何とか頑張ってきた

痛みを抱えて歩んできた国なのだということが分かればと思う。



外的要因よりも本人の心の自立の方が

重要であるという点において、

外国人女性の定着も、脱北者の定着も過程は同じだ。




脱北者はもともと生きて南にまでたどり着いた能力の高い女性たちだ。


韓国に縁故がないのだから周囲の助けがあった方が良い。


しかしその段階を越えることができれば、

彼女たちは「可哀想な人」ではない。


南北統一を控えた韓国社会、

または統一後の韓国の大きな力になる

「たいへん大きな可能性を秘めた優秀な人」たちに

私の目にはうつったのだった。