歴史関係の話の続きです。
私は李元淳教授に一冊の本を頂きました。
わが祖国ー禹博士の運命の種ー 角田房子 新潮社 です。
記念にお名前を入れて頂きました。
なぜこの本が李教授の手元にあったのかというと、
角田房子さんの前作 「閔妃暗殺」の取材で(ほとんど3年以上を掛けたそうです)
韓国側資料の取材のため、角田さんが非常に頻繁に李教授の元を訪れていらしたそうです。
「閔妃暗殺」のラストに取材協力、資料提供者として、李教授の名が挙がっています。
それは、当時李教授が、まだソウル大で教鞭をとっていた時代であったため
あまりにも忙しく、日本にいる教授の弟子であった金恩淑女史を角田房子さんに紹介したそうです。
その後、「閔妃暗殺」は金恩淑女史の手で、韓国語に翻訳され出版され韓国で話題になりました。
なぜ角田さんがこの禹博士のことを本にすることになったかというと、
それは前作「閔妃暗殺」 の資料がきっかけでした。
閔妃と一般に言われていますが、そういうと韓国人はあまりいい顔をしません
韓国の国母ですからね。 こっちでは明成王后といわなければいけません。
その国母を日本人が殺害してしまったという近代韓日史最大の大事件なのですが、
この明成王后殺害の実行犯の中に、朝鮮人が混じっています。
角田さんがその暗殺実行隊員のリストを見ているとき、「禹範善」という名前があったそうです。
横でみていた大学院生が、「ああ、禹範善、、禹長春のお父さんですよ。」
といったのがきっかけだったそうです。
この禹長春は、日本で生まれ東大で農学博士号をとり、韓国では「近代農業の父」と呼ばれている
韓国の偉人の一人で、韓国人であれば誰でも知っている有名人です。
国民的大学者の父親が、国母暗殺の実行犯?
一体どういうわけでそういうことになったのか?
こうして角田さんは取材をすすめていかれたそうです。
またその取材に李教授が協力したということで、李教授の元に
この本があったわけです。
もう一冊大きいのがあるからあなたにあげる」ということで、私のところに来ました。
禹長春のお父さんが国母暗殺の実行犯だったということは、
韓国では一般には知られてなくて、
角田さんがこの伝記を書くときに
ある韓国人女性から「その部分だけは伏せて書いてほしい」という
お願いが来たそうです。
私はこの本を読んで、夫に「知ってた?」と聞くと
「知らなかった、、、、」 と愕然としていました。
なぜそういうことになったのか。 なぜ朝鮮人が国母暗殺に加わってしまったのか。
角田さんは取材と文献調査を重ね、その理由を解明します。
本は禹博士が中心なので、父親に言及する部分は多くないのですが、
なぜ禹博士が日本生まれなのか、日本でどういう風に育ったのか、
そしてなぜ韓国に戻ってくる気になったのかを明かしていきます。
興味のある方は一読をお勧めしますが、
この兎博士のお母さんって方が普通じゃないですね。 肝っ玉すわってます。
こういう母親だからこういう立派な息子ができたのでは?と思います。
二カ国にまたがって子供を育てるということに、直面している身としては
参考になる本でした。
同じ明治時代の女性として、国際結婚したクーテンホーク・光子。
別称ウィーン社交界の花、マダムミツコなんかもそうですが
この二人共通点が多いです。
どちらの二人も、国際人に育てようなんて言ってないんですよ。
ミツコのほうも、まずは、子供を「立派なオーストリア人に」
兎博士のお母さんは、子供たちに
「あんたは朝鮮人だから、朝鮮人だといわれたくらいで
オタオタすんな。」といった風に。
私たちの子育ても、韓国で生きている以上まずは「立派な韓国人」になってもらうところから
はじめないと、子供の基礎になるアイデンティが育たないんですよ。
「国際人」はその後です。
私も子供たちが学校で習ってくる歴史関係の事項を、今はとりあえず
黙って口を挟まずに聞いています。
あんたたちがお母さんと議論できるだけの年齢になったら
話しましょう! ということで。
そのために、今からいっぱい本を読め、外国語も一生懸命やってほしいと
親の意見は表明しているのですが、
子供たちとまともに歴史討論できる、
もし意見が違ったとしても、そんな日が来たら嬉しいなあと思うのです。 (^-^)/(えみこ)
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