えみこ書評(2010年以降)

9条どうでしょう?

백강 문정사랑 2013. 9. 3. 15:26

えみこです


クリスマス前に、考えなしに


 「北朝鮮絶望収容所」という書籍を紹介してしまい


 人様の「良い気分」に水をさすという愚を犯してしまったので


  お詫びに、こっちもあわせて紹介しておきます。


   9条どうでしょう   内田樹 他3名  

                    毎日新聞社


 




 2006年の本ですから、ちょっとずれたとこもあるでしょうが


 著者の主張が、スケールが大きいため


 数年の差はそれほど問題ないと思いますので。

 


  


 

 
  なぜ「憲法9条」について考察された本が


  お詫びになるかというと、、、



  最後まで、この記事を読んでいただけば、理由は分かると思います。


  えみこによる書評というより、ほとんどそのまま原文の抜書きですが、


  著者達の文章に力がありますので、その方が良く分かると思います。



 


  この本は4人の書き手による共著です。


 この選ばれた4人の共通項というのが、、、、


   超笑えるのがですが。



  まえがきにかえて、、、


 を書いていらっしゃる内田樹さんの言葉を一部抜粋します。




  


 憲法について語るということは気鬱な仕事である。


 改憲の立場から語るにせよ「、護憲の立場から語るにせよ、


 一方の党派に与するということは、国民の残り半分を敵に回すことを

 

 覚悟しなければならないからである。


  ー中略ー


 


 -「どこかで聞いたような話」の繰り返しをしたくない。


 これまでの論者達とは違う視座からの論考でなければ


 手間ひまをかける意味がない。


 -中略ー


 

 私達が本書で目指したのは、護憲・改憲二種類の「原理主義」どちらにも


 回収されないような憲法論を書くことである。


 だが、どういう書き手であれば、そのような憲法論をかいてくれるだろう?


 私は二つ条件を思いついた。



 一つは


 「国民全員を敵に回すリスクをとることが出来る書き手であること」


  (「国民全員」というのは比喩であって、具体的にはメディア業界を指す)


    ー中略ー


  この憲法論の執筆陣はメ「ディアからしばらく干されても構わない」


 という覚悟を持つ事が必要だ。


  「しばらく干されても構わない」書き手にも二種類あって


 「別に定収があるので明日のご飯には困らない」というお気楽な書き手と


 「もともと『わりと干され気味』だったのでいまさら失うものはない」


  という根性のすわった書き手にお集まり願うことになった。


   ー中略ー



        

本書の書き手であるための、もうひとつの条件は


  「思想の力」よりも「言葉の力」を信じていることである。



  ー中略ー


 独創は思考からではなく、「言語に宿る」というのが私の経験的確信である。


 獄舎の扉が外からしか開かないように、私達を


 「臆断の檻」から解き放つ言葉は、檻の外からしか到来しない。


 ー中略ー


  必要なのは、「鉄格子の隙間をぬけることのできるものである」


  私達が今直面している出口の見えにくい思想的状況の檻から


  抜け出るために必要なのは、政治史や外交史についての博識でもなく


 「政治的に正しいこと」を述べ続ける綱領的一貫性でもなく


  世界平和への誠実な祈念でも、憂国の至情でもない。

 

 この硬直したスキームの鉄格子の向こうに


  抜けられるような流動的な言葉である。



 と、の紹介を受けて、4名の執筆者が、


 「憲法9条」に関する考察を繰り広げていきます。


 

  実はこの執筆陣、 「改憲」か「護憲」かで分けるとすると


 全員が 「護憲」の方に線引きされてしまうことになります。


 決して「護憲」メンバーを集めたわけではないと思いますが


 結果的に、「改憲」しない方が良いとの結論をこの時点で全員が出しています。



   なぜ「護憲」なのか、という理由においては


   4人ともそれぞれに多様性をみせています。



 最後の執筆者である「平川克美」氏の文章に


 私は非常に共感しました。



  私は、韓国暮らしで、妻として母として、社会人として生きる中で


  韓国の「現実」にぶつかり


  時には痛い目にも合っています



  それでも韓国の「現実」に


 目をつぶってはいけないと思います。


 「韓国人ってまっーったくこうだから」


 であきらめてはいけないと思います。



 なぜなら「現実」をつくっている主人は自分だからです。



  今現在、韓国の社会にはこんな困ったことも、こんな変なこともあるけれど


 それでも、ここで住む私達の働きかけや、生活の積み重ねが


 だんだんとそれを変えていく力を


 持っているのではないかという希望があります。


 その希望を保証してくれる人はいませんが。



 すべてのものは、昔からそのままあったものではなく、


 何かの影響を受けて、現在の形に成ったものですから。



 「私」という存在が、たとえ何の力もなくとも


 それでも、「こうではないか?」「ああではないか?」


 「もっとこうしたほうが良いのでは」 


  という私のような一般人のしかも外国人の微々たる働きかけが


 将来の韓国社会の一部にでも、


 わずかたりとも影響を与えうるのではないかと、


 そう思っています。



 私が「現実」の建設者の一人であると思って生きています。




  そういう意味で、「現実」「現在」ということに関して、


 日々ぼんやりと考えていることに近いことが


 平川克美さんの言葉で書かれていました。



 いえ、もちろんもちろん平川さんのほうが


 ずっと洗練されて完成度も段違いで


 比べ物にもなりませんが。


  

 ただそれが「憲法9条」に関する考察だったというのが笑えますが。



  抜粋します。



  歴史の教訓が教えているのは、「現実」はいつも


 、陰謀と闘争の歴史であったということではない。


戦争そのものを否定するという迂遠な「理想」を軽蔑するものは


 軽蔑されるような「現実」しか作り出すことが出来ないということである。



 「現実」を創造していくという立ち位置を失えば、


 「現実」に回収される他はない。


 海外に戦力を展開しないで紛争解決の道を探るというのは、確かに


 一つの「理想」である。しかし「理想」をきれいごとだと笑うものは、


  「理想」を失ったうら寂しい「現実」のなかでしか生きることができない。


 「現実」を作り出すのは「彼ら」だからである。


  もし「現実」の中にリスクがあるとするならば、


 リスクとは「彼ら」自身のことで


 あるかもしれないという可能性を見落とすということである。


 これを私は「間の抜けた」現実認識だといいたい。




 「現実的」であるということの真の意味は、


 「現実」に迎合して考えるということではない。


 「理想」とはありえない空想ではなく、


 ありえたかもしれない「現実」である。


 どの時代においても「理想」と「現実」は同時に存在しているのであり


 「現実的」というのは、この引き裂かれた状況を、どのようにして


 折り合いをつけ、やり繰りしていくのかの態度のことだとわたしは思う。




  ということでした。



  すごいですねえー。


 私もこういう態度で生きたいものです。



 私はジャンルにあまりとらわれずに、


 手に触れた本は


 何でも読んでしまいますが、


 こういうまったく「自己啓発書」ではない、ジャンルの本で


  なぜか一般の「自己啓発書」以上の言葉に出会えるのが


 「なんでも読書」の面白いところだと思います。



 あと、執筆者の一人、小田嶋隆さんが、、、 こんなことを。


 

  大きな声ではとてもいえないのですが、、、


  これが現在の憲法9条なんですが



 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、


 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は

 

 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


 前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、


 これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。




   小田嶋隆さん曰く


 どうしても改正せずにおかないというなら


  こういうのはどうだろう。


  


日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、


 

 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は

 

 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


 前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、


 これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。(笑)

 


  



 

 一体どこが違うか分かりますか?


 ラストに(笑)がついただけなんです!!



 

  いや、末尾に(笑)を付け加えただけなんだが、


 これだけのことで、、条文全体の印象がずっと柔軟になる。



 とのことです。ヘ(゚∀゚*)ノ



  がくっー!!


 

 落語のようです。



 

 一部しか紹介できませんでしたが


 

 どの執筆者も、レベルの高い考察を繰り広げています。



 

 トップの執筆者である「内田樹」氏は


 

 「憲法9条」と「「自衛隊」を同時にを引き受けたことで


 

  日本人は敗戦後直面するべき精神的ショックから


 

  自分を守ったのだと言います。



 

 韓国が「日帝時代」をはじめとする自国の歴史を


 

  直視しない理由も同じだと思います。


 

 「病むこと」でそれ以上の、利益を得ているのです。



 

  読み応えのある、そして希望的な本でした。



 

                                 (えみこ)