えみこ書評(2010年以降)

日本帝国の申し子2011.11

백강 문정사랑 2013. 9. 10. 10:14




 今、これを日本から取り寄せて読んでいる。



  日本帝国の申し子—高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源 1876-1945/カーター・J・エッカート

 
¥2,520
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 たまたま、本を検索していて引っかかったものなのだが


 なんで引っかかったかというと


 

 タイトル「日本帝国の申し子」の


副題として「高敞の金一族」と書かれたので


 説明書きを読んでみたのだ。


「これは読まないと」と思いすぐさま購入した。




 私の住んでいるコチャンという町は


 韓国人なら「ほほーへえー」というような有名人を多数排出している。



 しかし、それだけの有名人でありながら

 

 地元高敞での評価はあまり高くなかったりする。



 その方がたの生家なんかもあって、一般に公開されてたりするんだけど


 その方の韓国でのビックネームにそぐわない扱いというか


 もうちょっとここしっかり管理されててもいいんじゃないの?という軽い扱いである。



 有名人の名前が、小学校や中学校の校歌にでも


 織り込まれて歌われてもいいんじゃないのか?



 この町の小中学生たちが


 「○○先生のような立派な人間になりましょう!」と


 もっと鼓舞されてもいいんじゃないのか?


 でも、そうなってない。


 どっちかっていうと、


 「そのことには触れないで置きましょうよ。ねえ、お分かりでしょう?」


 みたいな雰囲気が流れている。



 なんでそうなるのかというと


 その方たちが現在の韓国の経済の基礎を築いたのは


 もう間違いのない動かしがたい事実なんだけど


 それが「韓国独自」でやったというよりも


 日帝時代に日本の政策の波に乗ってその財を作り上げた人だという


 つまり「親日派」のレッテルが貼られているからだ。




  だからこの部分を韓国人は大きな声では語らない。


 語らないけど、ちゃんと歴史の事実として残ってて、


 消すことはできない。




  そういう韓国人の複雑な歴史観にばっさりメスをいれて


 考察したのがこの本だ。


 著者はカーター・J・エッカート   


 ハーバード大学の朝鮮史分野の教授。


 韓国に1969年から1977年まで滞在。



 韓国植民地時代に韓国の経済発展の起源を見出し考証した文献だ。


 それを例証するのに、最適な例が高敞の金一族であるとして


 彼らの足跡を検証していく。


 一口に日帝時代といっても


 歴代朝鮮総督府の総督の政策によって、そうとうの変化があり


 前期と後期ではその様相にかなりの変化があったこと。


 高敞の金一族が成長していった背景について


 非常に細かくその背景を明らかにしてある良書。


 

 これを読んでいて、なぜこの「高敞の金一族」がそういう風に動いたのかが


 実に実に良く分かる


 

しかも私は当地に住んでいて、その地理的背景まで


 「あそこまで車で15分」 「あそこからなら船ででたとして」というのが


 ばっちり分かるので、ますますリアルで面白いのです。


 

 夏にまきさん一行が高敞に来たときに案内した「海里の塩田」というのも


まさにこの「高敞の金一族」所有の土地で


現在でもそのひ孫にあたる経営者が、塩と砂糖の大会社を経営している。


 その名前は韓国のどのスーパーでも見られるはずだ。



 この本ですごいのがこの一文である。


 「朝鮮人学者の多くは、まず、日本が朝鮮を植民地化したことを非難し


 次には日本の開発が、朝鮮のためでなく日本の国益のためであったことを


 非難する。 しかし彼らの研究においては、


 論理よりも日本の行為を弾劾することで得られる感情的満足の方が


 重要視されているようだ。


 

 こうした態度は、単に退屈であるだけではなく、さらに大きな問題をはらんでいる。


 搾取の部分にのみ焦点をあてる狭量な見解は、


 日本の植民地政策の本質や遺産に関するもっと複雑で難解な問題を


 回避、または無視することになる。」



 これなんである。


 まさに韓国が国としてもってるトラウマの一端がここにある。


 


 

 つまり韓国の経済発展に日本の影響が大きかったことは、事実である。


 (多分それは実は韓国人も分かってる)


 しかし韓国人としてはどうしてもそれを認めたくない部分がある。


 だけど影響を受けたという事実はしっかり存在する。


 でも韓国人は日本からそういう影響を受けたことを喜んでいない部分がある。


 


 上記の本はたしかちゃんとした韓国語訳が出てないはず。


 韓国人の感情を逆なでする部分があるのかもしれない。


 ある意味韓国人が触れられたく部分かもしれない。


 しかしこれは『韓国人」を理解する上では


 避けて通れない部分でもある。

 

 私はその「当地」に居住する日本人だ。


 もっと深く考察したいと思う。



 まだ、全部読みきれてないのですが、 とても興味深い文献です。