高敞高校枡富さん関連

木浦の共生園2012.3

백강 문정사랑 2013. 9. 16. 11:32

これも二週間以上前にあった話なのですが、


 

韓国の木浦(モッポ)に家族で行ってきました。


 

 友人の舞踏家が木浦で公演をするので


 

  「見に来てよ」と呼ばれたのです。



 

  友人の公演ももちろん見たかったのですが

 

 私は以前からどうしても木浦にいきたい理由がありました。



 

 その理由がこれ



 

 
ソウルの教育ママ


 

  


 

前からずーっと木浦の


 

 ここに行きたかった。


 

  共生園

  

 
ソウルの教育ママ



 

  ただ木浦にいくだけじゃ、探せないだろうとおもってら


 

 目的地に行く途中の道端にあった。 日帝時代の建物。


 

 「いきたいー」といったら眼の前に出てきたので


 

  すんごくびっくりした!


 

 


 

  急いで中にはいって


 

  「こんにちは!!!」


 

  

  職員さんが出てきてとても親切に対応してくれた。


 

  


 

  

  なんども日本のテレビ番組で放映されてる上に

  

 映画にもなったそうだから、ご存知の方も多いかもしれない。




 

 この共生園は、韓国の日帝時代であった1928年に、


 

 あるキリスト教の朝鮮人男性が始めたいわゆる孤児院。



 

    現在でもここで50人ほどの子供が生活している。


 

  



 

  彼と結婚した高知県出身の日本女性


 

 田内千鶴子さんは


 

  ご主人といっしょになってこの園を守った。




 

 



 

  日本の敗戦で田内さんは一時日本に帰国するものの


 

  木浦に帰ってくる。


 


ソウルの教育ママ


 

 ところが、、、、旦那には、もう新しい妻と子がいて、、 

     (というあたりはあまり大きな声では語られないがホントらしい)


 

   田内さんが朝鮮を去ったあとの孤独に耐えられなかったご主人を見かねて

    友人が世話したらしい。


 

  それでも園児達の世話をするため


 

  千鶴子さんはそのまま共生園に残る。



 

  新しい奥さんがどうなったのか知らないけれど


 

  その後、1951年ご主人までが行方不明になる。



 

   それでも千鶴子さんはこの園を守り続けて


 

  自分の子も孤児たちも同じ部屋で同じように育てて社会に送り出したという


 

  すんごい女性だ。 まるでかみさまのよう!!


 

  

  当然、韓国でも高い評価を受けていて


 

  1965年 木浦市民賞

  1968年 日本の皇室から勲五等宝冠賞


 

  1995年には日韓共同映画「愛の黙示録」 として映画化


 

  田内千鶴子さんのお葬式は木浦の市民葬となり


 

  三万人が参列した。


 

 

  こういう立派な方、神々しい立場ではあるけれど


 

  田内千鶴子さんのずーとやってきたことというのは




 

  地道な地道な家事生活(それも大人数相手の)


 

  ご主人がいなくなってからはたぶん


 

  園の運営のための資金集めだったはずだ



 

   

   千鶴子さんは戦後資金集めのため、何度か日本に帰る。

 

 しかし敗戦後の日本で、「朝鮮の孤児のために」という言葉が


 

 まかりとおるわけもなく、


 

 ただ結局田内さんはどういう目的でお金を集めるのかということを


 

 最初口にすることが出来ず、


 

  その資金集めは結局人からみたら「乞食」のようだったという。



 

   

  日本で作成された田内千鶴子さんの資料には


 

 田内さんのご友人の話が載っていた。


 

  「千鶴子さんを助けてあげたいから


 

  一緒にお金をあつめに一軒一軒一緒に回ったのですが


 

   それが義母の耳に入って

  

  『うちの嫁が何故乞食なんか! 家から出て行って頂戴!」という

 

  大騒ぎになったそうだ。



 

  田内さんのお子さん達、お孫さんたちが


 

  田内さんの遺志をつがれ


 

  園を運営なさり、現在では大きなグループになっている。


 

 

  田内千鶴子さんは韓国の孤児に手を差し伸べたが


 

  田内さんの息子さんは逆に


 

  「日本で老いて行く身寄りの無い韓国人老人」のための施設を


 

  日本に作った。



 

 現在の共生園は田内さんのお孫さんの


 

  鄭愛羅(チョン・エラ)さんが、園長をなさっている。



 

 外出中だったようだが、園にかえってこられたので


 

 ご挨拶できた。



 

  木浦と高知は『田内千鶴子さん」というキーワードで


 

  とても長く深い交流を続けているそうだ。



 

   この鄭園長が、とても暖かい感じのいい女性で


 

  なにより服装が「ジャージ」だったのに感動した。



 

   韓国で社会福祉施設に立ち寄ると、園長とか偉い人は


 

  すごーくぱりっとしたきれーな格好で登場して


 

  「私が園長でございます!」 と堂々と挨拶する。



 

  この違いは日本の校長先生と韓国の校長先生との違いにも見られるんだけど


 

  私はどうしても個人的には


 

  「ジャージで第一線を走ってます!」みたいな園長の方が好感が持てて


 

  背広でパリッ、スーツでシャナリ!の園長には


 

   心の中で 「現場の仕事しろよ」と毒づいてしまう。



 

  韓国で社会福祉というものが、長いこと認められずに


 

  「ビンボー人相手の汚い施設」みたいな認識があったりするから


 

  園長、院長が格好だけでもきれいにしないと


 

  人に馬鹿にされちゃうのか、


 

  とにかく韓国では「服は命」!


 

  

  それなのに、鄭園長は「ジャージ」で


 

  「こんにちはー ようこそ!」


 

  ああ!ここはリトルジャパンなのか??? と私は感激した。(涙ーー)



 

   服装は記号だけど、笑顔が、話し方が暖かくて


 

  「日本人の方たくさんいらっしゃるんですよ。 毎年何百人か」とおっしゃり


 

 私に


 

  日本人芳名録を差し出してくださった。



 

 ほんとだー!


 

  こんなにたくさん来るんだ それも日本全国から 個人もいるし団体も。



 

   「みなさん、うちにいらして。癒されるっておっしゃるんですよ。


 

   日本人が朝鮮人に悪いことばっかりしたわけじゃないっって。」



 

  そりゃそうだろー


 

    この園では


 

   子供を捨ててったのは韓国人の親で

  

   その子供達を死ぬほど苦労して社会に出す努力をしたのが日本人なんだから。


 

   韓国動乱の時には孤児がすごい数になったそうだ。



 

  ほんとにほんとにありがとうございます!!


 

  田内千鶴子さん!  



 

  ああ、うらやましい! 木浦はいいなー 


 

 こんなすごい韓日交流の絆があって


 

  と思ってたら、なんと私の住む地にも


 

  田内さんレベルの日本人の偉人がいた!


 

   それが前にもちょっと紹介した


 

  「枡富安左衛門」さんだった!


 

  別記事で枡富さんのことをアップします。