書籍 「知られざる掛け橋ー枡富安左衛門」に関することを
アップします。
- 知られざる懸け橋―枡富安左衛門と韓国とその時代/黒瀬 悦成
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私にとっては、まず何故この本の著者黒瀬悦成さんが
「枡富安左衛門」を調べようと思ったのかが疑問だった。
私みたいに御当地に住んでるってわけでもない。
業績は偉大だけど
知名度という点では 「枡富安左衛門」??? な人物だから。
著者 黒瀬悦成さんは
慶応大学出身の読売新聞の記者さんのようです。
しかし韓国支局に転任して、、という記録もないし。
黒瀬さんに枡富氏のことを書かせたきっかけは、なんだったのか??
この黒瀬さんは、枡富さんの姪に当たる女性と交流があったそうだ。
その女性が黒瀬さんに手紙の中で
「叔父を慕う韓国人がソウルで死後60年記念の追悼礼拝を開いた」
という事実を知らせて来たそうだ。 (1994年末か1995年の頭ごろ)
黒瀬さんの頭の中には
「日帝時代に朝鮮に住んでいた日本人を
韓国人が追悼礼拝???」
そんなことがありえるのか???
ということで、黒瀬さんは
石井武子さんを訪問しインタビューした。
その記録は当時100行程度の新聞コラムになったそうだ。
しかし、これだけでは当初抱いた疑問に対する
本質的な答えには程遠いとご自分で感じられ
黒瀬氏は韓国に取材に赴く。
当然韓国での主な取材先は高敞(コチャン)だ。
高敞高等学校、
高敞富安面にある枡富氏の建てた小学校と教会を訪問
そして高敞の歴史を検証するために
高敞の文化院院長にインタビューを求めている。
(この文化院院長こそ、日本の石井さんのご自宅にまで行ったにも関わらず
高敞の町に何にも教えてくれない人なんだが)
この枡富さんの日本側の資料は、お嬢さんの石井さんが唯一の生き証人で
あとは、ほとんど残されてないのだそうだ。
枡富氏が婦人の照子氏に送った手紙が大量にあったようだが
照子氏がそれをもうほとんど焼却処分してしまったそうだ。
それに比べて韓国では
キリスト教教会が資料を残したり研究したりしていると
黒瀬さんは書かれていた。
キリスト教はともかく
高敞の町では
「よーくわかりません」 というのがホントのところだってば。
郡なんか「枡富氏」に関する研究の必要性を感じてないし
文化院は情報握りつぶして放置しているし
高校でだって先代の校長は全く創立者に関する研究に興味を持たなかった。
でも韓国のキリスト教会ではほんとにちゃんと
「枡富氏の業績」を評価しようという動きがあった。
先日お会いした牧師様が
「ようやくこの黒瀬氏の著作の韓国語訳が上がってきたところ」だと
おっしゃってた。
韓国側の資料は、新聞記事であっても
年代から間違ってた。
当の枡富氏のお名前からして
「やすざえもん」とただしく表記しているものは
ほとんどないくらいだ。
あんた達日本に確認調査してないでしょう。
日本の特派員にでも調べさせればいいものを。
なぜか 韓国では 「あんざえもん」と 「さんざえもん」になってる!
高敞高等学校からしてこうなんだってば。
正確性から言えば、日本人の資料検証に叶う国民はいませんわ、ほんと。
(また豊臣秀吉に脱線するが
加藤清正と小西行長が漢城を落とした日付というのが
5月3日なのか、5月2日なのかということに関して
くわしーい研究を残した池内宏さんという実証主義の歴史学者がいる。
関係ない人には5月2日でも3日でもどっちでもええこと!だが
彼にとってはこれは「ものすごく大事なこと」だった)
黒瀬さん、この本を書いてくださってありがとうございます。
この本の出版が1996年。
この16年の間に、枡富氏を知る方たちが
たくさん亡くなったはずだ。
黒瀬さんがこのときこうして調べてくださり記録に残してくださったから
こんなに詳しいことがこうして残されている。
私は枡富氏が、伝道目的であれ農業目的であれ
何故高敞郡の富安という地域を選んだのかということが疑問だった。
黒瀬氏の解説では
枡富氏が日露戦争に出兵した際、朝鮮の湖南地方を通過した。
それが枡富氏がここで行きようと決めたきっかけではないかと推測する。
うちの夫にそういうと彼は突然、
「それは違うと思う!
多分軍隊で湖南地方を通過して、広い!と思ったのは
ホントだと思う。でもきっとここに決めた理由はこれだろう!
枡富氏が定着した土地の名称が富安
枡富氏のフルネームが 枡富安左衛門だから
真ん中に富安の字が入ってるじゃないか。
枡富安左衛門
だからきっとここにしようと思ったんだよ!
おれだって日本に移住しようとして
自分と同じ名前の土地があったらそこに決めるぞ!」
「そ、、そうかもね、、、、、、」 (何の証拠も無いが、話としては面白い)
まあ、ええわ。
そしてこの黒瀬さんのインタビューを通して
私はまた「知らなかったこと」でも「知ってよかったこと」にめぐり合った。
枡富氏に勲章をという運動の中心人物になった方は二人いる。
どちらも高敞高校の出身者だ。
お一人は韓甲洙氏 韓国を代表する高名なハングル学者。
そしてもう一人は富安国民学校の校長であった鄭成沢氏だ。
このお二人には枡富氏の勲章授与を望んだはっきりとした理由があった。
このお二人のうち
鄭氏はすでに故人だそうだ。
やはり1995年当時に取材されていて良かった。
韓氏は韓国を代表する著名なハングル学者。
うちの夫は「小さいころから毎日テレビで見てた。多分ある年代の
韓国人だったらみんな知ってるだろう」 という。
鄭成沢氏のインタビューを私が韓国語に訳して
夫に読んであげていたら、
うちの夫が
「これ、自分が記事にするわ、、、」といって正確な韓国語訳を
せっせと作り始めた。
「こんな高い教育理想をもった校長先生がいたのか、、、」と
鄭氏の発言はうちの旦那の心を揺さぶった。
多分彼は今事務所でせっせと原稿を書いている。
枡富氏の勲章授与を韓国で国会に働きかけた鄭成沢氏のインタビューを
別記事にまとめます。
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