今日はうちの旦那さんが事務局長をつとめる
コチャン歴史研究会の学術セミナーでした。
今回のテーマは
”光山金氏のルーツ探し”です
なんだ?それ?と思った方にちょっとご説明。
韓国の姓の45%以上が、金・朴・李だそうですが
その中の金氏だけをとっても
●●派金氏というものに別れます。
光山金氏というのはその中の一派です。
ということで私は今日もお手伝いに来ました。
本日もずらりと並ぶ花輪
私はここで受付をしていました。
記名していただいて
資料集をお渡しします。
うちの旦那さんは会の会長と一緒に
パワーポイントの確認
このホールは中で飲んだり食べたりしたらダメなんだそうで
(どこも大体基本はそうなってるらしい)
でも皆さん 平気で持ち込んじゃうので
こんな張り紙を二枚書いて貼り付けました。
ここに来る人は、芳名録なんかも
全部漢字で書いちゃう人たちですから
漢字の方が目につくことでしょう。
開始時間までに
ホールにはたくさんの方々が集まってくださり
このようにぎっしりと席がうまり
セミナーがはじまりました。
受付の番をしていようと
思っていたら
「えみこさん ちょっと ちょっと」
とスタッフのひとりが手招きをする
録画係の彼に急用が出来たので
悪いけど、録画お願いということで
その時からカメラの角度を合わせるために
この位置に。
セミナーのスピーカーは三人だったのだけど
じーっと同じところでしゃべる人あり
「じっとできんのか!」と思うほうど、
イゴイゴウゴウゴ動く人もあり。
うちの旦那さんの発表はラスト
この人の研究内容は
とにかく実地踏査が多く含まれている。
「あ~このお墓は、なし畑の中にありまして
地名も何年から●●に変わっています。
現在の管理人は、、、」
田舎で暮らす地の利を生かして、現地を走り回って
調べまくってるから。
実は今回のセミナーは年頭には
「壬辰倭乱」 のセミナーになる可能性があったのだけど
予算の関係などの関係で
それはやめになって
この「光山金氏」がテーマになった。
この光山金氏の資料というのは調べると
たくさん残っていて(だからこの氏族を調べることになったのですが)
「壬辰倭乱」で、または「丁酉再乱」で
義兵として戦い亡くなったという記録がたくさん出てくる。
またはその後の丙子胡乱とかで
亡くなりましたとか。
高麗時代の後期に朝鮮の国土が混乱したことで
その時代の記録だけ残ってなかったり。
「壬辰倭乱」のセミナーではありませんでしたが
大変関わりの深い話がたくさんでてきました。
うーん、どうぞ成仏してくださいませ。
片付けの時、私が重い荷物を車に運んでいると
会館のスタッフの男性が
「日本から来た大事な奥さんに、こんな重いものもたせて!」
とうちの旦那さんに文句を言いました。
すると
「日本のやった非道を体でかえしているとこなんですよ、この人は。
もたせてやってください。全然余裕ですから。」
とうちの旦那。
私は
「なーにが日本のやった非道。
人のせいにすんな
朝鮮を滅ぼした両班の罪を償え~アホ貴族の末裔が!」
と二人でいつものように
やっていると
会館の男性がびっくりしていた。
うちの夫婦はいつもこんな話をしてるので
気にしないでくださいと付け加えた。
会館横にある体育館に、出張ブッフェをお願いして食事。
午後からは、金山金氏の遺跡めぐりということで
バス二台をチャーターして
みなさん 出かけたのでした。
この光山金氏のルーツ探しセミナー
最初は、郡でもたいした関心がなかったのです。
ところが、全羅北道の道庁の知事、副知事が共に
光山金氏だということで
今回挨拶にくることになり、
郡守も来ることになりで
コトが大きくなりセミナー直前に
いきなりあわただしくなりました。
原稿を遅らせた執筆者が一人いたせいで
資料の印刷が遅れ、
夕べの夜
うちの夫が都会の印刷所まで車を往復させました。
帰って来たのは午前一時でした。
「このセミナーが終わったらかなり気持ちが楽になる、、、、」
呪文のように、うちの旦那は何日もそういっていました。
綺麗にセミナーが終わって
自分の発表もすっきりまとめて
聴衆から大変好評を頂いたので
本日は高いびきで眠れることでしょう、うちの旦那さん
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