こんなこと、あんなこと

私も迷いながら育ててます2012.11.13

백강 문정사랑 2013. 10. 2. 14:47

最近まじめに「教育」に関する記事が


  ここに上がっているのをみて、


  ブログメンバーのクセに


  自分で「おお!」と驚いています。



  さてさて、韓国はもちろん、


  おそらく日本のママたちも


  教育費に関しては頭が痛いのは同じことだと思います。



   自分が、経済的に全く問題のない親だったら

 

   どんなにいいだろう、、、と


   一度は考えたことがあるかもです。



   これから冬休みに入りますが


   韓国の冬休みはとにかく長い!


  

   その長い期間こそを勉強させねば!ということで


   子供を「塾の合宿」のようなところに


   送る親御さんがいます。

  

   とくに韓国ではたくさんいます。



   塾(学院)が多い町では


  新聞に塾の広告がたくさん入るのですが


  先日新聞に挟まれていた塾合宿のチラシのことを


  ソウルの友人が教えてくれました。



   「すごいのよ!


    塾の強化合宿についてる名前がね!


    地獄の門!なのよ!」


  

  爆笑!!ヽ(゜▽、゜)ノ




   それは来年高校生になる中三のための


   プログラムで 早朝からかなり遅い時間までの


    講義を盛り込んだ


   数週間の教育プログラムだそうです。


    でもそれは、合宿といっても


    寝泊りは基本的に家で。


    子供たちは塾に通ってくるのです。




   町の塾でカンズメにされるのではなく


   最初ッから人里離れた山奥の施設に


   子供たちを連れて行き


   朝五時から昼食をはさんで、晩10時までを

 

   みっちり講義する!という勉強キャンプというものも


   あるそうです。


  


   その施設は


   なんと!


   まわりが鉄条網で囲われているそうです!!


   きびしすぎて脱走する子がでるから!!



   その話を聞いて


   『北朝鮮の収容所!!???」


   かとびっくりしました。




  どっちも、もちろん有料ですから


  送りたくても、そういうところに送れない家庭は


  もちろんありますよね。



  だけど!!



   地獄の門!や


   脱走不可能な収容所みたいな施設での


   一日10時間の講義って!




   教育効果は


   時間とお金を投資することで


   きまっちゃうと


  思ってる人が


  そういうシステムを


  支えてるんだろうなあと思います。



   しかーし、うーん、そういうところに送って


   子供が高い点数を取るのが幸せなのか、、、、



   それとも、そういうところに送るだけの


   経済力がない家庭の方が


   幸せなのか、、、、


   私には分かりません。



   わっかんないなあ。


   地獄の門という合宿に入れたいと思う気持ちは。



   つまりそれくらい厳しいのが良いということでしょうが。


   私が子供相手にあちこちで日本語の先生をしているとき


   親御さんからよーく頼まれたのが


   「必ず宿題を出してください!」


   なんですよ。


 

  私は内心、「宿題なんか出したら日本語が楽しくなくなっちゃうし。


   聞いてみたら、この子、あれもあれもあれもやってて


   すでに宿題だらけ。日本語まで宿題~???いやーかわいそ」




   韓国の塾はたくさん宿題を出します。


 

  その塾の宿題が多すぎることを考慮して

  

  「キミたち塾の宿題がすごく多いでしょ?」と


  学校の先生が配慮して学校の宿題が減る!ことがあるくらいです。



   私教育に押されまくっている


   韓国の公教育、、、、



   先日取材をお願いした、英語のクラスでも


   高学年の子供たちが学校で出した英語の宿題を


   ほとんど提出しないんだ、、、と。


   

   熱の入りようがですね。

 

  私塾の先生と、公教育の先生とでは違います。


   私塾というのは「結果」がすべてで


   「結果」がでないと、生徒さんがこなくなってしまいますから。


   まあ、これも日本と同じですね。

    


  今、韓国で学校の先生が、子供を叩くと問題になりますが


  塾の先生に関しては、


  親が認めてわざわざ自費でそこに送ってるので


   「うちの子が宿題とかしてなかったら、容赦なくお願いします!」と


   いうことが暗黙の了解のうちにあります。


   子供が先生に塾で叩かれて


   ああだこうだと文句をいうことはあまりないと思います。



    子供たちは一様に『塾のほうが厳しい」と言います。



    私塾に関しては、親と教師が手を組んでる分


    協力体制が整って、教育効果のベクトルが


   長く伸びているというのは確かなようです。



   

   



   公教育は、とくに英語なんかに関しては


   もうクラスの子供たちのレベルがバラバラなので


   学校の英語の先生は、実にやりにくいでしょうね。


  

   その点、塾なら、レベル別、能力別での教育が出来る。


   ついて来れない子をふるい落とすことも出来るのですから


   親としては、自分の子ができる子の場合


   なんでレベルの低い公教育にあわせて育てないといけないのか!


    と公教育を見捨てちゃうんでしょうね。




   しかし、、、多分、私教育にだけ突っ走る親ってのは


   大事なことを忘れてるのだと思います。


   なんでかというと


   「私」だけが能力が高くなって、私だけが一人突き抜けても


   結局「私」は社会の中でそれほど幸せになれないってことを。



   「私」も社会の一員なので


   社会全体を良くしていくことなしには


   「私」の幸せって、すごく小さくて限られたものになってしまう。


   

   だから子供を育てていく上で


   『自分のことだけ考えてたらダメだよ」ってのは


   すごーく大事なことで

  

   個人の能力を伸ばすと同時に、


   絶対に理解してもらわないといけないことのはずなんですけど


   今の教育環境の中に


   それを理解してもらうだけの余裕がない。



   例えば、韓国の中学生には『奉仕」の義務があります。


   うちの娘も忙しくばたばたと


   一年で○○時間、


   という奉仕の時間を埋めないといけないのです。


   もちろん「社会を知るために」


   『奉仕のココロを育てるために」




   ところがですね、、、これがまた


   どんなことでも、「金で買えちゃう」んですよ、、、


   学校提出の美術の作品が、どっかの塾の先生の手で


   書いてもらえるように。



   この学生の『奉仕」の時間さえ、、


   取引している人を私は


   知ってます。


   書類一枚書いてもらえばそれでいいのですから。



   そういうのを見てると


   『金があるって長い目でみて幸せなことなの?」


   と思っちゃうんですよ。




  私が今、末っ子のスンギくんを送ってる幼稚園は


  かなり『頑張る幼稚園」です


  園長先生が「早期教育」の必要性を実感している人です。



  とくに何かの○○教育の方法論に感銘したとか


   そういうのじゃなくて


  自分が長年幼児と接しながら


  「子供たちにはできるかぎり早い年齢から


   様々なことを教えたほうが


   結果的に能力が伸びる!」と


   いうことを


   体感した人なので


   その感覚に従って子供たちにいろんなことを


   ガンガンやらせる素敵な人です。


 

  私はその先生の教育方針が好きで


  これがまた宿題も多ければ、覚えることも多い園なのですが


   うちのスンギくんはあまり苦がないようなので


   結果三年以上のお付き合いになりました。


  

   しかし、我が家の近所にないために


   かなり早い時間のお迎えバスに


   あわせて、スンギくんを起こし、


   バスに乗せないといけません。




   「良い教育を受けさせるために」


   時間に合わせようと思うと

  

   どうしても「早く起きて!」という言葉が子供に出たり


   服を着替えるのを手伝ってしまったり


   ひどいときには寝てるまま着せてしまったりして

 

   本人の自発性どころじゃありません。



  

   これは、、、いいことなんだろうか、、、


   そこいらへんの『遊ばせてくれるだけの幼稚園」に


   送るという選択肢もあったのだけど。


   

   自分のなかから湧いてくる


   『起きる」『食べる」「動く」という感覚を


   時間に合わせるために」


   セーブしてしまっているのですから。


   


   もう、彼もこの冬で卒園。


   小学生になります。


   

   私も韓国で子供を育てて


   「これでいいのかな?」という迷いを抱えながら


   今もハッキリした答えなんか持てずに


   右往左往しながら生きています。