先日、田舎の市場のおばちゃんの「暴言」について
書きました。
自分が客になると、
しかも日本がえりだったりすると
「うっ!」と胸を撃たれた思いなのですが
(胸を打たれるではなく!)
効率的な、経済活動のために
韓国人たちもどんどんスマートになり
韓国のサービスの質も過去に比べて上がっています。
まあ、それは都市のことであって
地方は置いてけぼりなので、
田舎のサービスはあんまり向上してませんけど。
しかし田舎には田舎のサービスというものがあります。
それは、他地方からふらりと来た人たちが
味わうことの難しい、そこにたどり着くまでに一重・二重のベールを
潜り抜けてこそ享受出来るような
長期的視点でのサービスだったりするので
短期的に見ると、「サービスが悪い」または「サービスがない!」と
見えます。
ないわけではないのですが
とにかく分かりにくい。
「金額」とか「量」とかだったら
すぐに目に見えるのですけど。
あれを客観的に見ると
あのアジュンマたちって
このご時世に強気ですごいなあ!と思うのです。
しかしあの長く伝統的に続いてきた
韓国の伝統的な市場でのやりとりは
いまや「韓国の30代・40代の女性」たちにも
見捨てられつつあります。
この世代は、
自分で車を運転する女性も多いので
都市の大型スーパーにショッピングがてら
買出しにいくことも一般的。
ましてやこの世代、
ほとんどの人がネット使いますからね。
仕事に忙しくて買い物にいけない人は
仕事帰りにばたばた「夕食の買い物」に行かず
仕事の合間にネットで注文します。
わざわざ時間を割いて、車を出して
買いに行くなら、ネットにはない魅力が「市場」にないと
いけないのですが
市場のおばちゃんたちの差し出す「強い言葉」は
若い韓国人世代にも、実に受けが悪い、、、
そして若い韓国人世代は
なにしろ「スマート」に育っているので
このアジュンマたちを言い負かしてやる!とか
こんどこそ!とかそういう人はあんまりいなくて
ましてや、この人たちに
殴りかかるような元気のある人はいません。
「市場にいって気を悪くするくらいなら
市場に行かなきゃいいじゃん!」と
なります。 実に簡単に。
車を動かせないわけじゃなし、
ほかにスーパーがないわけじゃなし
ましてやネットでもモノが買える時代だし。
まあ、日本でも同じ事情ですね、きっと。
商店街のシャッター街化は。
私はたまたま、市場の近くに住んでるので
市場を利用してます。
「質」でモノをみるなら、野菜も魚も「市場」に行くほうが
いいと思います。
だけど、めんどくさくて、ついつい「手に合う量」だけを
近所のマートで少しずつ買うことが多い。
無くなってしまったら、きっとさびしいけど
積極的に利用しようとは
どうしても思えない「市場」。
ああ、この気持ちは、あれに似ている!
私が韓国人の義母に対して抱く感情に似ている!
積極的に近寄っていきたいとは、思えない。
でも、亡くなってしまったらきっとさびしい、、、
そんな感じです。 こんなこと買いてもええんやろうか、、、、
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