高敞高校枡富さん関連

探している人が目の前に!2012.3

백강 문정사랑 2013. 9. 16. 11:40

ようやく春めいてきたと思ってたのに


 また朝から雪が降り始めた。

 

 あららー これが今年最後の雪であって欲しいなあ


 もう見飽きたよ!




  庭の椿は


  つぼみが膨らみはじめている。



  田舎道を車で走ると、


  まだ草も生えない農地で


  土地の特産物であるベリーに農家の人が手を掛け始めている。



  赤い実をつけるべりーだからなのか


  なぜか茎の色まで赤い、いや赤紫かな。



 韓国の小学校中学校は今年から


 土曜日が休日になった。


 学校では希望者対象の運動や音楽のプログラムを用意したりもしているが


 うちの子は「べつにやりたくないー」というので登録しなかった。



  昨日、山にでも登るか、ようやく春めいてきたことだし。

 

 と家族で出かけようとしたのだけど


 私がなんとなく


 


「うーん、山もいいけどさ、


 こないだ文章にした枡富さんの農場とか


  金一族の生家とかそっちにいってみない?どっちも近いんだし。」


 というと夫も

 

 「そうしよっか」といってくれたので


 方向転換して 高敞の富安面に向かって車を走らせた。



 そこで枡富安佐衛門さんが作った小学校を見学し


  つぎは枡富さんが立てたキリスト教教会に向かった。


 この二つはどちらも1912年創立なので


 ちょうど今年が創立100年!となる。



  教会に「こんにちはー!!」といって入っていった。


  日曜礼拝の食事の準備をしているらしい年配の女性達が三人くらい。


 土曜日に子どもの集会があるらしく小学生の姿がちらほら。



 「牧師様は?」ときくと


 「あちらの資料室です」 というので


 その資料室に向かっていってドアを叩いた。



  出てきた牧師様は私を見てすごくびっくりしていた。


 

 「あなたは、、、!」



  私が先週地方新聞に書いた記事を、教会の長老が切り取って


  牧師さんに渡したらしい。 


  「うちの教会を創設した枡富さんのことがここにでてました!」と。


  


 この教会先ほど申し上げたように今年創立100年。


  教会史を整理するに当たって、創立者のことは欠かせない。



 牧師様は 「この日本人に連絡しよう!」


 と思って私に連絡を取ろうとしたところだったらしい。




 探していた当人がイキナリ目の前に出てきたので


 牧師様は腰をぬかさんばかりに驚いたらしい。


 「神様!」



  私たち夫婦の訪問をとても喜んでくださった。



   枡富氏が1995年にモラン賞を受賞したとき


  娘さんの石井武子さんが韓国にいらして代理で受けてくださった。


 その時、石井さんは当然この高敞の富安面までいらして


 小学校も教会も見学なさった。



 しかしその後、石井さんがどうしていらっしゃるか 


  ということに関してはまったく分からず、


  ご自分も日本語ができないものだから


 連絡するにもできずで、この17年の間、そのままになっていて


 牧師様は石井さんのことがずーっと気がかりだったという。



 1995年に75歳だった石井さんは


 いまではもう90歳をすぎていらっしゃるはず。


 もしかして、、もう。 すでに、、、、という心配もあった。(私も実はそう思ってた)



 牧師様が私に


  「日本の石井武子さんの安否を確認して欲しい」 というので


 そこにあった電話で石井さんのご自宅にお電話した。



  電話を受けてくださった方ご本人が石井武子さんだった。


  いまでは満で91歳を超えられ、

 

  体があまり自由にならないため、ヘルパーさんに通ってもらって


  一人暮らしをなさっているという。



   「こちらで100周年行事があるので、


  もし可能なら韓国に来ていただきたいと


   牧師様がおっしゃってますが」


 と伝えると


 「もう東京のデパートにすらでていけませんのよ。 ありがたいことですが


  ちょっと難しいですわね」


 とおっしゃった。とてもやさしい、でも凛とした声だった。


  

  1995年当時、韓国を一緒に訪問した方の中には


  すでに故人になってしまわれた方がいることや、


  今では体が不自由になったため引越しなさったことなど、


  この電話一本だけでも、いろんなことがわかり


  石井さんの新しい連絡先などを


 牧師様にお伝えすることが出来た。



 石井さんが


 「あなたはどちら様で?」 というので (そりゃそーだ)


 「この町の新聞記者です。」 と答えた。

 

   (一応私は今年から記者扱いになっている。)


  高校の古書の整理から本が出てきて、、、という話も簡単にしたが


 全部言うと長くなるし。



  

  牧師様が非常に石井さんのことを気に掛けていて


  連絡一つ差し上げなくて大変申し訳なかったと思っているということも


  お伝えした。


  私はこちらから新聞記事と翻訳をお送りしますのでと


  ご挨拶して電話を切った。



  この10年以上ずーっと気に掛けてきた


  日本の石井さんの安否が確認できて


   牧師様はほっとした顔をしていた。


 


  私も枡富さんのことを調べながら一番気がかりだったのが

  

  このお嬢さんの石井さんは今はどうしているのだろう?ということだった。


 


 でも私と石井さんの間には全くなんのつながりも無いので


  (むちゃくちゃ無理を言えば同じ日本人ですねー!!というくらい)


  調べて電話をすることに少しためらいがあった。


  

 私が電話を掛けるのはいいのだけど


 こういう間隔でイキナリ電話をもらった相手の方は


 びっくりしそうだなあと。日本人だし。


 

 

 それがこの教会の牧師さんから


 「ここに石井さんの電話番号があります。お願いします掛けてください!」


  である。


 こっちもやりたいことがすべて目のまえにそろって、ゴーだった。



 

  


 



 うーん。上手くいくことって


 私が努力しなくても全部用意されてるよなあ。


 このことでまたその確信が深まるのだった。



  しかも!この牧師様の書庫に


 この本があった!わー!!

知られざる懸け橋―枡富安左衛門と韓国とその時代/黒瀬 悦成
¥1,631
Amazon.co.jp


 


   すでに日本に注文したが


 手に入るのは あと10日くらい掛かるなあとおもってたところで。



 

 昨日私はこの本を抱えて家に戻って


 

 当然!すぐに読み始めた。



 

 家に帰ると晩御飯を作る時間だったのだけど


 

 うちの夫は、


 

 「うちの奥さんは、読みたい本を目の前にして別のことをやってるときは

 

 後のことは全くダメになる」


 

  ということをよーく知っているので


 

 私に


 

 「本読んでていいぞ」 といって


 

 手際よーくおいしい夕食を作って食べさせてくれた。


 

 

 そして、この「枡富安左衛門」さんの伝記で


 

 また詳しいことがいろいろわかっていろんな疑問に整理がついたのでした。